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十一月・飯のバリエーションを増やせ
11/3(月・祝) フリーマーケット
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血色の無い唇に、色付きリップが彩と艶を与える。
「何それ」
「これからデートだから」
「……誰と?」
浮気と謗る紫色の目が、鏡の己の姿越しに見る。狩猟者の目だ。これでどうして光に焦がれるありとあらゆる生き物に好かれるのか。まったく理解に苦しむ、とばかりに吸血鬼はわざとらしく肩をすくめた。
「悪いなァ、嘘だよ。冗談だ。浮気じゃないって。俺一人でお出かけすんの。そんな拗ねんなってぇ」
「拗ねてない」
「じゃあなんでそんな怖い顔してんのかな~?」
迫りくる狩人に吸血鬼はあくまで揶揄いで以て応える。洗面台に腰を預け、無意識に膨らした頬をつんとつついてやると、少しだけ狩人の表情が綻ぶ。
吸血鬼は鏡に映らないから、リップを鏡の前で塗る意味はまるで無い。唇に潤いを与えるだけなら感覚だけで出来る。だのに鏡の前に立つ意味は、吸血鬼にしかわからない。お出掛け前の雰囲気作りかもしれない。
「お前これから学校あんだろ? サボっちゃだめだよぉ」
「僕はいいだろ。どこ行くの?」
洗面所から吸血鬼をどかし、狩人は歯を磨く。
「フリーマーケット。保育園でやってるやつ。先月くらいに言っただろ」
「ふぁん」
吸血鬼は狩人が喋れないことをいいことに一方的に喋る。
「そういうわけだからちょっとおしゃれ。浮気を嫌がって化粧を咎める悪夫のフリなんてなぁ、正義の味方さん、お前はそんなことやっちゃあならんよな。浮気を嫌がったんじゃないなら……俺のこと、かわいいって思っちゃったのか? 思ったんだろ? だからそんな目ぇして睨んで。他の誰かに俺を取られたくないって思っちゃったんだ。この唇に触れて、むしゃぶりつきたいとでも思ったか? やーんエッチ♡」
流水の音が聞こえる。吸血鬼は黙った。何か言いたいことがあるならこの後言うだろう。キスは、歯を磨いて口をすすいだばかりだし、たぶんしないだろう。
「僕、そんな怖い顔してた?」
「してたしてためっちゃしてた。一番乗りはお前にやるよ。欲しいなら言いな」
投げキッスを飛ばす。狩人は無視して、出掛ける準備をした。
「そうか。楽しんできて」
「えーっ、もうちょいねちっこく咎めたりしないわけぇ!?」
「君は何がしたいんだ」
「……あからさまな嫉妬をしてほしい?」
「帰って来てからね。行ってきます」
開催の時間までまだかなりある。吸血鬼は浮かれて準備をして、安い挑発をいくつも投げたのに、たいして帰ってこなかったので少し落ち込んでいた。俺ってそんなにかわいいのかなぁ、とぷるぷるに潤んだ唇に触れる。吸血鬼は生まれてこの方自分の顔を見たことが無かった。
狩人が置いて行った朝食の皿を自分の分と共に洗い、少し眠くなってきたが歩けば目も覚めるだろう、と財布と入場券代わりのチラシをポケットに、例の保育園に歩いて向かう。肌寒くなってきたものの、日の光は高く眩しい。
わら半紙の案内通り、吸血鬼はなんちゃら寺附属保育園にたどり着く。準備中ではあるものの既に賑やかで、自然と客の列ができている。吸血鬼も最後方に並び列の一部になる。客層は親の年齢か老人、大きくなった子供が殆ど。たいていがここの卒園生か近所の人だ。ふーん。
ぼんやり景色を眺めていたせいで話を聞いていなかったが、開場したらしい。列が動く。
吸血鬼はまず手に入れた三つ折りのパンフレットで内部構造を把握した。それから目ぼしい場所を幾つか見て、まずバザーを覗きに行こうと思った。バザーが行われている教室に近い園庭のほうには、赤彦が店番をしている喫茶ソロモンの出張所も見える。あいつ今日の分の給料出るのかな。
「こんちは」
「あっ、来てくれたんだ。一杯どう?」
「一杯三百円か」
「紙コップだからね」
砂糖もミルクも一個までらしい。吸血鬼はお祭り価格のコーヒーを一杯買ってやった。
隣のハンガーラックに下げられたスカートは子供にはワンピースのように大きく、一律一着千円、お会計はコーヒースタンドで、とある。大きなポケットも付いており、縫製も趣味のものにしてはしっかりしているので、安い買い物であるような気はする。
「バザーに出すにしちゃ、ちょっと高いんじゃない?」
「いんや、バザーっぽくそこに置いてあるだけで、バザーじゃないから。残念ながらね」
「あくどいねぇ」
吸血鬼の好みの黒や暗い色のものは無い。だいたい暖色系やビタミンカラー、稀に寒色が見られたとしても大柄小柄のプリントの一部である。明るい色のチェックはあいつに似合いそうだが、いやあいつに服を見繕いに来たわけじゃなし。吸血鬼はコーヒーを飲み干しゴミ箱にコップを捨てる。
「どうお? お気に召すものはあった?」
「いや。あんたにや悪いが俺の好みじゃないな。可愛らしいし、あんたには似合うんだろうが……挑戦しようという気は起きんな」
三名の客にコーヒーを一杯ずつ応対した後、
「そうかなぁ。うーん、そうだなぁ。トロピカルな赤いハイビスカス柄なんか似合うと思うけどなぁ」
「ハイビスカスぅ?」
地の白色が追いやられた、殆どが鮮烈な花の赤色で染められた挑戦的な色合いで、吸血鬼にこのご機嫌さは勧められなければ挑戦する気力すら起きなかっただろう。
「いや、いいわ。これに合う手札ないし」
「無彩色――白とかグレーとかのTシャツはどう? それでラフな感じに合わせるの。今けっこう寒いから下にタイツとか合わせたりしてもいいかも。今私長めの靴下穿いてる」
「あー……」
三〇六号室の箪笥の中にはてろんてろんのTシャツしかない。狩人は吸血鬼が勝手に着たところで怒りはしないだろうが、やる気はない。
「喫茶ソロモンってファッション相談もしてるの?」
「いや、趣味の範囲。話が合うとわかったら、世間話位するんだよ」
「ふーん。正体探られたりとかはヤなんだ」
「誰だって嫌じゃないの?」
吸血鬼はおすすめされたハイビスカス柄と千円を引き替える。なんだかうまい具合に口車に乗せられた気がするが、カトレア柄の古びた紙袋からコーヒーと砂糖のいい匂いがしたので機嫌を良くした。
もう用は無いのでバザーのコーナーに行く。主に保育園で必要とするこまごまとした袋やらハンカチ、制服が並んでいた。おもちゃの剣や戦棍など、スペースの半分以上は吸血鬼には用の無い代物だった。
三百円で売られていた、フェルトのイチゴとクリームが付いた髪ゴムが気に入ったので買った。狩人が付ければイチゴのケーキのように見えるだろう。これは土産だ。
その後保育園の建物を地図を片手に一巡りし、縁日で薄紙と枠で小さなスーパーボールを三つほど掬えた。一巡りするのにニ三時間程度、その際一つ分かったことがある。これは身内の祭りだ。どこに行っても知り合いらしい誰か同士が話している。打ち合わせをする親同士、久々に会った子同士、思い出話に花を咲かせる生徒と先生、付き合いに飽きた誰かが電話。どんな分類に無くとも常に、何は無くとも常に、誰か同士の話す声が聞こえる。疎外感を感じている誰かすら、勝手知ったる様子で隅のほうに陣取っている。吸血鬼が最初に知った通り、これは身内の祭りなのだ。ここにいる全て、誰かの知り合い同士だ。
帰り際には赤彦のスカートもニ三着を残して売れていた。あれでも人気はあるらしい。いいことだ。二着目以降の冒険は要らないので、吸血鬼は足早に保育園を去る。十二時の終わりまでには一通り見て回れたが、その前に、ちょっと、疲れた。
家帰ったらもう寝る。ちょっと腹減ったし、一昨日作った金平ごぼうか何かつまんでから寝る。そう考えながら冷蔵庫を開けると、不躾にも玄関の鍵が開く。狩人が帰って来たらしい。
「……帰ってたんだ。早いね」
「お前こそ早いお帰りじゃねえか」
「ちょっと心配になって……」
「嫉妬しなくてもお前の心配するようなことは何も起きてねえよ。お弁当食べてきた?」
「食べて来た……」
なら共に飯を食うことは出来ないらしい。残念だったなと嘯いて、タッパーを仕舞い箸だけ洗う。
「お土産。好きにしろ」
吸血鬼は紙袋の中の飾り付き髪ゴムを狩人に抛った後、押し入れによじ登って戸を閉めた。コーヒーの残り香を足元に、宿敵の顔を見てほっとしたことに嫌悪感を覚えながら、喉をグルグル鳴らし短い眠りについた。
「何それ」
「これからデートだから」
「……誰と?」
浮気と謗る紫色の目が、鏡の己の姿越しに見る。狩猟者の目だ。これでどうして光に焦がれるありとあらゆる生き物に好かれるのか。まったく理解に苦しむ、とばかりに吸血鬼はわざとらしく肩をすくめた。
「悪いなァ、嘘だよ。冗談だ。浮気じゃないって。俺一人でお出かけすんの。そんな拗ねんなってぇ」
「拗ねてない」
「じゃあなんでそんな怖い顔してんのかな~?」
迫りくる狩人に吸血鬼はあくまで揶揄いで以て応える。洗面台に腰を預け、無意識に膨らした頬をつんとつついてやると、少しだけ狩人の表情が綻ぶ。
吸血鬼は鏡に映らないから、リップを鏡の前で塗る意味はまるで無い。唇に潤いを与えるだけなら感覚だけで出来る。だのに鏡の前に立つ意味は、吸血鬼にしかわからない。お出掛け前の雰囲気作りかもしれない。
「お前これから学校あんだろ? サボっちゃだめだよぉ」
「僕はいいだろ。どこ行くの?」
洗面所から吸血鬼をどかし、狩人は歯を磨く。
「フリーマーケット。保育園でやってるやつ。先月くらいに言っただろ」
「ふぁん」
吸血鬼は狩人が喋れないことをいいことに一方的に喋る。
「そういうわけだからちょっとおしゃれ。浮気を嫌がって化粧を咎める悪夫のフリなんてなぁ、正義の味方さん、お前はそんなことやっちゃあならんよな。浮気を嫌がったんじゃないなら……俺のこと、かわいいって思っちゃったのか? 思ったんだろ? だからそんな目ぇして睨んで。他の誰かに俺を取られたくないって思っちゃったんだ。この唇に触れて、むしゃぶりつきたいとでも思ったか? やーんエッチ♡」
流水の音が聞こえる。吸血鬼は黙った。何か言いたいことがあるならこの後言うだろう。キスは、歯を磨いて口をすすいだばかりだし、たぶんしないだろう。
「僕、そんな怖い顔してた?」
「してたしてためっちゃしてた。一番乗りはお前にやるよ。欲しいなら言いな」
投げキッスを飛ばす。狩人は無視して、出掛ける準備をした。
「そうか。楽しんできて」
「えーっ、もうちょいねちっこく咎めたりしないわけぇ!?」
「君は何がしたいんだ」
「……あからさまな嫉妬をしてほしい?」
「帰って来てからね。行ってきます」
開催の時間までまだかなりある。吸血鬼は浮かれて準備をして、安い挑発をいくつも投げたのに、たいして帰ってこなかったので少し落ち込んでいた。俺ってそんなにかわいいのかなぁ、とぷるぷるに潤んだ唇に触れる。吸血鬼は生まれてこの方自分の顔を見たことが無かった。
狩人が置いて行った朝食の皿を自分の分と共に洗い、少し眠くなってきたが歩けば目も覚めるだろう、と財布と入場券代わりのチラシをポケットに、例の保育園に歩いて向かう。肌寒くなってきたものの、日の光は高く眩しい。
わら半紙の案内通り、吸血鬼はなんちゃら寺附属保育園にたどり着く。準備中ではあるものの既に賑やかで、自然と客の列ができている。吸血鬼も最後方に並び列の一部になる。客層は親の年齢か老人、大きくなった子供が殆ど。たいていがここの卒園生か近所の人だ。ふーん。
ぼんやり景色を眺めていたせいで話を聞いていなかったが、開場したらしい。列が動く。
吸血鬼はまず手に入れた三つ折りのパンフレットで内部構造を把握した。それから目ぼしい場所を幾つか見て、まずバザーを覗きに行こうと思った。バザーが行われている教室に近い園庭のほうには、赤彦が店番をしている喫茶ソロモンの出張所も見える。あいつ今日の分の給料出るのかな。
「こんちは」
「あっ、来てくれたんだ。一杯どう?」
「一杯三百円か」
「紙コップだからね」
砂糖もミルクも一個までらしい。吸血鬼はお祭り価格のコーヒーを一杯買ってやった。
隣のハンガーラックに下げられたスカートは子供にはワンピースのように大きく、一律一着千円、お会計はコーヒースタンドで、とある。大きなポケットも付いており、縫製も趣味のものにしてはしっかりしているので、安い買い物であるような気はする。
「バザーに出すにしちゃ、ちょっと高いんじゃない?」
「いんや、バザーっぽくそこに置いてあるだけで、バザーじゃないから。残念ながらね」
「あくどいねぇ」
吸血鬼の好みの黒や暗い色のものは無い。だいたい暖色系やビタミンカラー、稀に寒色が見られたとしても大柄小柄のプリントの一部である。明るい色のチェックはあいつに似合いそうだが、いやあいつに服を見繕いに来たわけじゃなし。吸血鬼はコーヒーを飲み干しゴミ箱にコップを捨てる。
「どうお? お気に召すものはあった?」
「いや。あんたにや悪いが俺の好みじゃないな。可愛らしいし、あんたには似合うんだろうが……挑戦しようという気は起きんな」
三名の客にコーヒーを一杯ずつ応対した後、
「そうかなぁ。うーん、そうだなぁ。トロピカルな赤いハイビスカス柄なんか似合うと思うけどなぁ」
「ハイビスカスぅ?」
地の白色が追いやられた、殆どが鮮烈な花の赤色で染められた挑戦的な色合いで、吸血鬼にこのご機嫌さは勧められなければ挑戦する気力すら起きなかっただろう。
「いや、いいわ。これに合う手札ないし」
「無彩色――白とかグレーとかのTシャツはどう? それでラフな感じに合わせるの。今けっこう寒いから下にタイツとか合わせたりしてもいいかも。今私長めの靴下穿いてる」
「あー……」
三〇六号室の箪笥の中にはてろんてろんのTシャツしかない。狩人は吸血鬼が勝手に着たところで怒りはしないだろうが、やる気はない。
「喫茶ソロモンってファッション相談もしてるの?」
「いや、趣味の範囲。話が合うとわかったら、世間話位するんだよ」
「ふーん。正体探られたりとかはヤなんだ」
「誰だって嫌じゃないの?」
吸血鬼はおすすめされたハイビスカス柄と千円を引き替える。なんだかうまい具合に口車に乗せられた気がするが、カトレア柄の古びた紙袋からコーヒーと砂糖のいい匂いがしたので機嫌を良くした。
もう用は無いのでバザーのコーナーに行く。主に保育園で必要とするこまごまとした袋やらハンカチ、制服が並んでいた。おもちゃの剣や戦棍など、スペースの半分以上は吸血鬼には用の無い代物だった。
三百円で売られていた、フェルトのイチゴとクリームが付いた髪ゴムが気に入ったので買った。狩人が付ければイチゴのケーキのように見えるだろう。これは土産だ。
その後保育園の建物を地図を片手に一巡りし、縁日で薄紙と枠で小さなスーパーボールを三つほど掬えた。一巡りするのにニ三時間程度、その際一つ分かったことがある。これは身内の祭りだ。どこに行っても知り合いらしい誰か同士が話している。打ち合わせをする親同士、久々に会った子同士、思い出話に花を咲かせる生徒と先生、付き合いに飽きた誰かが電話。どんな分類に無くとも常に、何は無くとも常に、誰か同士の話す声が聞こえる。疎外感を感じている誰かすら、勝手知ったる様子で隅のほうに陣取っている。吸血鬼が最初に知った通り、これは身内の祭りなのだ。ここにいる全て、誰かの知り合い同士だ。
帰り際には赤彦のスカートもニ三着を残して売れていた。あれでも人気はあるらしい。いいことだ。二着目以降の冒険は要らないので、吸血鬼は足早に保育園を去る。十二時の終わりまでには一通り見て回れたが、その前に、ちょっと、疲れた。
家帰ったらもう寝る。ちょっと腹減ったし、一昨日作った金平ごぼうか何かつまんでから寝る。そう考えながら冷蔵庫を開けると、不躾にも玄関の鍵が開く。狩人が帰って来たらしい。
「……帰ってたんだ。早いね」
「お前こそ早いお帰りじゃねえか」
「ちょっと心配になって……」
「嫉妬しなくてもお前の心配するようなことは何も起きてねえよ。お弁当食べてきた?」
「食べて来た……」
なら共に飯を食うことは出来ないらしい。残念だったなと嘯いて、タッパーを仕舞い箸だけ洗う。
「お土産。好きにしろ」
吸血鬼は紙袋の中の飾り付き髪ゴムを狩人に抛った後、押し入れによじ登って戸を閉めた。コーヒーの残り香を足元に、宿敵の顔を見てほっとしたことに嫌悪感を覚えながら、喉をグルグル鳴らし短い眠りについた。
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