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十月・だんだん冷え込んでくる

10/4(土) あんまり面白くない映画を見に行こう

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映画をいい席で見るには、早く行動した方が良い。
「そろそろ行こうぜ、着替えろ」
「顔洗いなよ」
 朝の九時ごろ、吸血鬼は珍しく計画的に起き出した。バリバリと頭を掻き赤黒いフケを撒き散らしながら、吸血鬼は居間を横切って洗面所に行く。
 まだ残暑はこの街に滞在しているが、たぶんそろそろ去るだろう。起き抜けの吸血鬼の鼻に別れの挨拶をしに来た。寒さで鼻の先が赤らんでいた。
「映画見終わったら飯食ってからでも先でもいいけど、服買いに付き合ってくれる?」
 いいよ、と返しながら、狩人は吸血鬼の着替えを待つ。狩人のほうはいつものTシャツにジーンズ、デートだからといって特別なファッションをするようなことはない。何せ昨日突然言われたことだから。ファッションに明るくも無い。明るい人に相談する余暇も無い。
「待ち合わせして、ドキドキしながら待つとかは……」
「要らないだろ、同じ場所から同じ場所に行くのに」
 案外形式とかロマンを気にする奴らしい、可愛らしいことだなと考えながら、髪をある程度櫛で落ち着けた吸血鬼が戻って来る。特別髪をどうこうするわけではないから、崩れたところで構いやしない。常に風が吹いても困らない髪型をしているのだから。
「そういうときめきが欲しかったら、学校帰りとかのほうがよかったかな。映画館前で待ち合わせしてさ」
「……行こう」
 狩人は先んじて靴を履く。履き慣れた――ボロボロともいう――スニーカーの靴ひもを締め直す。
 その後ろから着替えを終えた吸血鬼が、狩人の結い上げた髪を弄びながら靴を履く順番を待つ。
「デートなのに、そんないつもの格好なわけ?」
「言い出したのは昨日の今日だろ」
「それもそうか……」
 靴ひもを結い終えて、吸血鬼の手を跳ねのける。吸血鬼がここに来た当初から穿いているボロボロの靴を置き直して、玄関の鍵を開ける。
 戸締まりをした後、手を引こうとする吸血鬼の手を避けて、狩人は早足で狭い廊下を先へ行く。
「お前ッ、前もあったけどさ、そういうの良くないぞ」
「狭いんだから!」
 お前初日には構わず手ェ繋いでたってーのになんだその態度は。吸血鬼はぶすくれて、一階まで下りた途端に奪い取るように手を掴む。振りほどこうとすれば爪を立て、むっとした顔を作って狩人に見せる。
「何だよ」
「デートなんだよ。もうちょっといちゃつこうぜ」
 言うことが言うことなら宣戦布告にもとられかねない語気で、強く結んだ手を改めて掴んで指を絡ませる。ときめくように。残念ながらこれは殺し合いではなくデートだ。どんな手段を使ってでも、相手にときめいてもらわなければ困るのだ。
 どんな手段を使ってもいいなら、殺し合いと何が違うのか。吸血鬼の先導に従って二人は無言で街を歩く。双方顔はむっとしているが、手は変わらず繋いでいる。
 入口で映画のタダ券を引き換えてもらう。映画の上映までは三十分以上あるらしい。入場は十分前から。少しタイミングが悪かったかな、と思いつつ、二人してロビー横の売店の品揃えを物珍しげに眺める。狩人はあまり映画館に行くことが無いようだからか、少々はしゃいだ様子だった。
「何か買う? ポップコーンとか」
「俺はいい」
「チュロスもあるって」
「食いたいもん頼みゃいいじゃねえか……やっぱポップコーンがいい。キャラメルのやつ」
「何か飲む?」
「お前が頼むんなら一口くらいは貰うが……好きなもの飲め。お前が決めろ」
 いかんいかん、俺としたことが貴重なチャンスをふいにするところだった。吸血鬼は手を離した。目的地には着いたのだし、はぐれることも無い以上、繋いでいる意味はない。
 一通り頼むものを決めたところで狩人だけで買いに行く。デカいな、と遠ざかる背を見て思う。薄暗いロビーの中で彼の後ろ姿は少々発光しているようだし、白という膨らんで見える色のおかげでさらに大きく見える。
 狩人はにこにこ嬉しそうな笑顔でお盆の上にポップコーンとドリンクを載せて戻ってくる。本当に飯を美味そうに食うのが上手い奴だ。まだ食ってもいないのに。吸血鬼は苛立たし気にコートのポケットの中で厄除けトウガラシを弄んだ。
「お待たせ」
「おう」
「映画見始める前に全部食べちゃわないでよ」
 早速ポップコーンに手を伸ばす吸血鬼に、狩人は困ったように笑う。
 「映画見てる間に食わずに捨てられる方がよっぽど勿体ない。映画の後に慌ててポップコーン食う気まずさったら他に無いぞ」
 心にもないことを言う。それもそうか、と狩人は納得していたが、吸血鬼は好きなタイミングで食べたいだけだった。
「飲み物何買ってきたの?」
「コーラ」
 家にはあまり置いていない飲料だ。特別な理由はないが吸血鬼も狩人も好んで買っていないし、外でないと飲まない。狩人は口を付け、すぐにしかめっ面をする。
「すごいしゅわしゅわする」
「ならなんで頼んだよ」
「飲みたかったから……」
 しかめっ面してコーラを飲みつつ、上映十五分前くらいにはトイレに行く。
「シャンジュも行ってきなよ」
「俺はいい」
 人間ほど排泄のままならない体ではないから、後でいいやと思う。水分もそれほどとってないし。何なら朝食も食べていない。口からは体内の悪臭をそのまま撒き散らしている。
 入場開始時刻である十分前となると、狭いロビーにもそこそこの人混みである。席は自由席で、チケットの引き換えをした順に座れるから、出来るだけいい席を選んで並ぶ。
 ポップコーンをシャンジュの膝に置き、席の間のドリンクホルダーにコーラを置く。
 劇場が暗くなる。あと五分ほどで映画が始まる。
 今回彼らが見るのは吸血ザメが人を襲う類いのパニックホラー映画である。上映時間は一時間半ほど。
 上映が終わったのは昼にはわずかに早い時刻だった。映画の内容に関する虚脱感の後、映画館を出た途端に秋の強い陽光と空腹が襲ったため、彼らは早々に大通りのファミリーレストランに駆け込むことにした。早めに行けば混んでいまいという下心を持った人間が、席を全て埋めない程度に詰めかけていた。
 メニュー兼注文票のタッチパネルを寝せて置いて眺めながら、吸血鬼は映画の感想を言う。
「俺、サメだけは手下にしないわ。っていうか魚類全般」
「え、いいのに」
「あの映画の何が良かった?」
 俺たち以外の十数人の客は一体どうしてあの映画を見るに至ったのか。俺はどうして貴重なタダ券を使ってあんな映画を見てしまったのか。どうして宿敵は俺を止めなかったのか。吸血鬼は水入りのストローを齧りながら後悔した。
 注文パネルを操作しつつ、狩人は映画の面白かった点を挙げる。思い返せば変な映像ばかりが浮かぶ。
「吸血ウイルスに感染した人間の歯がサメっぽく変形するところとか。変な……CG? で、映像を使いまわしてるのは変だなと思ったけど、あれはいいと思う」
「俺がやってもああはならないぞ」
「そうだろうとも」
 吸血鬼の心配をよそに、狩人には面白かったらしい。
「変な映画だったけどね」
「あれで八十何分持たせたんだから大したもんだよ」
「映画館にいると時間ってあっという間だよね」
「あっという間な分お前にあれを見せたと思うとな……」
「面白かったのに」
「もう一回見に行きたいか?」
「それは、いいかな。別のやつを見に行きたい」
「……パニックホラー以外のやつな」
 税込み二千円分の注文の品が運ばれてくる。配膳ロボットから皿を受け取って机に広げる。
「そっちのピザ半分くれ」
「わかった。そこのパンどかして、こっち乗っけて」
「おう」
 骨付きチキンをまず齧り、油の付いた手でパンをつかむ。喉を下り吸血鬼のすきっ腹に新鮮なタンパク質がたどり着く。
「美味いもんだ。やっぱ飢えてると良くないわな」
「ああ、映画の事件のきっかけは共食いだったからね……」
 料理とはなんと人間的な行為か。そんなことはどうでもいいから食え食え。腹に急かされて骨を噛み砕きぼりぼりと嚥下する。
「のどに刺さるよ」
「ちゃんと噛めば大丈夫」
 狩人のほうはといえば、チキンの骨はピザの皿のすみに除けて置いているようだった。吸血鬼はそれまで取って食うような真似はしなかった。未だ机上には他に美味いものがいくらでもある。
「この後どうしようか。服見に行くんだろ?」
「そうだな、イオンのが近いし……そっち先に見に行くか」
「あの店は?」
「足りないものがあったら。まあ無いだろうけど」
 アパート下の例の店には過剰装飾はあるかもしれないが、防寒着はないかもしれない。完全に偏見でものを考えている。まあもし急に必要なものが出来たなら、いつかあと半年のうちに冷やかしに行ってやってもいいかもしれない。吸血鬼は雑に考えていた。
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