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株式会社ロンギヌスの槍

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 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
 書いたのは俺だ。
 にも拘らず意味不明なのは、それが知らない言語を見ながら書いたものだからだ。
 では、その言語はなんなのか。
 クソジジイ曰く、これは地球の言葉だそうだ。ジジイ自身も読めないと抜かして、その解読を俺に丸投げした。元の文書はなんと紙製で、年月を経て既にボロボロ。そのせいで、その場でたまたま開いていた日記に写し書く羽目になった。
 まったく、信じられない。
 今時……いや、ジジイが若い頃には既にそんな状態だったらしいが……保存処理すらしていない紙の文献が残っているなんて。
「ヴァル、またそれ眺めてるのか?」
「――これを解読するのが今の仕事なんで」
 ボスの声に素っ気なく答えると、ボスは苦笑しながら俺のデスクに何かを置いた。
「は?」
 思わず声がこぼれる。
 ……なんだこれ? 博物館からガメてきたのか?
 そろり、とボスの顔を窺うと、ボスはニィと笑っていた。
「私物。凄いだろう? 地球製のティーカップとソーサーだ。飲み物も大富豪でも稀にしか口に出来ない“本物”の紅茶だよ?」
「この会社、そんなに儲かってるんですか。給料上げてくれます?」
「だから、私物だって言っているだろう? うちの売上は君の解読にかかっているんだよ。そもそも、君のお爺様から会社を預かっているけれど僕は雇われ社長なんだから」
 ボス、アーサー・ヒギンズは肩を竦めて見せた。
 まぁ、ボスの言っていることは正しい。確かにボスは雇われ社長だし、本来であればうちの親父が今の社長のはずだった。
 先代社長であるジジイ…ペレドゥル・ペリノーアが、親父に社長の座を譲ろうとした時には既に遅かった。親父は書置きを残して家を飛び出していた。俺と、母親を置いて。
 書置きに書かれていたのは一言。
 “ちょっと地球行ってくる!”
 ……我が親ながら、イかれているとしか思えない。
 既に捨てられた、我らが故郷ホーム。人の住めなくなった地球。そんな場所を目指すことに何の意味があるのか。
 まぁ、あのイかれ親父の奇行についてはどうでもいい。どうせもう、帰ってくることはないだろう。
 そんなわけで、ジジイは俺に社長を任せようとしたのだが、当時の俺は地球考古学を学ぶ学生だったため、急遽雇われたのが今のボス、アーサーだった。
 この人事に対し、異議を唱えたのは俺のまともな母だけだった。
「お義父さん、名前採用はおやめくださいと、お義母さんも仰っていたでしょう!?」
 そう、今のボスは名前採用された。別に経営の経験があるわけでもなく、暇と金を持て余した高等遊民……つまり、遊び人だ。そんな人物を名前採用したジジイにも理由はあるらしい。
 なんでも、ジジイのジジイのジジイの……とにかく、うちの始祖というのが地球脱出のための銀河移民船計画・プロジェクト《ラウンドテーブル》の一人だったんだそうだ。それを誇りとして生きていた我が家の当主達には、地球から運び出された文献の中でも大切に読み継いできたものがあった。
 アーサー王の伝説。
 大学の講義で一度だけ、教授が触れていた。
 かつて地球にまだ多くの人が豊かに暮らしていた時代。人々に好まれた騎士道物語だったという。あまりに古いので俺達から見れば最早古文書と同等だが、一部だけ解読された部分の解説をされた。
 聖杯とかいうものを探索した騎士達の話。
 それを聞きながら――ちょっとだけ、おや、と思った。
 ジジイが散々俺に語って聞かせた、聞き飽きた御伽話。円卓ラウンドテーブルの騎士達の話。そして、地球を旅立った際に航行管制を任された十三人が、円卓の騎士になぞらえたコードネームを与えられたと。
「ヴァル、ご先祖様はな、かのパーシヴァル卿の名を賜ったのだ」
 ……だからどうした、と。
「お前の名は、恐れ多くもそれをお借りして付けられた。その名に恥じない男になりなさい」
 いつもそう括られる話に飽き飽きしていた。
 それでも、まぁ、縁と言うのもあるのだろうか?
 俺は地球考古学の道に進み、先祖が起こしたこの会社、株式会社ロンギヌスの槍に入社し、本業である地球時代の文献の解読業務を請け負っている。
 この会社の名前も所縁があるらしいが、詳しくは知らない。単純に文献が遺失したからだ。何故データで残さなかったのか理解に苦しむ。地球文明時代の文献なんて、研究者も好事家もどんな大金積んだって欲しがるものなのに。
 そこにいるボス、アーサーもそんな一人ではある。
 内容に興味はないのだが、とにかく蒐集癖があるタイプの人間だったが故に、ボスはジジイの、
「アーサー・ヒギンズ? あぁ、良い名だ。王に相応しい。是非うちで社長をやってくれ。何? 未経験? そんなもの、仕事なぞ社員にやらせればいいから。はい、採用」
という名前採用を受諾して雇われ社長になった。
 うちに舞い込んでくる、今では失われた地球の言葉を俺が解読するたびに、ボスは依頼人の所に行って山の様に金を積んではその文献を買い取って自身のコレクションにしてしまう。ボス自身は読めもしないのに、専用の保存室に収められた文献の背を眺めて満足しているというのだから、始末に負えない。
 研究機関などに寄贈してくれたら、地球の古言語の研究も進むだろうに。
 俺はため息を一つ零して、慎重にティーカップの取っ手を摘まんだ。
 カップの中の薄いオレンジ色の液体はゆらゆらと揺れながら、特徴的な香りを湯気と共に立ち昇らせている。
「……ボス?」
「なんだい?」
 ボスはソーサーを手に、優雅にカップを傾けていた。その姿が様になるのは、慣れから来ているのだろう。静かにカップを下ろし、ボスは俺の言葉を待っている。
 ……流石に笑われるだろうか?
 いや……でも……。
 悩んだ末に、ちょっと顔を歪めて俺は訊ねた。
「これ、その……合成紅茶みたいに、シロップやミルクは入れないんですか?」
 パチクリと瞬きをしたボスは肩を震わせながらソーサーごとカップをテーブルに置く。そして距離をとってからゲラゲラと笑いだした。
 ……このクソボンボンが。そこまで笑う事か?
 俺の怒りに気付いたのか、ボスは目の端に浮かんだ涙を拭いながら穏やかに言った。
「まぁ、そのまま飲んでみなよ。それで飲めなかったら、しょうがない。本物の砂糖とミルクも用意してあげるよ」
「む……」
 本物の砂糖とミルク……どんな伝手でサラッと用意できるって言うんだ。始祖が円卓の一員だったうちだって、そんな高級品はお目にかかったことはない。まぁ、うちは今やこの会社一つしか残っていない、いわば没落した家系なんだが。
 さて、そうまで言われては引き下がれない。というか、さっさと仕事に戻りたい。
 そのため、俺は手にしていたカップを、ビビっているのを悟られないように静かに口元へ運んだ。
「……」
 一瞬の躊躇の後に口の中に流れ込んできたのは――酷く、複雑な味だった。
 なんだ、これ?
「うわ、渋い顔。ヴァルの口には合わなかった?」
 ボスがちょっと申し訳なさそうな顔をして俺を覗き込んだが……それどころではない。
「ボス、これ……」
「ん?」
「天然物の味って、こんなにバラバラなんですか?」
「は?」
「意味が分からない。――無秩序だ、整っていない。あぁ、なるほど。そういうものなのか、自然っていうのは」
 俺の中に何か、得体の知れないインスピレーションが一気に湧き上がる。
「ちょっと、ヴァル?」
「邪魔しないでください、糸口が掴めそうなんです」
 それだけ伝えて、再び紅茶を口に流し込む。
 ――頭が冴える。脳が活性する。目は自然にモニタに向かっていた。
 並ぶ、意味の分からない言語。
 あぁ――なんだ、これ? なんだこの言語? バカにしてるのか? 何故、同一言語のはずなのに複数の形態の違う文字種が交ざってるんだ? ランダム? いや、バカな。絶対に法則があるはずだ。
 手元を忙しなく動かし、これまでに解読してきた文献のデータを精査する。
 何かあるだろう。同じ古代地球の言語だぞ? 幾らなんでも似た文字があってもおかしくないだろう?
 俺が咄嗟に書き写した言語を解析システムで走査し、近似の言語を拾い上げようとする。
「あーあ、集中モードに入っちゃった。こうなったヴァルはつまらないからなぁ」
 不満そうなボスの声が聞こえるが、頭に届いた時には意味を失っていた。
 近似文字……んん……あぁ、このやたら線が込み入っているのは文字か。使用者割合の高い古代文字と似て……いや、でも違うな……これまでは未発見の文字?
 俺が集中して言語の解読を試みていると、ボスが突然騒音を撒き散らした。
「えええぇぇ!?」
「チッ、うるせぇな……ボス、邪魔するんだったら帰ってください」
「いや、ちょっ……えぇ……?」
 なんなんだ、一体。
 ボスはボンボンだけあって育ちは良い。だから、普段はこんな風に度を失って騒いだりはしない。
 それがこの様だ。何があったんだ、もう。
 集中を破られて苛ついた俺がモニタから視線を外して音の発生源を見ると、ボスの前にズタボロの何かがいた。
 …………。
 は?
「Yeehaw! ヴァール!! お前、パーシヴァルだろう!? なんだよ、いつの間にこんなデカくなったんだよ!?」
 ハイテンションでズタボロの何かが俺に向かって突進してきた。
 突然の事で反応し損ね、それにぎゅうぎゅうとハグされる。
 くっさ!!
「はっ、な……せ! 誰だ、お前!? つか、臭……っ」
「はぁー? ダディの顔を忘れるとか薄情じゃない? こっちを出てから、たったの二年ぐらいだろ?」
 何とか必死の抵抗をして腕から抜け出すと、息を整えながらズタボロが喋ったことを思い返す。
 ちなみにボスはとっくに部屋の隅に逃げていた。だって臭いから。その証拠に口と鼻を覆って目を眇めている。
 さて、このズタボロは俺の名前を知っていた。ダディを自称した。こっちを出てから二年とか言った。そんなわけない、あれが出て行ったのは八年前だ。だが、地球との往復にかかった時間を差し引けばそんなものか。
 ――結論は、まぁ、妥当だろう。有り得ないと思っていたが。
「親父!?」
「Yes, I'm your father」
「ふっざけんな! どの面下げて帰って来やがった!? つーか、いつから体洗ってねぇんだよ!? くっせーんだよ!!」
「ん? 地球出る前にその辺の海で適当に水浴びしてぇ、そのままお宝をごっそり船に積み込んでぇ……コールドスリープしてぇ……今?」
「出てけぇ!! 風呂入ってから出直せぇ!!」
 俺の怒声に、親父を名乗った地球帰りのズタボロはションボリしながら俺のオフィスを出て行った。
 直後にボスは空調を操作して強制的にオフィスを換気すると、若干引き攣った声で呻いた。
「強烈だった……」
「あぁ、臭いが?」
「いや、それもあるけど……あれは本当にあの知的なお爺様の息子で、知的なヴァルの……」
「父親ですね。――二度と帰って来ないと思ってましたけど、まさか地球まで行って本当に帰還するとは……腐っても円卓の家に生まれた人間だった、というわけですかね」
 俺が椅子に座り直してそんな事を呟くと、ボスはソファに崩れ落ちた。
「嘘みたいだ、この現代に地球探査をして帰ってきた人間だって?」
「まぁ、もともと頭のイかれた人間が服着て歩いていたようなもんなので」
 再びモニタに向かい合った俺は、それから黙って古代文字の解読作業を進めた。ボスが背後で何かゴソゴソしている気配はしていたが、どうせ大したことはしていないからいいだろう。
 ――うーん、どうにも分かりにくい。取り敢えず、さっき見つけた近似文字だけでは手がかりにはならないようだ。他の文字種(?)の方を調べて……。
「ヘーイ! マイサーン!! 風呂入ってきたダディだぞー!」
 ……うるせぇな、この親父。
「やかましいわ、バカ息子。持ち帰って来た物がなければ勘当しているところだ」
「ん? じーちゃんまで来たのかよ?」
 聞こえた声はジジイのものだ。ジジイは突進してきそうな親父――記憶にあるままの若い姿だ。コールドスリープしていたせいで歳を取ってないからだろう――の後ろ襟を掴んでいる。
 ラフではあるがきちんとした服を纏い、風呂で洗い流してきたからか悪臭もしないので、そこは取り敢えずいいだろう。
 親父、トーア・ペリノーアは抱えていたものをドサリと俺のデスクに置くと、満足そうに息を吐いた。
「ヴァル、これ、地球土産」
「は?」
 ――なんだと? 許可もなく地球の遺物を持ち出してきたのか、このイかれ親父は!?
 俺は積み上がったものを反射的に見ていた。
「こ、れは……」
 書物――本、だ。
 嘘みたいに良好な保存状態。しかも保存処置もしていないので、今なら……まだ実物を直に触れる……?
 フラフラと手を伸ばそうとした俺を、ジジイが飛び掛かって止めた。
「アホ孫! 触るな、劣化する!!」
「あ……」
「ヴァル、気持ちはわかるけど、最低限、防護手袋は着けてくれるかい?」
 ボスが苦笑いで文献防護用の手袋を差し出してきた。見れば一応、親父も手袋はしていた。多分、運ぶ時にジジイに怒られて嫌々着けたのだろう。
 俺は手袋をしっかりと着用して、慎重に一番上の本を手に取った。
 まずは表紙の検分。
 ――なんだこりゃ? イラスト……なんか、子供向けのグラフィックみたいな物が全面に描かれている。何ヶ所か、文字と思わしきものが見て取れる。
「ん……?」
 この形状……これ……。
 ガバッとモニタを振り向いた。
 俺の手で写し書きされたモニタの中の文献。
 パッと手元に目を戻す。
 なんか絶妙にカラフルで丸っこいけど、整った形の文字。
 これまで古代地球語の文献に携わってきたから分かる。
「これだ!」
「何が?」
 親父が不思議そうに首を傾げる。聞かなければいけない。持ち出した本人に聞くのが手っ取り早い。
「親父っ、これどこ……地球のどの地域から持ち出した!?」
「はぁ?――――うーん……? なんか、島? 建物の残骸が割としっかり残ってた地域だった」
「地図確認しなかったのかよ!?」
「地形変わってたんだよ」
「いいから、どの辺かぐらいは分かるだろ!?」
 俺はモニタに一枚の地図を映し出した。円卓が地球を出る時に持ち出したもののコピーだ。地球の最後の姿、として現代でも地球考古学ではよく目にするポピュラーなものだ。
「どこ!?」
 急かすように親父に問い掛けると、親父は「むむむ」と呻いた。何が「むむむ」だ。いいから早くしろ、浮かんだ閃きが頭から抜ける!
 親父はしばらく地図を眺めて「多分」と枕詞を置いてから指差した。
「ここ、だと思う。なんかもっと狭かったような気がするけど」
 指先が示したものを確認して、俺は眉を寄せた。
「……ジャパン……?」
 俺の言葉に反応したのは意外でもないが、ボスだった。
「ヴァル! 知ってる! この島国だ、ラウンドテーブルが持ち出した美術品とか骨董品とかがすごい高値が付いてる!」
 なるほど、蒐集家の遊び人が役に立つのはこういう時なのか。
「あれ、この人誰?」
「お前の代わりに今の社長をしているアーサー君だ」
「へー」
 ジジイと親父の話が右から左に抜けていく。
 ――ジャパンの言葉……参った、うちのデータベースにサンプルがない。すぐさま在籍していた大学の教授に連絡を取る。
「ハロー、円卓の騎士。何かね?」
 教授はのん気にそんな挨拶をしてくるが、こっちはそれどころではない。
「お久しぶりです。早速ですが、教授、古代地球のジャパンという国で使用されていた言語についてなんですが」
「ジャパン……うーん……? ちょっと待ってくれよ」
 教授はモニタの向こうで何か調べているようだった。
「……エクソダス時点での話者はおよそ六千万人……そこそこの数がいたはずだが、この星にある文献の数が極端に少ない。円卓が運び出さなかったのだろう」
「文字の特徴については、そうすると……」
「残念ながら、解読は進んでいないな。複雑な表記体系を持っていたらしく、公用語として使っていた民族以外にはなかなか広まらなかった背景があったのだろうと推測されるね」
 教授の言う通りだと思う。
 とにかく、分かりにくい。本の表紙を見てもそれがよく分かる。
「近似言語はないが、文字の一部は近似の物があるな。古文献8のケースだ」
「あぁ、やはりそれですか。ありがとうございます、こちらで解読を進めます」
 挨拶を済ませて通話を切ると、俺は本を開いてみる。
 紙がボロボロと崩れてしまう様なことは無かった。
 ――三種類……いや、四種類? 使われている文字種はそれぐらいだ。
「アーサー、それ何飲んでるの?」
「紅茶ですが?」
「合成紅茶? うーん、合成紅茶、苦手なんだよなぁ」
「本物の紅茶ですが」
「すげぇ! 本物ってどっかの円卓の家系で作ってるやつだろ!? 飲んでみたい!」
「――今、淹れてきます」
「アーサー君、これにティーカップは必要ない。割られるぞ」
「……先代がそう仰るなら、適当なカップに淹れてきます」
 あー、うるさいぁ、もー。なんで俺のオフィスで屯してるんだ。
 ちょっと苛つきながらも慎重に本のページを捲っていく。
 うん……込み入った文字が古文献8、つまりチャイニーズレターの亜種だとして、後は線の少ない、全体的に曲線で構築されている文字と、直線で構築されている文字が問題だな。もう一種に関しては、これは解読を必要としない。この星で使われている言語と同一だからだ。
 ――なんでこんな複雑な言語になったんだろう?
 不意にそちらの方に興味がわいた。
 言語というのは必要だから生まれるものだ。
 何か理由があって、この古代言語はこんなに文字種を増やした複雑な言語になったんだ。
 本物の紅茶を飲ませてもらって美味い美味いと騒いでいた親父が、ふと俺の背後からモニタを覗き込んできた。
「なんだよ?」
「ヴァルさぁ、これ、似た字を地球で見たぞ。なんか色褪せた錆び錆びの看板みたいので」
「……今はヒントが欲しいから、現地の情報なら幾らでも喋ってくれ」
「Southern Alps Villageって書いてあってさ、へー、南アルプス村ってところだったんだなぁって思いながら眺めてたんだけど、現地語だとなんか……」
 親父は何かグニャグニャとした線を、置いてあったタブレットに書き始めた。
 “南アルプスむら”
 ――うん?
「こんな文字だった。変な文字だなぁって思ったからよく憶えてるんだよなぁ、これ」
「……これが、Southern Alps Villageに併記されてたのか?」
「そう」
 え、じゃあこれ……。
 俺はすぐさま解析を始めた。
 手元の本を参照しながら法則表を作って、それを一文字ずつ、あーでもないこーでもないと並べ替えていく。
「おー、ヴァルすげぇ、言語学者みたいだな!」
「お前が家を飛び出した後に、ヴァルは地球考古学の古言語を大学で学んでいたのだ」
 ジジイが自慢げに言っているが、当のジジイも古言語学は投げ出したじゃないか。ひいじいちゃんが激怒したって聞いた事があるぞ。ペリノーアの家系に生まれながら古言語学を放棄するとはご先祖様に顔向けできない、とかって。
 さて、そんな事はどうでもいい。
 この作業はしばし時間を要する。
 俺は文字の並べ替えパズルを延々と解き続けながら、楽しく仕事をすることになった。

 二週間後。
 完成した言語対応表を眺め、ようやく地球土産の本の解析を開始。一冊の解析に更に二週間かかった。
 それで、何と言うか、いつの間にか俺はそのジャパンの複雑な言語を、何となく読めるようになっていた。
 そうして、受けていたジジイからの依頼、問題の発端となった日記に書き写した物を眺める。
「……くっだらねぇ……」
 ボソリと呟いて、俺はデスクに積まれた本の山の解析に戻って行った。

 書かれていたのは、何とも平凡で、どうしようもなく日常的で、うちは昔からこんなことを繰り返していたのかもな、と思わせるだけの文章だった。

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