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04 忠告の鈴が鳴る
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後宮の妃にも苦悩はあるようだ。紅花は紅妃となって初めて知った。ずっと女官であったならば、この苦労を知らずにいただろう。
煌びやかな服は重い。これこそが威厳を示す物の一つではあるが、ただの重しではないのか。頭には金や翡翠の簪をさす。三日経てば首の凝りがひどくなった。
(やっぱり人生身軽が一番)
紅花は妃たちを前にその気持ちを強くするのだ。
妃の数少ない仕事の中に、朝の挨拶がある。皇后に朝のご機嫌伺いに行くのだ。紅花はそのご機嫌伺いを十日も無視している。歯が痛いに始まって、昨日は何だっただろうか。
焦らしに焦らして、今朝はとうとう皇后付きの侍女が迎えにやってきたのだった。
「おまえが新しく入ったという紅妃か。入内して以来毎日陛下の呼び出しを受けていると聞く」
上座に座る皇后は威厳たっぷりに言った。左右の椅子に妃たちが並んで座る中、ぽつんと立たされたままの紅花はにこりと笑みを返す。
皇后含め妃たちの冷たい視線に晒されながら、紅花は身震いした。
(これが話に聞く新人苛めね……)
紙と筆が欲しい。この棘を全身で受ける感覚を鮮明に書き残さねば気が済まない。なぜ、この場には紙も筆も用意されていないのか。
「皇后陛下がお聞きなのよ。何とか言ったらどうなの?」
皇后の右斜め前に座る妃が言った。名は知らない。右目の泣き黒子が印象的な妃だ。座っている位置からしても位の高い妃なのだろう。
紅花は順繰りと妃たちを見る。全部で二十人はいるだろうか。この中に五人の妃を手に掛けた者がいる可能性が高い。
全員ではないが、ほとんどが新しい寵妃に敵意を見せている。
紅花は笑みを深めた。紅花が普通の妃であったならば震え上がるところだが、紅花は楽しくて仕方がない。まるで、物語の主人公を体験しているようではないか。
(四巻からは殿下の助手役を作るのもいいかも)
相棒がいることで物語は深みを増すだろう。新しい構想が浮かび、紅花は緩む頬を止めることができなかった。
「紅妃。なんとか言いなさい」
「失礼いたしました」
紅花は震える声で言った。恐怖からではない。笑いを堪えるのに必死だったのだ。肩が揺れる。
「初めてお姉様方にお会いするので、緊張してしまって……」
紅花は袖で口元を隠す。これ以上言葉を紡げば、笑い転げてしまいそうだ。淑やかでひ弱なところを見せねばならない。犯人をおびき寄せるためには、容易く殺せると思わせる必要があるだろう。
うつむきがちになりながら、紅花は膝を曲げた。
「わからないことだらけですので、お姉様方に色々教えていただけたら嬉しいです」
今にも消え入りそうなほど弱々しい声で言う。紅花が殊勝な顔をして畏まると、皇后含め妃たちは満足そうに笑った。
紅花の挨拶が終わると、下座に座らされ長話を聞かされたのだが、つまらなくてあまり覚えていない。皇帝を独り占めするのはいけないことだとか、三日も続けば他の妃を薦めるなど気を利かせることを示唆された。
真面目な顔をして頷きはするが、その指示に従う予定はない。
(きっと明日も怒られるんだろうな)
今夜も皇帝は紅妃を夜の相手に指名するだろう。新しい妃にはまった愚かな皇帝を演じ、後宮の治安を守ろうとしているのだ。
寵愛だけを求め、自身の保身ばかりを考える女たちはその事実に気づくことはないだろう。
よくわからない朝の挨拶を終え蘇芳殿までの道を歩いていると、一人の妃から声を掛けられた。
「紅妃。少しいいかしら?」
「えっと……」
「私のことは鈴妃と」
「鈴妃。すみません。まだ名前を覚えていなくて」
「いいのよ。私も覚えるのに苦労したもの」
鈴妃は人のいい笑みを返すと、紅花の横を歩いた。
「今日はごめんなさいね。怖かったでしょう?」
「……はい少し」
紅花はしおらしい様子で答えた。怖くないかと聞かれたら、そこまでの恐怖は感じなかった。死よりも怖いものはない。雲嵐に剣先を突きつけられたときよりは穏やかな気持ちだったと思う。
しかし、犯人をおびき寄せるためにはか弱い妃のふりのほうがいいのだろう。
「最近色々あってみんなピリピリしているの」
「色々とは……?」
「……あまり脅したくはないのだけれど……」
「知らないほうが怖くて眠れません。教えてください」
紅花は鈴妃の手を取って見つめた。
「そ、そこまで言うのなら……。私が言わなくても遅かれ早かれ誰かから聞くでしょうし」
鈴妃は何度か悩む素振りを見せながらも、おずおずと話を始めた。
「最近、陛下の寵愛を受けた妃が謎の死を遂げているわ」
「謎の死……ですか。こわーい」
紅花は高い声で言うと、身体を震わせた。少し大袈裟過ぎただろうか。しかし、鈴妃は気にしていないようだ。彼女は神妙な顔で頷く。
「もう五人よ」
「五人も亡くなっているのですか?」
(確か亡くなったのは三人だったはず。未遂が二人だとは聞いたけど)
後宮内の情報を網羅しているわけではない。もしかしたら知り得ない情報があったのかもしれない。
「ええ、三人は陛下の寵愛を受けた妃。あとの二人は……」
鈴妃は言い淀んで自身の腹を撫で、一筋の涙をこぼした。
煌びやかな服は重い。これこそが威厳を示す物の一つではあるが、ただの重しではないのか。頭には金や翡翠の簪をさす。三日経てば首の凝りがひどくなった。
(やっぱり人生身軽が一番)
紅花は妃たちを前にその気持ちを強くするのだ。
妃の数少ない仕事の中に、朝の挨拶がある。皇后に朝のご機嫌伺いに行くのだ。紅花はそのご機嫌伺いを十日も無視している。歯が痛いに始まって、昨日は何だっただろうか。
焦らしに焦らして、今朝はとうとう皇后付きの侍女が迎えにやってきたのだった。
「おまえが新しく入ったという紅妃か。入内して以来毎日陛下の呼び出しを受けていると聞く」
上座に座る皇后は威厳たっぷりに言った。左右の椅子に妃たちが並んで座る中、ぽつんと立たされたままの紅花はにこりと笑みを返す。
皇后含め妃たちの冷たい視線に晒されながら、紅花は身震いした。
(これが話に聞く新人苛めね……)
紙と筆が欲しい。この棘を全身で受ける感覚を鮮明に書き残さねば気が済まない。なぜ、この場には紙も筆も用意されていないのか。
「皇后陛下がお聞きなのよ。何とか言ったらどうなの?」
皇后の右斜め前に座る妃が言った。名は知らない。右目の泣き黒子が印象的な妃だ。座っている位置からしても位の高い妃なのだろう。
紅花は順繰りと妃たちを見る。全部で二十人はいるだろうか。この中に五人の妃を手に掛けた者がいる可能性が高い。
全員ではないが、ほとんどが新しい寵妃に敵意を見せている。
紅花は笑みを深めた。紅花が普通の妃であったならば震え上がるところだが、紅花は楽しくて仕方がない。まるで、物語の主人公を体験しているようではないか。
(四巻からは殿下の助手役を作るのもいいかも)
相棒がいることで物語は深みを増すだろう。新しい構想が浮かび、紅花は緩む頬を止めることができなかった。
「紅妃。なんとか言いなさい」
「失礼いたしました」
紅花は震える声で言った。恐怖からではない。笑いを堪えるのに必死だったのだ。肩が揺れる。
「初めてお姉様方にお会いするので、緊張してしまって……」
紅花は袖で口元を隠す。これ以上言葉を紡げば、笑い転げてしまいそうだ。淑やかでひ弱なところを見せねばならない。犯人をおびき寄せるためには、容易く殺せると思わせる必要があるだろう。
うつむきがちになりながら、紅花は膝を曲げた。
「わからないことだらけですので、お姉様方に色々教えていただけたら嬉しいです」
今にも消え入りそうなほど弱々しい声で言う。紅花が殊勝な顔をして畏まると、皇后含め妃たちは満足そうに笑った。
紅花の挨拶が終わると、下座に座らされ長話を聞かされたのだが、つまらなくてあまり覚えていない。皇帝を独り占めするのはいけないことだとか、三日も続けば他の妃を薦めるなど気を利かせることを示唆された。
真面目な顔をして頷きはするが、その指示に従う予定はない。
(きっと明日も怒られるんだろうな)
今夜も皇帝は紅妃を夜の相手に指名するだろう。新しい妃にはまった愚かな皇帝を演じ、後宮の治安を守ろうとしているのだ。
寵愛だけを求め、自身の保身ばかりを考える女たちはその事実に気づくことはないだろう。
よくわからない朝の挨拶を終え蘇芳殿までの道を歩いていると、一人の妃から声を掛けられた。
「紅妃。少しいいかしら?」
「えっと……」
「私のことは鈴妃と」
「鈴妃。すみません。まだ名前を覚えていなくて」
「いいのよ。私も覚えるのに苦労したもの」
鈴妃は人のいい笑みを返すと、紅花の横を歩いた。
「今日はごめんなさいね。怖かったでしょう?」
「……はい少し」
紅花はしおらしい様子で答えた。怖くないかと聞かれたら、そこまでの恐怖は感じなかった。死よりも怖いものはない。雲嵐に剣先を突きつけられたときよりは穏やかな気持ちだったと思う。
しかし、犯人をおびき寄せるためにはか弱い妃のふりのほうがいいのだろう。
「最近色々あってみんなピリピリしているの」
「色々とは……?」
「……あまり脅したくはないのだけれど……」
「知らないほうが怖くて眠れません。教えてください」
紅花は鈴妃の手を取って見つめた。
「そ、そこまで言うのなら……。私が言わなくても遅かれ早かれ誰かから聞くでしょうし」
鈴妃は何度か悩む素振りを見せながらも、おずおずと話を始めた。
「最近、陛下の寵愛を受けた妃が謎の死を遂げているわ」
「謎の死……ですか。こわーい」
紅花は高い声で言うと、身体を震わせた。少し大袈裟過ぎただろうか。しかし、鈴妃は気にしていないようだ。彼女は神妙な顔で頷く。
「もう五人よ」
「五人も亡くなっているのですか?」
(確か亡くなったのは三人だったはず。未遂が二人だとは聞いたけど)
後宮内の情報を網羅しているわけではない。もしかしたら知り得ない情報があったのかもしれない。
「ええ、三人は陛下の寵愛を受けた妃。あとの二人は……」
鈴妃は言い淀んで自身の腹を撫で、一筋の涙をこぼした。
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