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01 私が皇帝の妃になった理由
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紅花はその場に跪くしかなかった。
連れてこられたのは皇帝の執務室。
目の前には皇帝と第六皇子の雲嵐。
この状態で跪く以外の選択をできようか。震える手をジッと見つめ、紅花は嵐が過ぎ去るのを待つしかない。発していい言葉は「はい」のみである。楯突けば、明日の朝日は拝めないだろう。
後宮の侍女として働く紅花にはそれくらい怖い場所だった。
紅花の前には三冊の書が積まれる。雲嵐の長い指が紅花の顎を持ち上げる。
「この書に覚えがあるだろう?」
『帝子雲嵐伝』
紅花の頬が引きつる。許された言葉は「はい」のみだ。「いいえ」と言えば、三冊の本と一緒に床に紅花の首が転がることになるだろう。
事実、この書には覚えがあった。
「……はい」
「この書の作者はそなたか?」
「……はい」
雲嵐は床に置かれた書の一冊を拾い上げ、中を開いた。紅花は身を固める。
「陛下、最近帝都を騒がせている書を書いたのは、この女のようです」
皇帝は雲嵐の言葉に長い髭を撫でたあと、静かに頷いた。雲嵐は開いた一冊を皇帝に差し出す。パラパラと捲る音を聞きながら、紅花は死を覚悟した。
「紅花と申したか」
「……はい」
「なぜ、この書を世に広めた?」
「……なぜと言われましても。自分の書いたものを人に読んでもらいたいのは、作家の夢でございます」
「ほう……。そなたはただの侍女であると思っていたが、作家だと申すのか?」
「作家を夢見た侍女と申しますか……」
紅花は作り笑いを見せて笑った。
「まあよい。ではもう一つ聞こう。なぜ、書の主役をここにいる雲嵐にした?」
皇帝の眼光は厳しく、紅花は震えそうになる手に力を込めた。爪が手の平に食い込む。
紅花が書いた『帝子雲嵐伝』は大衆に向けた小説だ。事実にほんの少しの嘘を混ぜて面白おかしく書いた小説。その主人公が第六皇子である雲嵐である。
いつの間にか帝都で最も人気のある書物になってしまったらしい。それゆえ、皇族から目をつけられていたのは知っている。
最初はほんの出来心だった。そんなことを言って、この二人から理解されるだろうか。しかし、嘘八百を並べたところで命の保証はない。
紅花はゆっくりと息を吸った。
「雲嵐殿下を主人公とした理由ですが……」
二人の鋭い視線が紅花に突き刺さる。ただの視線で身体中に穴が空きそうだ。
「その……雲嵐殿下のお顔が……」
紅花は途中まで言って考えあぐねいた。やはり、言うべきではないのではないか。痺れを切らした雲嵐が眉を潜める。眉間のあいだにできた皺を眺めながら、紅花は頬を引きつらせた。
「私の顔がどうした?」
「……ええと、そのですね。殿下のお顔が好み……だったもので」
それは蚊の鳴くような声だった。雲嵐の眉がピクリと動く。
「それはどういう意味か?」
「どうも何も……。私が生きた中で一番理想の顔立ちだったのです」
顔。それが物語を綴る上でどれほど大事かわかっていないのか。心を躍らせる物語も、結局は顔だ。顔が好みでないのに三冊も書けるわけがない。
脳裏に過る言葉を振り払い、紅花は愛想笑いを浮かべる。
意味がわからないとでも言うかのように、雲嵐の眉間の皺が増えた。皇帝のカッカッカという豪快な笑いが執務室に響く。
「実に面白い。紅花と言ったか。ただ、顔が好みというだけで皇族を話の種にしたと? この書が世に与えた影響は大きい。その意味がわかるか?」
「申し訳ございません。私はこの三年、後宮から出たことがないので外の話には疎いのです」
「そうであろうな。でなければ、こんな大それた物語は書けまい」
紅花は眉尻を落とした。『帝子雲嵐伝』は第六皇子である雲嵐を主人公とし、数々の事件を解決していく物語だ。事件は実際にあった話を元に創作している。
「そなたは幸運だ。他の皇子が主人公であれば、朕はそなたを殺していただろう」
皇帝は柔やかに笑った。笑みを浮かべてはいるが、笑ってはいない。もう春だというのに、冬に逆戻りしたかのような寒さだ。全身に鳥肌が立つ。
雲嵐が他の皇子と違う点はたった一つ。三年前、とある事情から皇位継承権を失っていることだ。紅花が書いた『帝子雲嵐伝』が他の皇子を主役としていたならば、世論を濃いに操作しようとしたと言われていてもおかしくはない。
(よかった……。極刑は免れられそう)
紅花は内心ホッとしていた。しかし、皇帝が書を床に叩きつけた音で、安堵は遠くへと消えて行った。
「だがな。これをこのまま見過ごすわけにはいかぬ」
「は、はい!」
「そなたの罪を償う方法はただ一つ。どんなことでもやるか?」
「も、もちろんです。どんなことでもやらせていただきます!」
「よかろう。では、そなたには朕の妃となってもらう」
「は、はい! 喜ん――……へ? 妃?」
紅花は素っ頓狂な声を上げて、目を瞬かせた。側に立つ雲嵐に視線を向ける。彼は何も言わなかった。
この日、紅花は父より年上の皇帝の妃となった。
連れてこられたのは皇帝の執務室。
目の前には皇帝と第六皇子の雲嵐。
この状態で跪く以外の選択をできようか。震える手をジッと見つめ、紅花は嵐が過ぎ去るのを待つしかない。発していい言葉は「はい」のみである。楯突けば、明日の朝日は拝めないだろう。
後宮の侍女として働く紅花にはそれくらい怖い場所だった。
紅花の前には三冊の書が積まれる。雲嵐の長い指が紅花の顎を持ち上げる。
「この書に覚えがあるだろう?」
『帝子雲嵐伝』
紅花の頬が引きつる。許された言葉は「はい」のみだ。「いいえ」と言えば、三冊の本と一緒に床に紅花の首が転がることになるだろう。
事実、この書には覚えがあった。
「……はい」
「この書の作者はそなたか?」
「……はい」
雲嵐は床に置かれた書の一冊を拾い上げ、中を開いた。紅花は身を固める。
「陛下、最近帝都を騒がせている書を書いたのは、この女のようです」
皇帝は雲嵐の言葉に長い髭を撫でたあと、静かに頷いた。雲嵐は開いた一冊を皇帝に差し出す。パラパラと捲る音を聞きながら、紅花は死を覚悟した。
「紅花と申したか」
「……はい」
「なぜ、この書を世に広めた?」
「……なぜと言われましても。自分の書いたものを人に読んでもらいたいのは、作家の夢でございます」
「ほう……。そなたはただの侍女であると思っていたが、作家だと申すのか?」
「作家を夢見た侍女と申しますか……」
紅花は作り笑いを見せて笑った。
「まあよい。ではもう一つ聞こう。なぜ、書の主役をここにいる雲嵐にした?」
皇帝の眼光は厳しく、紅花は震えそうになる手に力を込めた。爪が手の平に食い込む。
紅花が書いた『帝子雲嵐伝』は大衆に向けた小説だ。事実にほんの少しの嘘を混ぜて面白おかしく書いた小説。その主人公が第六皇子である雲嵐である。
いつの間にか帝都で最も人気のある書物になってしまったらしい。それゆえ、皇族から目をつけられていたのは知っている。
最初はほんの出来心だった。そんなことを言って、この二人から理解されるだろうか。しかし、嘘八百を並べたところで命の保証はない。
紅花はゆっくりと息を吸った。
「雲嵐殿下を主人公とした理由ですが……」
二人の鋭い視線が紅花に突き刺さる。ただの視線で身体中に穴が空きそうだ。
「その……雲嵐殿下のお顔が……」
紅花は途中まで言って考えあぐねいた。やはり、言うべきではないのではないか。痺れを切らした雲嵐が眉を潜める。眉間のあいだにできた皺を眺めながら、紅花は頬を引きつらせた。
「私の顔がどうした?」
「……ええと、そのですね。殿下のお顔が好み……だったもので」
それは蚊の鳴くような声だった。雲嵐の眉がピクリと動く。
「それはどういう意味か?」
「どうも何も……。私が生きた中で一番理想の顔立ちだったのです」
顔。それが物語を綴る上でどれほど大事かわかっていないのか。心を躍らせる物語も、結局は顔だ。顔が好みでないのに三冊も書けるわけがない。
脳裏に過る言葉を振り払い、紅花は愛想笑いを浮かべる。
意味がわからないとでも言うかのように、雲嵐の眉間の皺が増えた。皇帝のカッカッカという豪快な笑いが執務室に響く。
「実に面白い。紅花と言ったか。ただ、顔が好みというだけで皇族を話の種にしたと? この書が世に与えた影響は大きい。その意味がわかるか?」
「申し訳ございません。私はこの三年、後宮から出たことがないので外の話には疎いのです」
「そうであろうな。でなければ、こんな大それた物語は書けまい」
紅花は眉尻を落とした。『帝子雲嵐伝』は第六皇子である雲嵐を主人公とし、数々の事件を解決していく物語だ。事件は実際にあった話を元に創作している。
「そなたは幸運だ。他の皇子が主人公であれば、朕はそなたを殺していただろう」
皇帝は柔やかに笑った。笑みを浮かべてはいるが、笑ってはいない。もう春だというのに、冬に逆戻りしたかのような寒さだ。全身に鳥肌が立つ。
雲嵐が他の皇子と違う点はたった一つ。三年前、とある事情から皇位継承権を失っていることだ。紅花が書いた『帝子雲嵐伝』が他の皇子を主役としていたならば、世論を濃いに操作しようとしたと言われていてもおかしくはない。
(よかった……。極刑は免れられそう)
紅花は内心ホッとしていた。しかし、皇帝が書を床に叩きつけた音で、安堵は遠くへと消えて行った。
「だがな。これをこのまま見過ごすわけにはいかぬ」
「は、はい!」
「そなたの罪を償う方法はただ一つ。どんなことでもやるか?」
「も、もちろんです。どんなことでもやらせていただきます!」
「よかろう。では、そなたには朕の妃となってもらう」
「は、はい! 喜ん――……へ? 妃?」
紅花は素っ頓狂な声を上げて、目を瞬かせた。側に立つ雲嵐に視線を向ける。彼は何も言わなかった。
この日、紅花は父より年上の皇帝の妃となった。
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