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聖女の涙
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リリアナの頬を伝った涙はぽたり、ぽたりと床を濡らす。エリオットの言葉は、リリアナの胸に、いや、聖女の胸に深く突き刺さった。
魔女として殺される運命を義姉に与えたのは聖女だ。たとえ、そのとき死んでいたとしても、その責任は聖女にある。
(私が、何も警戒せずに義姉様と王宮で会ったから……。私の周りが落ち着くまで、会わなければ……)
エリオットはこの年まで両親の温かい愛情に囲まれ幸せに暮らせていただろう。妹のことも嫌いにならずに済んだはずだ。
(全部、私のせいだ)
涙が止めどなく溢れた。泣いても解決できることなど何もない。それは、聖女として一人で戦ってきたころにわかった。
泣いても両親は戻っては来ない。涙では、自分の力不足を知ることしかできないのだ。苦しいのはエリオットだ。泣きたいのは彼のはずなのに、リリアナの目から涙が零れて止まらない。
「ごめんなさ……。私のせいで……」
どうにか言葉を出すと、リリアナはくしゃりと顔を歪ませた。謝ってもエリオットの世界が元に戻るわけではない。それでも、謝らずにはいられなかった。
「家族なのに……。家族なのに助けられなくてごめんなさ……」
聖女にとって、甥であるエリオットも家族だ。つらいときに助けられなかった。義姉を守ることができなかった。沢山謝らなくてはいけないのに、言葉が出ない。
「おにい……」
エリオットに声をかけようとして、リリアナは口を噤む。
(エリオットから全部を奪った私が、また家族になりたいなんて願うほうが間違ってたんだ)
兄と呼ばれることすら嫌がった。彼は本能でリリアナの中にいる聖女を感じ取っているのかもしれない。
リリアナはスカートをぎゅっと握りしめた。袖で涙を拭う。そして、一度は置いたパンケーキを手に部屋を出る。
そのあいだ、エリオットは何も言わなかった。ただ、リリアナから顔を背け、壁ばかりを見つめていた。きっと、姿を見ることすらしたくないのだ。
リリアナは部屋を出ると、もう一度小さく扉に向かって言った。
「ごめんなさい……」
(もう、何も奪わないから)
ぽたり、と涙がパンケーキを濡らす。
エリオットの部屋から出て来たリリアナの顔は、泣いたせいでボロボロだった。慌てた侍女がパンケーキを手から奪い、リリアナの涙を拭う。そのまま部屋へと連れてきてもらわなかったら、その場で泣きじゃくっていただろう。
ベッドで泣き続けるリリアナの目に、ロフが水で濡らしたタオルを当てた。
「ありがとう」
「いえ、目が腫れてしまうと心配ですから」
「おにい……。エリオットはあと何日で寮に帰れるの?」
「そうですね……。三日程度でしょうか」
「じゃあ、エリオットが帰るまでは、この部屋から出ない」
「かしこまりました」
ロフは何も聞かない。全てを理解していると言うように、笑みを浮かべたまま、頭を下げた。
「どうしてか聞かないの?」
「あなたを泣かせるような男に、構う必要などありません」
そうでしょう? と首を傾げ、ロフは笑みを深めた。彼は時折そんな顔をする。リリアナ以外どうでもいいというような顔だ。
リリアナは頭を横に振った。
「エリオットは何も悪くない。悪いのは私。家族なのに、何もできなかった私のせい」
前世、聖女は十年間、世界の平和のために奔走した。世界中を廻り『穢れ』を癒やし、たった一人で魔王と戦った。
両親を助けられなかったのは、聖女としての役割を全うし、家族の側にいられなかったからだ。家族を優先していたら、両親は今もまだこの屋敷で笑っていただろうか。
(私がエリオットを苦しめたんだ)
リリアナは小さな拳を握った。
「私、もっと強くなるわ」
「強く、ですか」
「ええ、心も体も能力も。これ以上、誰からも大切な人たちを奪わせない!」
濡れたタオルを放り投げると、ベッドの上に立ち上がる。
「お父様もエリオットも、私が全部守るわ」
「おや、もうエリオット様とは会わないのでは?」
「会わない。でも、会わなくても守ることはできるもの」
「なるほど」
「エリオットにとっては家族じゃなくても、私にとっては家族よ。だから、守る」
この世界に神がいるのならば、無情だ。たった一人の少女に聖女としての力を与え、戦えというのだから。
前世は世界のために全てを犠牲にした。世界は平和になったけれど、家族の命も、そして自分の命さえも失ったのだ。
今世は家族のために生きる。そう、決めた。そのくらいの権利はあるだろう。神が存在するのならば、そのために前世の記憶を残し、わざわざルーカスとエリオットの元に使わしたに違いない。
ロフは変わらぬ笑みで、リリアナの演説を聞いていた。
(思えば、ロフがまき散らした『穢れ』のせいで私の人生はめちゃめちゃになったんじゃない)
前世のことに文句を言っても仕方ないが、ロフの『穢れ』がなければ、リリアナは今ごろ、兄夫婦の娘、リリアナと楽しく遊んでいたかもしれないのだ。
リリアナはビシッとロフを指さす。
「それもこれも、あなたにも責任の一端はあるんだからね! 最後まで付き合ってもらうわよ?」
「私は一生、リリアナお嬢様のお側におりますよ」
なぜ、ロフがリリアナの側にいるのかはいまだわからない。しかし、世界は平和で、魔王は手のうちにいる。
元々、難しいことは考えない主義だ。
(たくさんこき使ってやるんだから)
リリアナは硬く誓った。
魔女として殺される運命を義姉に与えたのは聖女だ。たとえ、そのとき死んでいたとしても、その責任は聖女にある。
(私が、何も警戒せずに義姉様と王宮で会ったから……。私の周りが落ち着くまで、会わなければ……)
エリオットはこの年まで両親の温かい愛情に囲まれ幸せに暮らせていただろう。妹のことも嫌いにならずに済んだはずだ。
(全部、私のせいだ)
涙が止めどなく溢れた。泣いても解決できることなど何もない。それは、聖女として一人で戦ってきたころにわかった。
泣いても両親は戻っては来ない。涙では、自分の力不足を知ることしかできないのだ。苦しいのはエリオットだ。泣きたいのは彼のはずなのに、リリアナの目から涙が零れて止まらない。
「ごめんなさ……。私のせいで……」
どうにか言葉を出すと、リリアナはくしゃりと顔を歪ませた。謝ってもエリオットの世界が元に戻るわけではない。それでも、謝らずにはいられなかった。
「家族なのに……。家族なのに助けられなくてごめんなさ……」
聖女にとって、甥であるエリオットも家族だ。つらいときに助けられなかった。義姉を守ることができなかった。沢山謝らなくてはいけないのに、言葉が出ない。
「おにい……」
エリオットに声をかけようとして、リリアナは口を噤む。
(エリオットから全部を奪った私が、また家族になりたいなんて願うほうが間違ってたんだ)
兄と呼ばれることすら嫌がった。彼は本能でリリアナの中にいる聖女を感じ取っているのかもしれない。
リリアナはスカートをぎゅっと握りしめた。袖で涙を拭う。そして、一度は置いたパンケーキを手に部屋を出る。
そのあいだ、エリオットは何も言わなかった。ただ、リリアナから顔を背け、壁ばかりを見つめていた。きっと、姿を見ることすらしたくないのだ。
リリアナは部屋を出ると、もう一度小さく扉に向かって言った。
「ごめんなさい……」
(もう、何も奪わないから)
ぽたり、と涙がパンケーキを濡らす。
エリオットの部屋から出て来たリリアナの顔は、泣いたせいでボロボロだった。慌てた侍女がパンケーキを手から奪い、リリアナの涙を拭う。そのまま部屋へと連れてきてもらわなかったら、その場で泣きじゃくっていただろう。
ベッドで泣き続けるリリアナの目に、ロフが水で濡らしたタオルを当てた。
「ありがとう」
「いえ、目が腫れてしまうと心配ですから」
「おにい……。エリオットはあと何日で寮に帰れるの?」
「そうですね……。三日程度でしょうか」
「じゃあ、エリオットが帰るまでは、この部屋から出ない」
「かしこまりました」
ロフは何も聞かない。全てを理解していると言うように、笑みを浮かべたまま、頭を下げた。
「どうしてか聞かないの?」
「あなたを泣かせるような男に、構う必要などありません」
そうでしょう? と首を傾げ、ロフは笑みを深めた。彼は時折そんな顔をする。リリアナ以外どうでもいいというような顔だ。
リリアナは頭を横に振った。
「エリオットは何も悪くない。悪いのは私。家族なのに、何もできなかった私のせい」
前世、聖女は十年間、世界の平和のために奔走した。世界中を廻り『穢れ』を癒やし、たった一人で魔王と戦った。
両親を助けられなかったのは、聖女としての役割を全うし、家族の側にいられなかったからだ。家族を優先していたら、両親は今もまだこの屋敷で笑っていただろうか。
(私がエリオットを苦しめたんだ)
リリアナは小さな拳を握った。
「私、もっと強くなるわ」
「強く、ですか」
「ええ、心も体も能力も。これ以上、誰からも大切な人たちを奪わせない!」
濡れたタオルを放り投げると、ベッドの上に立ち上がる。
「お父様もエリオットも、私が全部守るわ」
「おや、もうエリオット様とは会わないのでは?」
「会わない。でも、会わなくても守ることはできるもの」
「なるほど」
「エリオットにとっては家族じゃなくても、私にとっては家族よ。だから、守る」
この世界に神がいるのならば、無情だ。たった一人の少女に聖女としての力を与え、戦えというのだから。
前世は世界のために全てを犠牲にした。世界は平和になったけれど、家族の命も、そして自分の命さえも失ったのだ。
今世は家族のために生きる。そう、決めた。そのくらいの権利はあるだろう。神が存在するのならば、そのために前世の記憶を残し、わざわざルーカスとエリオットの元に使わしたに違いない。
ロフは変わらぬ笑みで、リリアナの演説を聞いていた。
(思えば、ロフがまき散らした『穢れ』のせいで私の人生はめちゃめちゃになったんじゃない)
前世のことに文句を言っても仕方ないが、ロフの『穢れ』がなければ、リリアナは今ごろ、兄夫婦の娘、リリアナと楽しく遊んでいたかもしれないのだ。
リリアナはビシッとロフを指さす。
「それもこれも、あなたにも責任の一端はあるんだからね! 最後まで付き合ってもらうわよ?」
「私は一生、リリアナお嬢様のお側におりますよ」
なぜ、ロフがリリアナの側にいるのかはいまだわからない。しかし、世界は平和で、魔王は手のうちにいる。
元々、難しいことは考えない主義だ。
(たくさんこき使ってやるんだから)
リリアナは硬く誓った。
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