上 下
15 / 53

初対面

しおりを挟む
 リリアナとして生まれて約五年。初めて屋敷を出る。グランツ家は広いから窮屈な思いはしなかったが、今の気持ちは鳥籠の小さな出入り口を空けられた小鳥だ。

 侍女の手によって今できる最大限のおめかしをしたリリアナの姿が、鏡に映し出される。伸びてきた髪は下ろしていたほうが可愛いからと、上半分だけ三つ編みで結い上げていた。

 癖の強い髪が波打つ。おそらく母親譲りの薄い茶色の髪は柔らかくておいしそうだった。

 ドレスはほぼ黒に近い紺色だ。追悼式典だからだろう。折角のドレスなのだから、赤やピンクがよかった。しかし、皆にとっては世界を救った聖女の追悼式典だ。そんな元気な色で良いわけがない。

 こんなに暗い色のドレスなのに、気持ちは赤やオレンジよりも元気だった。

「嬉しそうですね」

 ロフが鏡を覗き込んで言った。彼は式典にはついてこない。貴族のみが参加できるようで、使用人といえど、同伴は許されないからだ。

 魔王の力を使えばなんなく参加できないわけではない。しかし、彼は聖女の追悼式典というイベントには興味を示さなかった。

 リリアナ自身、自分の前世の追悼式典など行きたくはない。今、自分は生きているのに死んだことを憂う人を見ることになる。喜怒哀楽のどれとも違う感覚だ。しかし、今日はそんななんとも言いがたい気持ちを吹き飛ばすほど、わくわくしていた。

「ようやく会えるもの」

 父親に。会ったのは確か、五年と半年ほど前。前世で聖女が帰還したときだ。凱旋のあと、彼は王宮に駆けつけぎゅっと抱きしめてくれたときの温もりは忘れられない。

 理由もなく溢れた涙を拭き、もう一度強く抱きしめてくれた兄の優しさを忘れるわけがないのだ。

 両親を亡くし、多くの死と向き合っていた聖女の心は疲弊していた。疲弊していることも忘れるくらいがむしゃらだった。兄の温もりを受けて、聖女は一度だけただの伯爵令嬢に戻ることができたのだろう。

 あのときの感謝の気持ちを、聖女は伝えられずにこの世を去った。

 グランツ家が伯爵から聖公爵となり、聖女は平和の象徴として色々なところに出向かなければならなかった。半年のあいだに多くの国の要人が出向き、聖女に頭を下げる。それを偉そうな態度で受けなければならない。

 そんなことをしているあいだにあっという間に半年が過ぎた。兄も妹もただただ忙しかったのだ。

 聖女は兄に救われた。兄がいなければ、最後の時まで強く立ってはいられなかっただろう。だから、形は違えど、この積もり積もった恩を娘として返せるのは幸せだと思った。

 コンコンコンと扉が叩かれる。規則正しく三回。侍女のものだ。

「お嬢様、お迎えがいらっしゃいましたよ」
「はーい」

 子どもらしい元気な声で返事した。つい最近まで大人だったから、子どもというのがどういう反応をするのか分からない。

 勘のいいルーカスに聖女がリリアナに転生したのだと、感づかれたくはなかった。娘と父親という関係は崩したくない。

(会ったらなんて言えばいいんだろう。五才だし。「パパ」とか呼んで抱きつけばいいのかな。それとも、お嬢様らしく「はじめまして、お父様」? いや、さすがに嫌味っぽいか。)

 侍女が廊下を先導する。その足を追いながら、リリアナは真剣に考えた。五才をやるのは三十年ぶりだ。その頃の記憶があるわけでもない。五才の子どもと接する機会もほとんどなかった。

 大勢の使用人に見送られながら、玄関を抜ける。正面には大きな馬車が舞っていた。見知らぬ執事がリリアナを見て一礼する。――ルーカスに付いている執事だろうか。その顔も見知ったものではなかった。

 ロフが以前、「使用人はほとんど入れ替わっている」と言っていたが、本当なのだろう。

 執事が馬車の扉を開ける。胸の鼓動が早歩きになった。トクントクントクンと波打つ胸を、手の平で落ち着かせるが、効果はない。馬車の奥に人影を見つけて、更に鼓動が駆けだした。

 馬車のステップの前でリリアナはゆっくりと見上げる。

 馬車の奥に座る男の金の髪が揺れた。癖のある柔らかい髪。それは、記憶に懐かしい兄のもので間違いなかった。

 嬉しさがこみ上げ、ステップに足をかけようとした瞬間、リリアナは足を止めた。

 聖女とお揃いの青い瞳がジッとこちらを見つめる。まるで、水底のように冷たい色をしていた。

(誰……?)

 癖のある金の髪も、透き通るような青の瞳も、リリアナの知っている人のものだ。微笑むと物語から出て来た貴公子のようだと、多くの人から言われていた。しかし、彼はまるで別人だった。

 人形のように生気を失った瞳は、北方の冬の風よりも冷たい。その瞳に射貫かれて身震いした。

 彼は一言も発しない。

 リリアナからかける言葉は用意していたのだ。「お父様」と、そうすれば彼は優しく頭を撫でてくれると思っていた。口から声が出ない。

 思考すら凍り付いて、ただ見上げることしかできなかった。

「お嬢様、さあ、遅れてしまいますよ」

 名も知らぬ執事が、優しくリリアナの背を押した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

転生墓守は伝説騎士団の後継者

深田くれと
ファンタジー
 歴代最高の墓守のロアが圧倒的な力で無双する物語。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい! 政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。

処理中です...