名のない囚人騎士は幾多の地獄で猛獣・罪人・獄卒・天使・神と戦い続ける

西東 吾妻

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第2章:頞部陀地獄編

第十一話:囚人騎士と女武者は煽りあう

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 下着一丁で大剣を握り締め、盛った犬のようにその刀身に頬ずり。

 私は今、醜態を晒した。

 今後100年に渡って、悔やんでも悔やみきれない己の弱みを、衆目に晒してしまった。

 醜態を、私は、晒してしまった。

 鉄皮面が赤く歪むほどの羞恥に、私は今後、100年は苦しむこととなる。




 大剣を握り締め、精神的な安定を取り戻した私は、ようやくそのことに気づいていた。




「ぷっ……。いや、ちょっと待って。……ぷぷっ。いやぁ……マジか。あんたマジかぁ。」

 溶岩のように熱くなった血液が、全身の血管で自由気ままに暴れまわる中で、憐憫と嘲笑が入り混じった声が、私の耳を震わせる。

 血走った私の眼球が、声の下方向へぎょろりと動き、神経をぞりぞりと逆なでする声の主の全身を映し出す。

「いやぁ……ケッサク。気まぐれで拾い上げたんだけど……まさか、こんな面白い奴だったなんてねぇ……」

「……!」

 生気のない目とかすかに青みがかった口元を、三日月のように歪ませて私を哄笑する女の顔を見た時、私は羞恥とは別の衝撃を受けた。

 その女に、私はつい最近会ったばかりであったためである。

 左半身を這う、生々しい火傷の跡。

 多頭のヒュドラのような傷跡は、彼女から美貌を剥ぎ取り、見る人をたじろがせる禍々しさを植え付けている。表皮を深くえぐり、茶色く染めらえたその傷跡は、罪人に彫られる刺青を彷彿とさせた。

 腰に巻かれた血染めの袴。

 地獄に堕ちて以降、幾万の血潮を浴びてきたであろう麻製のそれは、茶色く変色した血痕が水玉模様に散りばめられている。毛先が荒い毛筆で荒々しく書き殴られたような血糊の跡も染みとなって袴に残っており、かつての戦闘の跡を生々しく残している。

胸元に何重にも巻かれたサラシ。

 地獄の激しい環境に晒され続けたためか、表面が荒れ、虫食い、糸のもつれが目立つそれは、彼女が上半身に纏う唯一の衣類である。肉が千切れるほどにきつく巻きつけられたそれは、彼女の胸の膨らみを、男のそれと殆ど同じくらいにまでへこませていた。

 腰まで先が届くほどに伸ばされた黒髪は、研ぎ澄まされた刀剣のような鈍い輝きを見せて垂れ下がり、綿雲のように白い彼女の肌の上で、否応なしに目立っている。

 胡坐をかいて焚火の前に座る彼女の傍らには、かつて私の鎧を散々に割って見せたあの肉厚のダガーと、私の半身を焼き焦がし、骨を粉々に砕いて見せたあの鉄の筒がゴロンと転がっていた。




 右手で頬杖をつき、不気味なほどに白い歯を口元から覗かせ、優越感に満ち満ちた顔で私を見下すこの女は、等括地獄で私が干戈を交えた、あの女武者に間違いなかった。




「こわかったんでちゅねぇ~! ほらぁ! こっちにきなぁ!? 『よちよち』してあげるよぉ~」

 格付けは済んだとばかりに、彼女はニタニタと笑い、おどけたような声をあげながら私に手招きをしていた。いちいち神経を逆なでする彼女の言葉を耳にして、体中の血管がボコボコと音を立てて表皮から浮き上がってくる。




 なぜ、私はこの極寒の地獄の中で、肉体を意のままに動かせているのか。

 なぜ、この女は今、この凍り付くような地獄の中で平然と話すことが出来ているのか。

 なぜ、焚火は平然と燃え盛り、私の周囲では岩肌が雪に覆われることなく露出しているのか。

 なぜ、私の視界は微かにオレンジがかっているのか。




 そんな疑問がどうでもよくなるぐらいに、私は張り裂けんばかりの怒りで胸を焼き、全身を掻き毟りたくなるほどの羞恥で脳裏を焼いていた。

 鉄の茨で織られた鎖帷子と、赤く錆びた板金鎧が、絹を裂いたような悲鳴をあげたくなるほどの激痛と共に私の体から浮き上がっても、私はそのことに殆ど何の関心も払うことが出来なかった。

 今すぐにでも、両手に握るこの肉断ち包丁を振り下ろし、この女の頭をカチ割りたい。

 この衝動は、「それは己の敗北を認めるに等しい、愚劣な行動である」という、冷静な私の心の叫びなしでは抑えきれない。

「ん~? どーしたんでちゅか~? ブルって、うごけないでちゅか~??」

 この女の挑発は止まらない。ニタニタと下卑た笑いを浮かべる彼女は、私が血管から血をまき散らしながら怒り狂い、奇声と共に剣を振るうのを待っているようにしか見えない。

 怒りに我を忘れて赤子のように泣きじゃくって暴れる私を、自慢の機動力で翻弄して弄ぼうと考えていることは、火を見るよりも明らかであった。




 許しがたい侮辱を臆面もなく投げかける、このいけ好かない女を黙らせ、私の失態をも帳消しさせる魔法の解決策はないのか。




 私の魂は声を大にしてわめきたて、記憶の棚を次々とひっくり返しては彼女の醜聞を見つけ出そうとし……私はそれをみつけだした。

 ニタリと、私は笑った。

「無様に嬲られた負け犬は……よく吠えるなぁ……」

 まるで私と初めて出会ったかのようにふるまう彼女の前に感じた、一つの違和感。
 
 等括地獄で私と戦い、全身の骨を砕かれて敗北したという事実を、彼女は忘れているのではないか。

「……あ??」

 私の仮説は、彼女の口から笑顔が消えうせ、額に特大の青筋が立った時に、確信へと変わる。面白いほどに激変した状況を前にして、今度は私が顔に満面の笑みを浮かべていた。

「いやぁ……等括地獄で私に四肢を砕かれた挙句、『ちくしょおぉぉ』って喚きながら芋虫みたいに蠢ていたお前の無様な姿を思い出してさ……。あぁ……哀れ」

 例え地獄で死んだとしても記憶を引き継いで復活することは、身をもって経験済であるため、彼女が敗北の記憶を忘れてしまっている理由に、今一つ心当たりはない。

 だが、私に敗けた人間を言葉の続く限り煽り立て、それに物の見事に踊らされ、いとも簡単に平静を失っている彼女を見下す快楽の前では、そんなことはどうでもよいことのように思えた。

「ふっ……。馬鹿も……休み休みに言ったらどうなんだ……? 等括地獄? ……あたしが前いた地獄は焦熱地獄だ。」

 血走った眼をカッと見開き、全身を小刻みに震わせる彼女は、怒りで朦朧とした意識を精いっぱい宥め、ブルブルと唇を震わせながら、やっとのことでその言葉を吐き出していた。

 彼女の両手には既に、肉厚の短剣と龍の炎を吐き出す鉄の筒が握られており、胡坐を解いた彼女は今にも立ち上がりそうだ。

「どうやら、余りにも悔しかったもんだから記憶を消してしまったようだ。情けないとは思っていたが……よほど、悔しかったんだなぁ?」

 反応から見るに、彼女は本当に等括地獄での出来事を忘れているようである。鬼をも殺す眼差しで睨みつけ、前歯に亀裂が入る程に歯を食いしばっている彼女の青ざめた顔には、嘘を隠しているそぶりは見られない。

 もっとも、そんなことは私にはどうでもいい話である。私はこの女を私と同じ土俵に引きずり込めれば、それでよいのだから。

 自分を貶められることに耐えられない、単純な奴で本当に助かった。

 舌はぐるんぐるんとよく回り、次から次へと言葉が生まれていく。

 何も考えずとも舌が自然と私が言いたいことを言ってくれる爽快感は、病みつきになりそうである。

「……おい。覚悟はできているのか? クソガキ」

「また敗けたいようだな。これ以上醜態を晒すのか? 負け犬」

 怒りに体の支配権を握られた彼女が、私の間合いへと足を踏み入れた。互いの胸が触れるほどに間近で対峙しあう中で、嘲笑と共に私は彼女を見下ろし、表情を殺した彼女は生気のこもらない眼差しで私を見上げていた。




 数秒の沈黙。




 今すぐにでも、戦闘の火ぶたは切って落とされそうである。事実、私は彼女に肉断ち包丁を振り上げようとした。




 しかし私たちの再戦は適わなかった。




 迫りくる獄卒達のけたたましい叫び声が、地獄の空に轟いたからだ。



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