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第1章

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 狼神ろうしんの森。イサーク王国の東南に位置するこの森には、ある伝説が存在した。それは、イサーク王国建国神話、通称"狼神伝説"と呼ばれるものである。イサークの民ならば誰もが知るこの伝説は、人々の信仰の対象となっていた。
 王国を建国した英雄、エハル。彼は後にエハル神と讃えられ、王国の絶対神となった。王国の民ならば誰もが彼を敬い、崇拝する。彼の子孫である王族にも、皆がこうべを垂れた。
 そんな一色に染まった王国の中で、唯一染まらなかった者たちがいた。彼らは姓をヤーフィスという、貴族の一族である。旧王家とも呼ばれるヤーフィス家。彼らは現王家への二心を隠し、王国の北方で静かに暮らしていた。

***

 ヒュウっと、冷たい風が吹く。風の向かう方向へ、空を舞う数多の白い氷の粒が流れていった。氷の粒、いわゆる雪と呼ばれるこの結晶は、私の住むこの地域一帯を白く覆っていた。
 私、リリアーヌ・アーノルドは、来月で11歳。イサーク王国でも寒さの厳しい北区、セーヴェルで家族と仲良く暮らしている。我が家、アーノルドは一応子爵の称号を賜ってはいるが、王都の人から見れば田舎貴族。それでも、争いもなく家族で和やかに過ごせるこの家が私は大好きだった。
 今日も外は一段と冷え込んでいる。私は防寒服を着て、日課である馬の世話をするために馬小屋へと向かった。
 馬小屋に入ると、使用人さんがすでに世話を始めていた。私はいつものように「おはよう」と声をかけると、彼も止まって挨拶してくれた。私も彼と同じように馬の様子を確かめる。私にとってはこの子たちも大事な家族だ。一通り世話を終えると、手を伸ばして愛馬の顔を撫でる。

「お前たちは本当に可愛いわ。今度また背中に乗せてね」

 私が馬たちにそう言うと、使用人さんが笑顔で私に話しかけた。

「リリアーヌ様の愛情は、きっと馬にも伝わっていますよ。お嬢様が来ると皆嬉しそうにしていますから」

「私も、この子たちが大好きだもの! ずっと一緒に居たいわ」

 愛馬にぎゅっとハグした後、彼と片付けをする。しばらくして、馬小屋の扉がふいに音を立てて開いた。

「リリア、朝食の準備が出来たみたいよ。早くいらっしゃい」

 扉から入ってきたのはお母様だった。使用人さんが動きを止めてお母様に挨拶をする。

「おはようございます、奥様」

「おはよう」

 お母様は使用人に頼むことはせず、いつも自ら私を馬小屋まで呼びに来てくれる。私はそれが嬉しくて、今日もお母様のところに駆け寄った。

「お母様! 今日もこの子たちとっても元気よ。毎朝お世話できて嬉しいわ」

「こんなに手を赤くして……きっと馬たちも喜んでいるわ」

 お母様はそう言って膝を曲げ、私の両手を握る。そしてゆっくり立ち上がって振り返ると、使用人さんに告げた。

「あなたもありがとう。しっかり休憩を取ってね」

「お心遣いありがとうございます、奥様」

 彼はお母様に恭しくお辞儀をする。私はお母様と手を繋いで馬小屋を出ると、お屋敷に戻った。玄関前でお母様が雪を払ってくれる。お母様の手も赤くなっていた。

「さあ、部屋に戻って着替えてからいらっしゃい。お父様たちがお前を待っているわ」

「はい、お母様」

 私は防寒着のまま自分の部屋に行くと、侍女に手伝ってもらいながら普段着に着替える。そしていつもの朝食の部屋へと向かった。

「おはようリリア」

「おはようございます、お父様」

 部屋にはすでにお父様とお母様、そして妹のシャルロットが着席していた。シャルロットは来月で8歳。彼女は私よりも3歳年下なのに、私以上に勉強が出来るし、楽器やダンスも上手だ。魔法に関しては私の方が得意だが、我ながら賢い妹だと思う。でも、姉としては羨ましいと思うことが多々ある。
 私が着席すると、家族4人での食事が始まった。テーブルにはパンやスープなど、色とりどりに料理が並んでいる。私は手元のパンを手に取ると、手で千切って食べた。

「リリア、毎朝馬の世話頑張っているみたいだな。けどお父様は、やらなくていいと思うぞ。来年から王都の学校に通うのだし、使用人に任せておけばいい」

「あなた、リリアが進んでやっていることなのだから、止める理由はありませんよ。むしろ、春になったら家を離れるのだから、今は好きにやらせてあげればいいと思うわ」

「お前がそういうなら止めないが……」

 お父様とお母様、2人の会話に手を止める。私は11歳の春から、王都の王立魔道学校に通うことになっている。イサーク王国の至る所から魔道に自信のある者たちが集う名門魔道学校。私もすでに入学を許可されている。ここ、アーノルド家から王都はかなり距離があるため、当然寮生活だ。つまり、夏の長期休暇までは家に戻って来られない。
 私は正直に言って、魔法があまり好きではない。魔道大国であるイサーク王国では、何よりも魔法が重要視されている。魔法によって優劣がつけられ、暮らしが決められる。そんなのは間違っているといつも思う。

「お父様もお母様も、卒業生なのでしょう? 魔道学校での生活はどうだった?」

「楽しかったぞ。ヴィクトリア……お母様とも学校で出会ったしな。先生は素晴らしく、授業も質が高い。王族の方も通われる学校だし、色々な友達が出来ると思うぞ」

「そういえば、第一王子は在学中だったわね。リリアにとって良い学校生活になるといいのだけれど」

 お母様の言葉を聞いて思い出す。私が春から通う王立魔道学校は名門とだけあって、貴族の割合が圧倒的に高い。しかも貴族の中でも有名な人たちが一同に集まるため、学校生活にも階級やら親の地位が影響するだろう。何となく、面倒な生活になる予感がしている。

「でも、王立魔道学校って有名貴族の人ばかりなのでしょう? 身分ばかり気にしている人たちと一緒なんて疲れるわ」

 そう言ってため息をつく。私はこの広大な地でマイペースに育ったためか、はっきりものを言う性格をしている。親の身分を鼻にかけているお嬢様たちとともに過ごしていかなければならないなんて、絶対にストレスが溜まる。

「学校には、素敵な人たちがたくさんいるわ。心配しなくても大丈夫よ」

 お母様がそう言って私に微笑みかける。お母様の微笑みは、いつも私を安心させてくれる。学校生活は不安ではあるが、何とか過ごしていこうと思えた。

「お姉様、学校に行く前に私に治癒魔法教えてね」

「もちろんよシャルロット。それまでに前回の復習しておいてね!」

 私とシャルロットのやり取りにお父様とお母様は声を漏らして笑った。
 食事を終えると、私はすぐに部屋に戻る。今日はお母様と街へお出かけする日。ドレッサーの前に腰掛けると、侍女がさっそく髪を梳いてくれた。
 私は、自分の髪が嫌いだ。お父様もお母様も綺麗なブロンドで、妹のシャルロットなんかはプラチナブロンドの髪色をしている。それなのに、私はくすんだダークブロンドで、いつも自分だけ劣っている感じがして嫌だった。
 そんなことを考えていると、唐突に扉がノックされ部屋にお母様が入ってくる。お母様は準備を終えたみたいだ。

「リリア、準備出来た?」

「まだ! ……ねえ、お母様。どうして私の髪はこんなにくすんだ色をしているの? シャルロットはあんなに綺麗な髪をしているのに。私だけ劣っているみたいで恥ずかしい」

 胸の内をお母様に素直に伝える。お母様は少し驚いた様子だったが、表情をあまり崩すことなく言った。

「そう……私は、リリアが羨ましいわ。そんな綺麗な緑色の瞳を持っている人はいないもの」

 そうお母様が微笑みながら言う。今までお母様から羨ましいと言われたことはない。私はお母様が言っている言葉の意図が分からず、首をかしげる。

「つまりね、人にはそれぞれ良いところがあるの。皆違うけれど、違うからこそ良いのよ。リリアにはリリアの良いところがあって、シャルロットにはシャルロットの良いところがある。他の人と違うってとても素敵なことなのよ」

 お母様はそう言って私の頭を撫でる。その言葉になぜか今まで抱いていた不満が一気になくなるようだった。お母様は言葉の魔法を使うように、いつも綺麗な言葉を教えてくれる。

「そうだね……私、気にするのやめる! 羨ましいのは消えないけれど、私は私だものね」

「そうよ。リリアはリリアらしくいれば、きっと大丈夫。学校生活もきっと楽しいものになるわ」

 お母様は私の肩に手を置いてそう言った。身支度を済ませると、私はお母様と一緒に街へ出かけた。
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