2 / 12
第二話 サンドラという女
しおりを挟む
先日、突然婚約破棄を言い渡された私は、シューペリア家にお借りしていた客室を片付けに来ていました。
私物の殆どない部屋ですから、簡単な掃除をして旅行鞄に荷物を詰め込むだけです。
たったそれだけの作業が難儀に思えます。
今や私は、次期当主に色仕掛けで取り入った横領犯なのです。
廊下を行き交う使用人達の、好奇と謗りの目を逃れることは出来ません。
どうにかして気の進まない片付けを済ませると、もう二度と使わないであろうベッドに腰掛けて、重くため息を吐きました。
その時、ドアがノックされました。
「はい」
ドアを開けると、そこには見覚えのある金髪の女性が立っていらっしゃいました。
ですが、どちらでお会いしたのか思い出せません。
「ご機嫌よう、カトレアさん。サンドラと申します」
「ご機嫌よう、サンドラさん。どういったご用件でしょうか?」
「そんなにかしこまらないで下さいな。私はただ、他愛もないお喋りを楽しみに参っただけなんですから」
家を追い出された惨めな女を捕まえて、一体どんなお喋りをすると言うのでしょう。
「素敵な色ですわね」
「はい? 何のことでしょうか」
「とぼけないでくださいな。貴方のその素敵な赤毛のことですわ」
睨めつけるような視線に、背筋がぞっとしました。
私の赤毛は母親譲りの、庶民の出身であることを示すものだからです。
「それは、どうもありがとうございます」
こちらも何か褒めた方が良いかしら、と思ってサンドラさんをよく観察しました。
長い金髪はゆったりとカールしていて、色気が横溢しています。
顔立ちはややエキゾチックな、ともすれば勝ち気にも見えるものです。
大きく開いた胸元には大ぶりなルビーが揺れています。
正直に申し上げれば、少々派手なお方とお見受け致しました。
「遠くから見るより、近くで見たほうがよく分かりますわね」
「遠くから、というのは?」
「覚えていらっしゃいませんか? あの舞踏会の夜のことを」
眼が眩みました。
そうです。思い出しました。
目の前にいらっしゃる方は、あの晩、アルファード様の隣にいらした女性に違いありません。
「貴方は、あの晩、アルファード様の隣にいらした……」
「ええ、シューペリア家の顧問会計士として、御伴させて頂きました」
「……顧問会計士、ですか。失礼ですが、女性で会計士というのは珍しいですね」
「ええ。鼻にかける訳ではありませんが、王国初の女性会計士ですわ」
「大変な努力をされたんですね」
「いえいえ。貴方程ではありませんわ」
「どういう訳でしょう?」
「庶民の出身でありながら、正真正銘ご自身の力で上り詰めた貴方と違って、私は貴族の生まれですもの。少々有利な立場に生まれたと自負しております」
素直に受け取れば光栄な褒め言葉、あるいは単なる謙遜でしかない言葉に、妙に胸を刺激されました。
婚約破棄を言い渡されてからの私は、心が荒んでいるようで恥ずかしく思えます。
「いえ、そんな。貴族のお生まれとはいえ、会計士試験は公正なもの。それに合格されたのはサンドラさんご自身の努力の賜物でございましょう」
「確かに、試験は身分や性別に関わらず公正です。そして私はその試験に二度落第し、貴方は一度で合格した」
仰る通りです。
王国に数ある国家資格の中でも最難関の一つに数えられる会計士試験に、私は史上最年少で合格いたしました。
ちなみに一発合格は史上二人目で、一人目は庶民の男性だったそうです。
「運が良かっただけです。私が受けた年はボーダーラインが低かったのでしょう」
「謙虚なお方ですわね。人が一番言って欲しいことを良く分かっていらっしゃる。……あなた、殿方に愛されるでしょう」
「……いえ、そんなことは」
「またまた。私には分かりますの。貴方には人を虜にする天賦の才がありますわ」
一体このお方は、何を仰っしゃりたいのでしょうか。
どれほど言葉を重ねても、全く真意が見えてきません。
ただただ胸がチクチクとさせられるばかりです。
「カトレアさん、貴方、学問はかなり出来るようですが、随分と鈍感でいらっしゃるのね」
「どういう、訳でしょう」
「嫌ですわ、まだそんな知らないフリをなさる。私はこれまで貴方が管理を手伝っていたシューペリア家の資産運用を一任されています。これがどういうことか分かりますか?」
「サンドラさんがシューペリア家の正式な顧問会計士に就任されたと、それだけのことではないのでしょうか」
そう申し上げた直後、私は腰を抜かすほど驚くことになります。
サンドラさんが舌打ちをしたのです。
仮にも淑女が、よもや貴族の邸宅で舌打ちなど!
その直後、彼女は驚くべき豹変を見せるのです。
「ほんっっとに鈍い女だなぁお前? ちょっと頭がいいからって調子こきやがって。おまけに顔もいいときてる。アルファードの旦那に色仕掛けで取り入った抜け目のないメス猫が。旦那が貧乏臭い赤毛好みだとは思わなかったよ、全く」
その時ようやく、サンドラが決して相容れない相手であると悟ったのです。
「お前の居場所はもうここにはねえんだよ。貧乏臭え赤毛を丸刈りにするか、今すぐ私の前から消えるか、さっさと決めるんだな」
言い返す気も、謝罪を要求する気も起きませんでした。
私はただ一刻も早く外の空気を吸いたくて、ずっしり重い旅行鞄を手に、足早に立ち去りました。
私物の殆どない部屋ですから、簡単な掃除をして旅行鞄に荷物を詰め込むだけです。
たったそれだけの作業が難儀に思えます。
今や私は、次期当主に色仕掛けで取り入った横領犯なのです。
廊下を行き交う使用人達の、好奇と謗りの目を逃れることは出来ません。
どうにかして気の進まない片付けを済ませると、もう二度と使わないであろうベッドに腰掛けて、重くため息を吐きました。
その時、ドアがノックされました。
「はい」
ドアを開けると、そこには見覚えのある金髪の女性が立っていらっしゃいました。
ですが、どちらでお会いしたのか思い出せません。
「ご機嫌よう、カトレアさん。サンドラと申します」
「ご機嫌よう、サンドラさん。どういったご用件でしょうか?」
「そんなにかしこまらないで下さいな。私はただ、他愛もないお喋りを楽しみに参っただけなんですから」
家を追い出された惨めな女を捕まえて、一体どんなお喋りをすると言うのでしょう。
「素敵な色ですわね」
「はい? 何のことでしょうか」
「とぼけないでくださいな。貴方のその素敵な赤毛のことですわ」
睨めつけるような視線に、背筋がぞっとしました。
私の赤毛は母親譲りの、庶民の出身であることを示すものだからです。
「それは、どうもありがとうございます」
こちらも何か褒めた方が良いかしら、と思ってサンドラさんをよく観察しました。
長い金髪はゆったりとカールしていて、色気が横溢しています。
顔立ちはややエキゾチックな、ともすれば勝ち気にも見えるものです。
大きく開いた胸元には大ぶりなルビーが揺れています。
正直に申し上げれば、少々派手なお方とお見受け致しました。
「遠くから見るより、近くで見たほうがよく分かりますわね」
「遠くから、というのは?」
「覚えていらっしゃいませんか? あの舞踏会の夜のことを」
眼が眩みました。
そうです。思い出しました。
目の前にいらっしゃる方は、あの晩、アルファード様の隣にいらした女性に違いありません。
「貴方は、あの晩、アルファード様の隣にいらした……」
「ええ、シューペリア家の顧問会計士として、御伴させて頂きました」
「……顧問会計士、ですか。失礼ですが、女性で会計士というのは珍しいですね」
「ええ。鼻にかける訳ではありませんが、王国初の女性会計士ですわ」
「大変な努力をされたんですね」
「いえいえ。貴方程ではありませんわ」
「どういう訳でしょう?」
「庶民の出身でありながら、正真正銘ご自身の力で上り詰めた貴方と違って、私は貴族の生まれですもの。少々有利な立場に生まれたと自負しております」
素直に受け取れば光栄な褒め言葉、あるいは単なる謙遜でしかない言葉に、妙に胸を刺激されました。
婚約破棄を言い渡されてからの私は、心が荒んでいるようで恥ずかしく思えます。
「いえ、そんな。貴族のお生まれとはいえ、会計士試験は公正なもの。それに合格されたのはサンドラさんご自身の努力の賜物でございましょう」
「確かに、試験は身分や性別に関わらず公正です。そして私はその試験に二度落第し、貴方は一度で合格した」
仰る通りです。
王国に数ある国家資格の中でも最難関の一つに数えられる会計士試験に、私は史上最年少で合格いたしました。
ちなみに一発合格は史上二人目で、一人目は庶民の男性だったそうです。
「運が良かっただけです。私が受けた年はボーダーラインが低かったのでしょう」
「謙虚なお方ですわね。人が一番言って欲しいことを良く分かっていらっしゃる。……あなた、殿方に愛されるでしょう」
「……いえ、そんなことは」
「またまた。私には分かりますの。貴方には人を虜にする天賦の才がありますわ」
一体このお方は、何を仰っしゃりたいのでしょうか。
どれほど言葉を重ねても、全く真意が見えてきません。
ただただ胸がチクチクとさせられるばかりです。
「カトレアさん、貴方、学問はかなり出来るようですが、随分と鈍感でいらっしゃるのね」
「どういう、訳でしょう」
「嫌ですわ、まだそんな知らないフリをなさる。私はこれまで貴方が管理を手伝っていたシューペリア家の資産運用を一任されています。これがどういうことか分かりますか?」
「サンドラさんがシューペリア家の正式な顧問会計士に就任されたと、それだけのことではないのでしょうか」
そう申し上げた直後、私は腰を抜かすほど驚くことになります。
サンドラさんが舌打ちをしたのです。
仮にも淑女が、よもや貴族の邸宅で舌打ちなど!
その直後、彼女は驚くべき豹変を見せるのです。
「ほんっっとに鈍い女だなぁお前? ちょっと頭がいいからって調子こきやがって。おまけに顔もいいときてる。アルファードの旦那に色仕掛けで取り入った抜け目のないメス猫が。旦那が貧乏臭い赤毛好みだとは思わなかったよ、全く」
その時ようやく、サンドラが決して相容れない相手であると悟ったのです。
「お前の居場所はもうここにはねえんだよ。貧乏臭え赤毛を丸刈りにするか、今すぐ私の前から消えるか、さっさと決めるんだな」
言い返す気も、謝罪を要求する気も起きませんでした。
私はただ一刻も早く外の空気を吸いたくて、ずっしり重い旅行鞄を手に、足早に立ち去りました。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
【完結】要らないと言っていたのに今更好きだったなんて言うんですか?
星野真弓
恋愛
十五歳で第一王子のフロイデンと婚約した公爵令嬢のイルメラは、彼のためなら何でもするつもりで生活して来た。
だが三年が経った今では冷たい態度ばかり取るフロイデンに対する恋心はほとんど冷めてしまっていた。
そんなある日、フロイデンが「イルメラなんて要らない」と男友達と話しているところを目撃してしまい、彼女の中に残っていた恋心は消え失せ、とっとと別れることに決める。
しかし、どういうわけかフロイデンは慌てた様子で引き留め始めて――
結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。
真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。
親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。
そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。
(しかも私にだけ!!)
社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。
最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。
(((こんな仕打ち、あんまりよーー!!)))
旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。
目が覚めました 〜奪われた婚約者はきっぱりと捨てました〜
鬱沢色素
恋愛
侯爵令嬢のディアナは学園でのパーティーで、婚約者フリッツの浮気現場を目撃してしまう。
今まで「他の男が君に寄りつかないように」とフリッツに言われ、地味な格好をしてきた。でも、もう目が覚めた。
さようなら。かつて好きだった人。よりを戻そうと言われても今更もう遅い。
ディアナはフリッツと婚約破棄し、好き勝手に生きることにした。
するとアロイス第一王子から婚約の申し出が舞い込み……。
裏切られた聖女は、捨てられた悪役令嬢を拾いました。それが、何か?
みん
恋愛
同じ職場の同期でイケメンハイスペな彼氏との結婚まで後数ヶ月─と言う時に、まさかの浮気発覚。相手はまさかの自分の後輩。その上衝撃発言も飛び出し、傷心のまま家に帰る途中で、不思議な声に導かれる。
その声の主─異世界の神と色々と約束を交わしてから聖女としてその世界へと転移する事となった。
「するべき事はキッチリして、理想もキッチリ演じますが、イケメンは結構です!」
そして、この世界でも裏切られた彼女が拾ったのは、悪役と言われた公爵令嬢。そのせいで、関わりたくないイケメン達とも再び関わる事になり…。
❋相変わらずのゆるふわ設定です。メンタルも豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。
❋多視点の話もあります。
❋気を付けてはいますが、誤字脱字があると思います。すみません。
❋独自の設定有りです。
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる