43 / 100
少年との出会い
月が響鳴-カナデ-るカプリッチオ 43話
しおりを挟む* * *
ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
「だからずっと、一人が寂しい」
ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
「だからずっと、一人が寂しい」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

転生社畜の異世界旅行!!
山崎真太郎
ファンタジー
ブラック企業の社畜のサラリーマン山城俊太郎は、地獄の八連勤を終えて自宅に帰る途中で過労のあまり心臓発作を起こして死んでしまった…が、死んでしまったと思っていたら、シュトロミットという異世界の創造神シャルル様のお慈悲で、全属性魔法というチートスキルと大金貨、金貨、大銀貨、銀貨を10枚ずつ、異世界で必要な物資一式を与えられて転生する事になった。転生と言っても、赤ちゃんからではなく、四十九歳の疲弊しきってボロボロの身体を、十五歳の頃の超健康体に若返らせてから異世界に送るというモノだった。俊太郎は御礼を言って異世界へと旅立ったのだった。

どうやら悪役令嬢のようですが、興味が無いので錬金術師を目指します(旧:公爵令嬢ですが錬金術師を兼業します)
水神瑠架
ファンタジー
――悪役令嬢だったようですが私は今、自由に楽しく生きています! ――
乙女ゲームに酷似した世界に転生? けど私、このゲームの本筋よりも寄り道のミニゲームにはまっていたんですけど? 基本的に攻略者達の顔もうろ覚えなんですけど?! けど転生してしまったら仕方無いですよね。攻略者を助けるなんて面倒い事するような性格でも無いし好きに生きてもいいですよね? 運が良いのか悪いのか好きな事出来そうな環境に産まれたようですしヒロイン役でも無いようですので。という事で私、顔もうろ覚えのキャラの救済よりも好きな事をして生きて行きます! ……極めろ【錬金術師】! 目指せ【錬金術マスター】!
★★
乙女ゲームの本筋の恋愛じゃない所にはまっていた女性の前世が蘇った公爵令嬢が自分がゲームの中での悪役令嬢だという事も知らず大好きな【錬金術】を極めるため邁進します。流石に途中で気づきますし、相手役も出てきますが、しばらく出てこないと思います。好きに生きた結果攻略者達の悲惨なフラグを折ったりするかも? 基本的に主人公は「攻略者の救済<自分が自由に生きる事」ですので薄情に見える事もあるかもしれません。そんな主人公が生きる世界をとくと御覧あれ!
★★
この話の中での【錬金術】は学問というよりも何かを「創作」する事の出来る手段の意味合いが大きいです。ですので本来の錬金術の学術的な論理は出てきません。この世界での独自の力が【錬金術】となります。

惣助とアラバマ
阿波野治
ライト文芸
大学生の惣助は、スーパーマーケットで万引きをしようとした少女(推定十歳)に声をかけ、盗もうとしていた商品の代金を肩代わりすることで、犯行を未然に防ぐ。惣助はその夜、アラバマと名乗るその少女と再開。彼女を家に泊め、さらには「灰色じじい」を倒すための武器を買いに行くことに。
異世界複利! 【1000万PV突破感謝致します】 ~日利1%で始める追放生活~
蒼き流星ボトムズ
ファンタジー
クラス転移で異世界に飛ばされた遠市厘(といち りん)が入手したスキルは【複利(日利1%)】だった。
中世レベルの文明度しかない異世界ナーロッパ人からはこのスキルの価値が理解されず、また県内屈指の低偏差値校からの転移であることも幸いして級友にもスキルの正体がバレずに済んでしまう。
役立たずとして追放された厘は、この最強スキルを駆使して異世界無双を開始する。

【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。

異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
番外編、書くかもです。
5月9日、番外編追加しました。
小説家になろう様でも公開してます。
エブリスタ様でも公開してます。
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる