天使に出会った日

玖羽 望月

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番外編5.とある非日常の風景II(side希海)

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 今から真っ直ぐ旅館に向かってもまだチェックインの時間には早いからと、少し遠回りすることにする。
 海沿いまで出て、そこから海と並行している道を走った。

「おー! 海!」

 響が窓の外を見ながら声を上げる。冬に差し掛かった空は曇っていて冷たい雰囲気を醸し出している。

「さすがに近くには行けそうにないな」
「だなー。やっぱり海は夏がいいよな。俺、希海と海水浴とか行ってみたい!」

 前を向いているから見えないが、たぶん響は目を輝かせて期待の眼差しをこちらに向けているだろう。

「……考えておく」

 そうは言っても、最短で来年の夏、なんだが。それでも響が俺といる未来を考えてくれるのは嬉しかった。

「希海の水着姿とか、あんま想像できないけどなぁ。楽しみにしとく」

 嬉しそうに響が笑っている。

「子供の頃はよく行ってたんだがな」
「へー。意外……」
「フランスの海に、だが」
「うわぁ。出たよ、このセレブ発言」

 なんとも言えない口調で響はそう言った。

 俺は日本のとは違う美しい青を思い出す。あの心奪われるような絶景を。

「お前にも……見せてやりたいよ」

 呟くように俺が言うと、響は「ははっ」と声を出して笑う。

「すっげー楽しみ!」

 響はそう言って笑った。
 しばらく響は静かに外を眺めていたが、ふと思い出したように口を開く。

「なあ。希海の名前って海が付いてるけど、誰か海好きなのか?」
「いや……好きかどうかは知らない。が、海のようなスケールの大きな男になることをねがう、と付けたそうだ」

 子供の頃、宿題のために母から聞いた名前の由来。それをそのまま響に伝える。

「へー……」

 感心したように響が声を出した。

「響は? 何かあるのか? 由来」

 しばらく「んー……」と考えるように声を出している。

「付けた本人がもういないからなぁ……。そう言えば聞いたことないや」

 少しだけ寂しそうに響は言う。きっと名前を付けたのは母なのだろう。その母は幼い頃亡くなったと聞いている。

「……俺は好きだ。響の名前。そこにいるだけで皆を幸せにしてくれるような影響力。美しい音が響渡るような……そんなイメージだ」

 心に浮かんだことをそのまま口にする。響は小さくふっと笑うと、「めっちゃ照れるんですけど」と下を向いた。

「今はさぁ……kyoキョーの方で呼ぶ人も増えてきたけど、やっぱり俺は、希海に響って呼んでもらえるのが一番嬉しいかな……」

 小さく、でも、幸せだと言うように響は呟いた。


 遠回りし、ちょうどよい時間帯に旅館に着いた。この辺りでは一番の料理旅館らしい。純和風の風情ある建物で、そう大きくはない。

 駐車場に止めた車の中で、響はまた、多少不審な姿になり車を降りる。さすがに今ドラマに出ている俳優が、素顔を晒して歩き回るわけにはいかない。今時はSNSであっという間に拡散されてしまうから心配だ。

 玄関で着物姿の仲居さん達に恭しく挨拶され、俺はフロントに向かう。響は俺の少し後ろで珍しそうに歩きながら旅館の装飾を眺めていた。

 宿泊カードを差し出され、俺はそこに自分の住所と名前を書き入れる。
 俺の名を知る一般人などほとんどいないので、そこは別に気にはしない。響も今の事務所に入ってからはずっとkyoで活動している。本名は隠しているわけではないが、恐らくコアなファンしか知らないはずだ。
 そう思いながら、同行者の名前に『三条 響』と書き入れた。

「ひゃぁ!」

 頭上から小さく悲鳴に似た声が聞こえて、俺は顔を上げた。
 しまった! というような顔の着物姿の若い女性が、自分の口を押さえて目を白黒させていた。

 あぁ。ここにコアなファンがいたか……

「プライベートなので、どうかご内密に願います」

 カードを差し出しながら俺が言うと、相手はまだ口を押さえて頭を縦にブンブンと振っていた。
 

 別の年配の女性が近づいてくると声をかけられる。

「お部屋にご案内いたします」

 俺達はその後について歩いた。手入れの行き届いた中庭を見ながら進み一番奥まった場所に着く。

「うわっ‼︎   無茶苦茶豪華じゃん!」

 ようやく部屋に入ってからキャップもマスクも取って、響が犬のように部屋をグルグルし始める。

「少しは落ち着いたらどうだ」

 呆れたように溜め息を吐きながら、着替えだけ入ったバッグを置き、自分のコートと響のダウンをかける。座卓の横では仲居さんがお茶の用意をしてくれていた。

「こちらをどうぞ」

 日本茶と和菓子が差し出され、2人でそれをいただきながら、夕食の時間を聞いた。

「ではどうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」

 仲居さんがそう言って出ていくと、言葉の通りに響はそのまま畳の上に転がった。

「畳なんて久しぶり! なんか落ち着くー!」

 そう言って響は遠慮なくゴロゴロと回転していた。

 なんか犬が地面でお腹見せているみたいだな。

 そう思いながらも、俺はそんな響を微笑ましく眺めていた。
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