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やって来たカフェは早朝もやっていて、まだ6時前と言うのにまばらながら人の姿があった。
丸いテーブル席に案内され座るが、3人のためどう頑張っても司さんの隣になる。仕方なく席に着くが、司さんは気にする事もなく、座席にもたれ掛かり長い足を投げ出していた。
「司はいつまでいるの?」
カフェ・オ・レ片手に香緒さんは尋ねる。
「明後日には日本に出発する。スケジュール詰まってるしな。戻った途端に仕事漬けだ」
「そっか。その割に楽しそうだけど、何かいい事でもあった?」
司さんは少しだけ驚いたように一瞬目を開き、それから「何にもねーよ」と返した。
「そう」
あえてそれ以上は何も聞かず、香緒さんはカップに口を付けた。
機内で出た軽食をほとんど食べられず、腹が減っていた俺の前にはブレックファーストが置かれていて、朝飯に付き合えと言った司さんはエスプレッソをすすっている。
初めて食べる本場のクロワッサンはかなり美味しくて、「うまっ!」と声が出る。
「僕にも一口ちょうだい?」
そう言われ、俺はちぎったクロワッサンを香緒さんの口に放り込んだ。視線を感じ反対側を向くと、司さんはテーブルに頬をついてニヤニヤとこちらを見ていた。
「見せつけてくれるねぇ」
はっとして、慌てて「そんなつもりは……」と言いかけたところで、香緒さんに遮られる。
「そうだよ?」
にっこりと笑いながら司さんを見ている香緒さんに、俺は内心ヒヤヒヤしていた。司さんはそれに、ふっと息を漏らしたかと思うと笑っている。
何か……。司さん、変わった?
これが本当の姿なのかも知れないけど、前に会った時とは別人のようだ。なんだかちょっと認められたような気分になり、嬉しくもある。俺はリラックスした司さんの表情を見て何となくそう思った。
しばらくすると香緒さんは席を立ち、2人きりになる。俺の朝食もあとはコーヒーを残すのみとなり、カップに口を付けたタイミングで司さんは口を開く。
「なぁ、お前、香緒とはもうやったのか?」
「んんっっ!」
コーヒーが気管に入りそうになり、軽くむせる。ゴホゴホ言う俺をみて、司さんは笑い声で続けた。
「その調子じゃあ、まだ手は出してないんだな」
ようやく落ち着くと、カップに目を落としたまま俺は答える。
「悪い、ですか?」
「いや~?ただ、あんなキスシーン見せつけといてなぁ……と思って」
軽い口調でそう言われ、俺は赤面していくのを隠すようにコーヒーを流し込んだ。
「見てたんですね」
「あぁ。最初から最後までバッチリな」
そう言って愉快そうに喉を鳴らして司さんは笑っている。
前の撮影の時に、嫉妬心に駆られ香緒さんにキスをした。それを最初から見ていながら、まるで見てませんでしたみたいな涼しい顔してあの時現れた。
本当にこの人は人が悪い……と思いながらも、今ではなんだか嫌いにはなれない。それに今は、何故か距離が縮まったかのような気もした。
「俺、怖いんです。一度触れてしまったら、歯止めが効かなくなるんじゃないかって……」
素直に俺が思っている事を口にすると、少し驚いたような顔をしながらも「若いねぇ」としみじみと言った。
「やるもやらないも、好きにすりゃいいと思うけど。まぁ、身体を重ねてみて初めてわかる事もあるけどな」
司さんは、なんとなく自分に言い聞かせるように宙を見つめてそう呟いた。なんだか切なさも含んでいるようなその台詞に、司さんの意外な一面を見たような気がした。
俺がそう思いながら黙っていると、司さんは急に俺の背中をバンっと叩き「ま、頑張れよ!」と茶化すように言った。
「何が頑張れなの?」
背後から香緒さんの声が聞こえて振り返ると、不思議そうな顔で俺達を眺めている。
「なんでもねーよ」
笑いを堪えているような表情で司さんは答える。俺も頑張れの内容を話すわけにもいかず、苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「……変なの」
香緒さんはそう言って、腑に落ちないと言う表情を見せている。その顔を見て、司さんは話題を変えるかのように「ほら。行くぞ」と立ち上がった。
「せっかくだから市内を案内がてら走ってやるよ」
そう言いつつ香緒さんの背中を押し歩き出す。そして、俺もそのあとに続いた。
司さんは『わざわざ借りて来てやった』と言うレンタカーに俺達を乗せ走り出した。さっきとは違い、後部座席に香緒さんと2人並んで座り車窓を眺める。
凱旋門の横を走ったり、エッフェル塔の近くまで行ったり、有名な美術館や宮殿など、途中で香緒さんが「ほんとベタだねぇ」と笑い出すくらいに有名なところを見せてくれた。車の中からだけど。
かなり長い間走り、ようやく住宅街らしきエリアにやってくると車は停まった。
香緒さんは何も言わずシートベルトを外していて、それを見て俺は降りるのか、と思い同じようにシートベルトを外した。司さんはもう車から降りていて、トランクを開けていた。
香緒さんの実家に着いたのか……と思うと急に緊張が走った。そんな俺とは反対に、軽やかに香緒さんは車を降りて行く。
馬鹿にみたいに緊張する必要はないと思いつつ、学生時代が短かった俺は友達の家に遊びに行くこと自体が数える程で、どうしていいのかわからないと言うのが本当のところだ。
それに、どうしてもここで最初にやるべきことがある。ここに来る前に心に決めていたことが。
ふうっと息を吐くと俺は車から降りた。すでに歩道には俺達のスーツケースが置かれていて、香緒さんは司さんのそばで何か話をしていた。
「ありがとう司。本当に寄って行かないの?」
「あぁ、顔出したばっかだしな。祥子さんの顔はともかく、あいつの顔を何度も見たくねーよ」
司さんは、そう冗談めかして笑いながら言い、そして香緒さんを引き寄せると軽く頰にキスを落とした。
「じゃ、また日本で」
「うん。またね」
司さんは香緒さんからのキスのお返しを受け取り、そして俺に視線を向けた。
「じゃあな」
「色々とありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「ま、頑張れよ。武琉」
「……はい」
司さんは俺達に背を向けて、後ろ手にヒラヒラ手を振るとそのまま車に乗り込み、あっと言う間に去って行った。俺達はその車が小さくなるまで見送っていた。
丸いテーブル席に案内され座るが、3人のためどう頑張っても司さんの隣になる。仕方なく席に着くが、司さんは気にする事もなく、座席にもたれ掛かり長い足を投げ出していた。
「司はいつまでいるの?」
カフェ・オ・レ片手に香緒さんは尋ねる。
「明後日には日本に出発する。スケジュール詰まってるしな。戻った途端に仕事漬けだ」
「そっか。その割に楽しそうだけど、何かいい事でもあった?」
司さんは少しだけ驚いたように一瞬目を開き、それから「何にもねーよ」と返した。
「そう」
あえてそれ以上は何も聞かず、香緒さんはカップに口を付けた。
機内で出た軽食をほとんど食べられず、腹が減っていた俺の前にはブレックファーストが置かれていて、朝飯に付き合えと言った司さんはエスプレッソをすすっている。
初めて食べる本場のクロワッサンはかなり美味しくて、「うまっ!」と声が出る。
「僕にも一口ちょうだい?」
そう言われ、俺はちぎったクロワッサンを香緒さんの口に放り込んだ。視線を感じ反対側を向くと、司さんはテーブルに頬をついてニヤニヤとこちらを見ていた。
「見せつけてくれるねぇ」
はっとして、慌てて「そんなつもりは……」と言いかけたところで、香緒さんに遮られる。
「そうだよ?」
にっこりと笑いながら司さんを見ている香緒さんに、俺は内心ヒヤヒヤしていた。司さんはそれに、ふっと息を漏らしたかと思うと笑っている。
何か……。司さん、変わった?
これが本当の姿なのかも知れないけど、前に会った時とは別人のようだ。なんだかちょっと認められたような気分になり、嬉しくもある。俺はリラックスした司さんの表情を見て何となくそう思った。
しばらくすると香緒さんは席を立ち、2人きりになる。俺の朝食もあとはコーヒーを残すのみとなり、カップに口を付けたタイミングで司さんは口を開く。
「なぁ、お前、香緒とはもうやったのか?」
「んんっっ!」
コーヒーが気管に入りそうになり、軽くむせる。ゴホゴホ言う俺をみて、司さんは笑い声で続けた。
「その調子じゃあ、まだ手は出してないんだな」
ようやく落ち着くと、カップに目を落としたまま俺は答える。
「悪い、ですか?」
「いや~?ただ、あんなキスシーン見せつけといてなぁ……と思って」
軽い口調でそう言われ、俺は赤面していくのを隠すようにコーヒーを流し込んだ。
「見てたんですね」
「あぁ。最初から最後までバッチリな」
そう言って愉快そうに喉を鳴らして司さんは笑っている。
前の撮影の時に、嫉妬心に駆られ香緒さんにキスをした。それを最初から見ていながら、まるで見てませんでしたみたいな涼しい顔してあの時現れた。
本当にこの人は人が悪い……と思いながらも、今ではなんだか嫌いにはなれない。それに今は、何故か距離が縮まったかのような気もした。
「俺、怖いんです。一度触れてしまったら、歯止めが効かなくなるんじゃないかって……」
素直に俺が思っている事を口にすると、少し驚いたような顔をしながらも「若いねぇ」としみじみと言った。
「やるもやらないも、好きにすりゃいいと思うけど。まぁ、身体を重ねてみて初めてわかる事もあるけどな」
司さんは、なんとなく自分に言い聞かせるように宙を見つめてそう呟いた。なんだか切なさも含んでいるようなその台詞に、司さんの意外な一面を見たような気がした。
俺がそう思いながら黙っていると、司さんは急に俺の背中をバンっと叩き「ま、頑張れよ!」と茶化すように言った。
「何が頑張れなの?」
背後から香緒さんの声が聞こえて振り返ると、不思議そうな顔で俺達を眺めている。
「なんでもねーよ」
笑いを堪えているような表情で司さんは答える。俺も頑張れの内容を話すわけにもいかず、苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「……変なの」
香緒さんはそう言って、腑に落ちないと言う表情を見せている。その顔を見て、司さんは話題を変えるかのように「ほら。行くぞ」と立ち上がった。
「せっかくだから市内を案内がてら走ってやるよ」
そう言いつつ香緒さんの背中を押し歩き出す。そして、俺もそのあとに続いた。
司さんは『わざわざ借りて来てやった』と言うレンタカーに俺達を乗せ走り出した。さっきとは違い、後部座席に香緒さんと2人並んで座り車窓を眺める。
凱旋門の横を走ったり、エッフェル塔の近くまで行ったり、有名な美術館や宮殿など、途中で香緒さんが「ほんとベタだねぇ」と笑い出すくらいに有名なところを見せてくれた。車の中からだけど。
かなり長い間走り、ようやく住宅街らしきエリアにやってくると車は停まった。
香緒さんは何も言わずシートベルトを外していて、それを見て俺は降りるのか、と思い同じようにシートベルトを外した。司さんはもう車から降りていて、トランクを開けていた。
香緒さんの実家に着いたのか……と思うと急に緊張が走った。そんな俺とは反対に、軽やかに香緒さんは車を降りて行く。
馬鹿にみたいに緊張する必要はないと思いつつ、学生時代が短かった俺は友達の家に遊びに行くこと自体が数える程で、どうしていいのかわからないと言うのが本当のところだ。
それに、どうしてもここで最初にやるべきことがある。ここに来る前に心に決めていたことが。
ふうっと息を吐くと俺は車から降りた。すでに歩道には俺達のスーツケースが置かれていて、香緒さんは司さんのそばで何か話をしていた。
「ありがとう司。本当に寄って行かないの?」
「あぁ、顔出したばっかだしな。祥子さんの顔はともかく、あいつの顔を何度も見たくねーよ」
司さんは、そう冗談めかして笑いながら言い、そして香緒さんを引き寄せると軽く頰にキスを落とした。
「じゃ、また日本で」
「うん。またね」
司さんは香緒さんからのキスのお返しを受け取り、そして俺に視線を向けた。
「じゃあな」
「色々とありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「ま、頑張れよ。武琉」
「……はい」
司さんは俺達に背を向けて、後ろ手にヒラヒラ手を振るとそのまま車に乗り込み、あっと言う間に去って行った。俺達はその車が小さくなるまで見送っていた。
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