天使に出会った日

玖羽 望月

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「ここ……ですか?」

連れてこられた場所が意外過ぎて、俺は戸惑いながら車を降りる。

「興味なかった?僕は結構好きなんだけど」
「興味ないわけじゃないんですけど、来たの初めてで……」

そう話している間も、時折ゴォーっとエンジンの音が聞こえてきた。

「展望デッキでコーヒー飲みながら眺めるのもいいし、夜も綺麗だからご飯を食べて帰るのもいいかなぁ」
「空港って、飛行機乗るだけじゃないんですね。知らなかった」

迷いなく歩く香緒さんの横に俺は並び、空港の方へ向かう。俺は飛行機に乗ったこともなければ、空港に来たのも初めてだ。空港に遊びに、なんて発想は今までなかった。

空港内は自分が想像していたより人が多くて、店もたくさんあった。

「そうだ!武琉用のスーツケース見に行こうよ。僕のを貸してもいいけどせっかくだからね」

なかば強引に腕を取られ引っ張って行かれる。香緒さんはだいたいどの辺りに店があるのか分かっているらしく、案内板など見ることもなく進んでいく。
隣で俺の腕にしがみつきはしゃぐ香緒さんを見て、『可愛いなぁ』と思ってしまったのは黙っておいた。

所々で寄り道しつつ、ようやくスーツケースの並んだ店にたどり着く。何がいいのか分からない俺に、店員さん以上に詳しく説明してくれた。

「俺、これにします」

そう言って選んだのは、香緒さんの車の色に似た深いブルーのスーツケースだ。

「うん。僕もこれ好きだな」

支払いを済ませて品物は配送にしてもらい店を後にした。

「良かった。いいのが見つかって」
「ですね。次はどうしますか?」
「希海と響にお土産でも買おうかなぁ」

そう言われ、次は食べ物の並ぶ店を散策する事にした。

こうして2人で歩いていて気づいた事がある。

「香緒さんて、自分の欲しいものってないんですか?」

さっきから、店を見て回っては「これ響が好きそう」とか「希海に似合いそう」と口にする事はあっても、自分が欲しいとは言わないのだ。

「そう言われてみれば……ないかも」

うーんと考えるような様子でそう言って香緒さんは顔を上げる。

「一番欲しかったものは手に入ったから、他に欲しいものが浮かばないんだよ」

香緒さんは俺にそう言って笑いかけた。



「うわっ……。すげー……」

早めに空港内のレストランで夕食を終え、陽の沈んだ展望デッキに2人でやって来た。初めて見る夜の空港に、思わず俺はそう口にしていた。

規則的に並ぶ青いランプに、白や緑や赤のランプが散りばめられていて幻想的な雰囲気を醸し出している。ライトに照らされた大きな機体がゆっくり近づいたかと思うと、轟音とともに加速して目の前で飛びたって行った。

「あんなに大きいんですね」

遥か上空を飛ぶ飛行機しか見たことなかった俺はその大きさに驚きながら空に上がって行く機体を目で追った。

「凄いよね。何で飛ぶんだろうね」

隣で同じように空を見上げて香緒さんは言った。次々と飛行機がやって来て空へ飛びたって行くのを、俺は子供のように無心で眺めていた。

「なんかさ、飛行機が飛んで行くのを見てると、自分の心まで空へ飛びたって行くような気がして好きなんだ」
「何となく分かります……。そんな気、します」

俺が視線を空から香緒さんに戻しそう言うと、香緒さんは嬉しそうな顔でこちらを見ていた。

「座ろっか」

そう促され、俺たちはデッキにあるベンチに並んで座った。テイクアウトしたアイスコーヒーを飲みながら、俺は口を開いた。

「あの。話、なんですけど……」
「うん」
「俺、ちゃんと料理の勉強したくて、資格を取りたいと思ってるんです。色々調べたんですけど、思ってるよりお金かかるみたいで……」

そこまで言うと俺は再びコーヒーを口に含む。香緒さんは黙って俺の話を聞いてくれていた。

「だから、また働こうと思うんです。前してたような仕事だったら俺にも出来るし、それでお金貯めようと思ってて。でも今みたいに家のことができなくなって皆に迷惑かけてしまうから。悩んでます」

俺は香緒さんの方を見れず、俯いたままそう告白した。

しばらく沈黙が訪れ、気まずい空気が俺たちの間に流れているような気がする。

「僕は、反対だな」
「えっ?」

思わぬ返事が聞こえ、反射的に顔を上げ香緒さんを見る。

「だから、僕は反対」

真剣な眼差しで香緒さんはこちらを見ていた。

「な、んで……?」

思いがけない反対に驚いて俺はそう言うのが精一杯だった。そんな俺とは反対に、香緒さんは静かに口を開いた。

「前やってた仕事って、力仕事だよね?これから料理の道に進もうとしてるのに、もし怪我でもしたらどうするの?」
「……それは……」
「だから、仕事してお金貯めるのは反対。もしも怪我をしたら後悔するのは武琉だよ?」

俺を真っ直ぐに見て香緒さんは続ける。

「きっと武琉は、僕がお金を出すって言っても受け取らないだろうから、出世払いで貸すって言うのはどう?勉強だけして終わりじゃないでしょ?いつかレストランなんかで働くこともできるよね。そうなったら返してくれればいいから」

そう言って、香緒さんはふわっと笑う。

「だから、武琉は好きなことをして?僕はいつだって応援するから」

不覚にも泣きそうになるのを堪えながら、人の目も気にせず香緒さんを抱き寄せる。

「ありがとう。香緒さん」

そう言うのが精一杯で、次の言葉が続かない。

俺の事を手放しで応援するなんて言ってくれる人に出会えて幸せだ。その幸せを実感するように、ギュッと力を込めると、それに答えるかのように背中に回った香緒さんの腕にも力が入った。

「俺、香緒さんの隣で胸を張って立っていられるように頑張ります。だから、これからもずっと俺のこと見てて下さい」
「うん。ずっとずっと見てるからね。武琉が活躍するのを」

悩んでいたのが嘘のように心は晴々としていた。これからどんな事があっても、この人が俺の側にいてくれるだけで、きっと乗り越えられる。俺にはそれが何よりも嬉しかった。
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