天使に出会った日

玖羽 望月

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「おい!お前調子に乗ってんじゃねえぞ」

2人から離れ、そっとスタジオの角へ移動しようとした俺に立ちはだかったのは響だった。

「調子になんて乗ってない」

いまだに俺に打ち解けることなく、響は不機嫌な様子を隠す事なく突っかかってくる。

「香緒にあんな顔させるの、希海だけだと思ってたのに」

悔しさとも取れる表情で、響は独り言のように小さく呟いた。

俺は正直、いつも笑顔で接してくれる香緒さんしか知らない。俺にとって香緒さんはいつも笑顔を向けてくれる優しい人だ。響にとってはそうじゃないのだろうか。俺は不思議に思った。

そろそろ撮影が始まるのだろうか。スタジオの中のスタッフが、それぞれの場所へ移動を始めた。

「武琉!」

カメラ片手に希海さんが近づいてくる。

「ちょっと撮影を手伝ってくれないか」
「俺がですか?」

力仕事でもあるのだろうか。俺に出来る事なら喜んで手伝うが……。

「なに、香緒の横に立ってくれればいい。衣装はすぐ用意する。着替えてこい」
「着替え?どういう事ですか?」
「顔は撮らない。だが立ち姿が欲しい。お前は香緒と一緒に並んでくれればそれでいい」

淡々と伝えられた、思ってもいなかった内容に、俺は頭がついていかない。
まだ呆然としていた俺は、促されるままにスタッフの1人に連れられ別室へ向かった。

用意されていたのは、おそらく花婿が着るだろうグレーのタキシード。

「じゃあこれに着替えたらこっちに戻って来てください」
「はい……」

女性スタッフから衣装を受け取ると、部屋の中のパーテーションの向こうに向かった。今までスーツすら着たことがなかったのに、いきなりのタキシードで、着るだけで緊張してしまう。着替えが終わると、今度はされるがままに髪を整えられスタジオに戻った。

「うん。思ってた以上に似合ってる。ね?希海」
「あぁ」

手放しに褒められて、俺はより緊張する。多分今の俺の顔はかなり引きつっていることだろう。顔は撮らなくて正解だ。

「じゃ、始めるぞ」

その声を合図に撮影は開始された。

セットの正面に香緒さん。俺はカメラに背を向けて香緒さんの前に立った。

「じゃあさっきみたいにちょっと動いて見ようか」

そう促され、俺は香緒さんの手をとった。俺は動きながら、ドレスの裾を踏むんじゃないかとつい下を向いてしまう。

「武琉、こっちを見て」

囁くように香緒さんの声がする。

「すみません。俺こんなこと慣れなくて」

ゆっくり動きながら香緒さんの方を見る。目の前には香緒さんの顔があって、思わずどきりと心臓が鼓動した。

「じゃあ……。ちょっとだけ目をつぶって想像して」

香緒さんに言われるまま俺は目を閉じる。香緒さんは俺の背中に手を回し抱きしめた。そして頰には香緒さんの頰が当たっている気配がした。

「最愛の人との結婚式。今世界一幸せだなぁって心から感じてるところ。どうかな?」

香緒さんのハスキーな声が俺の耳を擽る。聞いているだけで何故かとても落ち着いて、温かい気持ちになった。

しばらくすると、スッと頰から温もりが離れる。目を開けると、そこには香緒さんの優しい眼差しがあった。

「……ありがとうございます。ちょっと緊張解けました」

まるで2人だけの世界みたいだ。
遠くに聞こえるシャッターの音も気にならない。

「ではリードしていただけますか?」

香緒さんが手を差し出す。

「はい」

俺はその手を、幸せな気分でとった。

「香緒、視線こっち!そうだ。あぁ、いい顔だ」

希海さんがカメラを向けながら香緒さんに指示を送る。くるくると表情を変える香緒さんに俺は圧倒されるばかりだ。俺はスタッフに誘導されながら立ち位置を変えていた。

そして撮影は動から静へ。

今度は香緒さんの着ている、後ろが長く伸びていて、レースがふんだんに使われているドレスが、床の上に花の様に広げられた。俺は香緒さんの斜め前から近づいたり少し離れたりを指示され、その通りに動いた。

「武琉って体格もいいし、姿勢いいよね」
「あまり意識したことないですけど……」

中学を出てから体を使う仕事ばかりしていたので、鍛えようとしていたわけではないが、必然的に筋肉はついた。最近は体を使うことが少なくなったので、ちょっとずつジョギングを始めたばかりだった。

「意外と姿勢よくするって難しいよ。筋肉がついてないと保てないし。僕はジム行って何とかかなぁ。武琉も今度一緒に行こうよ」
「そうなんですね。俺でよければ一緒に行きますよ」

たわいもない会話をしている側で、希海さんはひたすら動き回りシャッターを切っていた。
しばらくして、希海さんはカメラを下ろすと、「一旦チェックする」と告げ、パソコンの置いてあるブースへ向かって行った。

「お疲れ様。僕は一緒にチェックしに行くけど、武琉は休憩してて。空いてる席に座っててくれていいから。飲み物も誰かに持って行って貰うね」

そう香緒さんは言うと、ドレスの裾を持ち上げ踵を返す。その後ろ姿を見ていると、忘れていた何かを思い出しそうな、そんな気持ちが沸き上がった。


──…ちゃん!行かないで!


幼い頃、俺は誰かにこう言ったような気がする。白いドレスを着ていたあれは一体誰だ……?

「あのっ……」

遠慮がちに女性スタッフに声を掛けられ、俺はハッとする。

「これどうぞ」

差し出された水を受け取ると、俺は後方の空いている席に向かった。反対側に目を向けてると、モニターを眺めながら話している希海さんと香緒さんと、そして響の姿があった。

少しは役に立てただろうか……

そう思いながらボトルを開け、俺は水を口に含んだ。

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