偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています

玖羽 望月

文字の大きさ
上 下
55 / 60
番外編 酸いも甘いも

side 健二1

しおりを挟む
 倉木久美は俺の幼なじみ。学年は1つ上。年齢で言えば1年と5ヶ月離れている。けれど、俺たちの間には年齢だけじゃない差があった。どう足掻こうが縮まらない。俺はそう思っていた。
 それに気づいたのは自分が中学生になってからだ。それまでは年齢なんて気にしなかったのに、突然放り込まれる先輩後輩という枠組み。久美は俺が気軽に話しかけていいような存在ではなくなっていた。

「健二! お弁当。おばさんに届けてって頼まれた」

 中学に上がりしばらく経った頃、久美が俺のクラスにやってきた。

「悪りぃ。助かった」
「どういたしまして。じゃね」

 授業の間の短い休憩時間だったからか、用事を済ますと久美はさっさと行ってしまう。
 そのとき、クラスのヤツらがヒソヒソと話す声が耳に届いた。

「あれ、2年の倉木先輩だよね。美人~」
「うわ、鮎川のやつ、先輩とどんな関係だよ。羨ましい~」

 確かに昔から久美は大人びた顔をしていた。けれど中身は年相応。アニメや漫画を見て大口開けて笑うこともあるし、寝転がってスナック菓子を食べることだってあった。
 それを知っているという優越感に浸りつつも、急に久美が自分には手の届かない高嶺の花になったような気がした。
 それから俺は、学校で会っても素っ気ない態度しか取れなくなっていた。それは、久美を追いかけ同じ高校に入学しても変われずにいた。

 ――のちにそれを後悔することになるのに。

「家を……出る?」

 久美が都内の大学を目指してずっと勉強していたのは知っていた。会社を経営している家の一人娘。いずれ会社を継ぎたいから経済学部に進むと本人から聞いていた。
 だが、まさか一人暮らしを考えていたなんて知らなかった。その話を教えてくれたのは、俺がおっちゃんと呼ぶ久美の父だった。

「卒業後はまた家に戻ってうちに就職する、なんて言ってるがな。今のうちに一人で生活してみたいんだと。健坊も寂しくなるな」

 おっちゃんの好きな将棋の相手をしているとそんな話を聞かされてしまう。

「別に。口うるさいやつが居なくて静かになるって」

 本当は動揺していたのに、高校生の俺は心にもないことを返す。

「それでいいのかい?」
「えっ?」

 次の一手を打った途端、おっちゃんは静かに尋ねた。

 まさか……知ってんのか?

 穏やかに笑みを浮かべてじっと俺を見るおっちゃんに、気持ちを見透かされたような気分になる。なんと返せばいいかわからず口を閉ざしていると、おっちゃんは口角を上げ盤面に視線を落とした。

「王手」

 パチッと気持ちの良い音を立て駒が置かれると、ようやく自分が何をしたのか気づいた。動揺しながら放った一手はあり得ない悪手。むざむざとやられに行ったようなものだ。

「久しぶりに勝てたなぁ。このところ健坊には負けっぱなしだったからな」

 おっちゃんはしみじみとそんなことを言う。その顔が満足気で余計に悔しい。

「人生ってのは、良い時もあれば悪い時もある。勝ちが簡単に転がり込んでくることもあれば、ひょんなことで勝ってしまうこともある。そんなものだ」

 俺の人生はやっと17年。おっちゃんの言うことを実感するような出来事はあまりない。けれど、何故かそれが胸にしみた。

 ――それから10年以上が経ち、あの時の言葉が蘇っていた。
 
「俺と結婚してくれねぇ?」

 好きだと言う前に口をついたのはこんな台詞だった。正直自分でも驚いたが、久美はもっと驚いていた。

「なっ、なんで? 結婚? 私、離婚したばっかりだって!」
「だからだよ。もう他のヤツに掻っ攫われるのはごめんだ」

 何も告げられないまま久美は巣立って行った。いずれ帰るだろうと高を括っていた俺の元に届けられたのは結婚式の招待状。
 『好きだ』と言ったところで何も変わらなかったかも知れない。けれど、言えなかったという後悔は俺を荒れさせるには充分だった。
 手当たり次第女と付き合い、二股三股なんてしょっちゅう。誰にも本気になれず、やれればそれでいいなんて酷いことをしてきた。
 でも虚しさが募るだけで、久美のことを忘れることはできなかった。

「ちょっ、と、待って……」

 躙り寄る俺を押し返すように肩に手が触れる。久美は動揺しながらも俺をまっすぐ見つめ返した。

「私。夫に浮気されたのよ。だから……恋愛も結婚こりごりだって思ってて……」
「うん。……で?」

 肩に触れている手を掴むと下ろしてほっそりした手を握る。払い除けられるかもと思ったが、久美は素直にその手を握り返してくれた。

「これから冬弥を育てていかなきゃいけないし、お父さんの会社のことも覚えなきゃいけない。それに……」

 そこで口を閉ざすと久美は目蓋を伏せ、その表情に暗い影を落とした。

「わかった。結婚は飛躍しすぎたな。俺は別にこだわってるわけじゃねぇ。ただ手の届く場所にいて欲しいだけだ。それならどうだ?」

 視線を外したままの久美に尋ねる。久美はしばらく考えたあと、ゆっくり頷き俺を見上げた。

「……いる。健二がもういいって言うまでは」
「言わねえよ。もう30年いるのに今更言うか」

 小さく笑いながら、俺は初めて久美唇に触れていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

クリスマスに咲くバラ

篠原怜
恋愛
亜美は29歳。クリスマスを目前にしてファッションモデルの仕事を引退した。亜美には貴大という婚約者がいるのだが今のところ結婚はの予定はない。彼は実業家の御曹司で、年下だけど頼りになる人。だけど亜美には結婚に踏み切れない複雑な事情があって……。■2012年に著者のサイトで公開したものの再掲です。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

世界くんの想うツボ〜年下御曹司との甘い恋の攻防戦〜

遊野煌
恋愛
衛生陶器を扱うTONTON株式会社で見積課課長として勤務している今年35歳の源梅子(みなもとうめこ)は、五年前のトラウマから恋愛に臆病になっていた。そんなある日、梅子は新入社員として見積課に配属されたTONTON株式会社の御曹司、御堂世界(みどうせかい)と出会い、ひょんなことから三ヶ月間の契約交際をすることに。 キラキラネームにキラキラとした見た目で更に会社の御曹司である世界は、自由奔放な性格と振る舞いで完璧主義の梅子のペースを乱していく。 ──あ、それツボっすね。 甘くて、ちょっぴり意地悪な年下男子に振り回されて噛みつかれて恋に落ちちゃう物語。 恋に臆病なバリキャリvsキラキラ年下御曹司 恋の軍配はどちらに? ※画像はフリー素材です。

処理中です...