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番外編 酸いも甘いも
side 健二1
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倉木久美は俺の幼なじみ。学年は1つ上。年齢で言えば1年と5ヶ月離れている。けれど、俺たちの間には年齢だけじゃない差があった。どう足掻こうが縮まらない。俺はそう思っていた。
それに気づいたのは自分が中学生になってからだ。それまでは年齢なんて気にしなかったのに、突然放り込まれる先輩後輩という枠組み。久美は俺が気軽に話しかけていいような存在ではなくなっていた。
「健二! お弁当。おばさんに届けてって頼まれた」
中学に上がりしばらく経った頃、久美が俺のクラスにやってきた。
「悪りぃ。助かった」
「どういたしまして。じゃね」
授業の間の短い休憩時間だったからか、用事を済ますと久美はさっさと行ってしまう。
そのとき、クラスのヤツらがヒソヒソと話す声が耳に届いた。
「あれ、2年の倉木先輩だよね。美人~」
「うわ、鮎川のやつ、先輩とどんな関係だよ。羨ましい~」
確かに昔から久美は大人びた顔をしていた。けれど中身は年相応。アニメや漫画を見て大口開けて笑うこともあるし、寝転がってスナック菓子を食べることだってあった。
それを知っているという優越感に浸りつつも、急に久美が自分には手の届かない高嶺の花になったような気がした。
それから俺は、学校で会っても素っ気ない態度しか取れなくなっていた。それは、久美を追いかけ同じ高校に入学しても変われずにいた。
――のちにそれを後悔することになるのに。
「家を……出る?」
久美が都内の大学を目指してずっと勉強していたのは知っていた。会社を経営している家の一人娘。いずれ会社を継ぎたいから経済学部に進むと本人から聞いていた。
だが、まさか一人暮らしを考えていたなんて知らなかった。その話を教えてくれたのは、俺がおっちゃんと呼ぶ久美の父だった。
「卒業後はまた家に戻ってうちに就職する、なんて言ってるがな。今のうちに一人で生活してみたいんだと。健坊も寂しくなるな」
おっちゃんの好きな将棋の相手をしているとそんな話を聞かされてしまう。
「別に。口うるさいやつが居なくて静かになるって」
本当は動揺していたのに、高校生の俺は心にもないことを返す。
「それでいいのかい?」
「えっ?」
次の一手を打った途端、おっちゃんは静かに尋ねた。
まさか……知ってんのか?
穏やかに笑みを浮かべてじっと俺を見るおっちゃんに、気持ちを見透かされたような気分になる。なんと返せばいいかわからず口を閉ざしていると、おっちゃんは口角を上げ盤面に視線を落とした。
「王手」
パチッと気持ちの良い音を立て駒が置かれると、ようやく自分が何をしたのか気づいた。動揺しながら放った一手はあり得ない悪手。むざむざとやられに行ったようなものだ。
「久しぶりに勝てたなぁ。このところ健坊には負けっぱなしだったからな」
おっちゃんはしみじみとそんなことを言う。その顔が満足気で余計に悔しい。
「人生ってのは、良い時もあれば悪い時もある。勝ちが簡単に転がり込んでくることもあれば、ひょんなことで勝ってしまうこともある。そんなものだ」
俺の人生はやっと17年。おっちゃんの言うことを実感するような出来事はあまりない。けれど、何故かそれが胸にしみた。
――それから10年以上が経ち、あの時の言葉が蘇っていた。
「俺と結婚してくれねぇ?」
好きだと言う前に口をついたのはこんな台詞だった。正直自分でも驚いたが、久美はもっと驚いていた。
「なっ、なんで? 結婚? 私、離婚したばっかりだって!」
「だからだよ。もう他のヤツに掻っ攫われるのはごめんだ」
何も告げられないまま久美は巣立って行った。いずれ帰るだろうと高を括っていた俺の元に届けられたのは結婚式の招待状。
『好きだ』と言ったところで何も変わらなかったかも知れない。けれど、言えなかったという後悔は俺を荒れさせるには充分だった。
手当たり次第女と付き合い、二股三股なんてしょっちゅう。誰にも本気になれず、やれればそれでいいなんて酷いことをしてきた。
でも虚しさが募るだけで、久美のことを忘れることはできなかった。
「ちょっ、と、待って……」
躙り寄る俺を押し返すように肩に手が触れる。久美は動揺しながらも俺をまっすぐ見つめ返した。
「私。夫に浮気されたのよ。だから……恋愛も結婚こりごりだって思ってて……」
「うん。……で?」
肩に触れている手を掴むと下ろしてほっそりした手を握る。払い除けられるかもと思ったが、久美は素直にその手を握り返してくれた。
「これから冬弥を育てていかなきゃいけないし、お父さんの会社のことも覚えなきゃいけない。それに……」
そこで口を閉ざすと久美は目蓋を伏せ、その表情に暗い影を落とした。
「わかった。結婚は飛躍しすぎたな。俺は別にこだわってるわけじゃねぇ。ただ手の届く場所にいて欲しいだけだ。それならどうだ?」
視線を外したままの久美に尋ねる。久美はしばらく考えたあと、ゆっくり頷き俺を見上げた。
「……いる。健二がもういいって言うまでは」
「言わねえよ。もう30年いるのに今更言うか」
小さく笑いながら、俺は初めて久美唇に触れていた。
それに気づいたのは自分が中学生になってからだ。それまでは年齢なんて気にしなかったのに、突然放り込まれる先輩後輩という枠組み。久美は俺が気軽に話しかけていいような存在ではなくなっていた。
「健二! お弁当。おばさんに届けてって頼まれた」
中学に上がりしばらく経った頃、久美が俺のクラスにやってきた。
「悪りぃ。助かった」
「どういたしまして。じゃね」
授業の間の短い休憩時間だったからか、用事を済ますと久美はさっさと行ってしまう。
そのとき、クラスのヤツらがヒソヒソと話す声が耳に届いた。
「あれ、2年の倉木先輩だよね。美人~」
「うわ、鮎川のやつ、先輩とどんな関係だよ。羨ましい~」
確かに昔から久美は大人びた顔をしていた。けれど中身は年相応。アニメや漫画を見て大口開けて笑うこともあるし、寝転がってスナック菓子を食べることだってあった。
それを知っているという優越感に浸りつつも、急に久美が自分には手の届かない高嶺の花になったような気がした。
それから俺は、学校で会っても素っ気ない態度しか取れなくなっていた。それは、久美を追いかけ同じ高校に入学しても変われずにいた。
――のちにそれを後悔することになるのに。
「家を……出る?」
久美が都内の大学を目指してずっと勉強していたのは知っていた。会社を経営している家の一人娘。いずれ会社を継ぎたいから経済学部に進むと本人から聞いていた。
だが、まさか一人暮らしを考えていたなんて知らなかった。その話を教えてくれたのは、俺がおっちゃんと呼ぶ久美の父だった。
「卒業後はまた家に戻ってうちに就職する、なんて言ってるがな。今のうちに一人で生活してみたいんだと。健坊も寂しくなるな」
おっちゃんの好きな将棋の相手をしているとそんな話を聞かされてしまう。
「別に。口うるさいやつが居なくて静かになるって」
本当は動揺していたのに、高校生の俺は心にもないことを返す。
「それでいいのかい?」
「えっ?」
次の一手を打った途端、おっちゃんは静かに尋ねた。
まさか……知ってんのか?
穏やかに笑みを浮かべてじっと俺を見るおっちゃんに、気持ちを見透かされたような気分になる。なんと返せばいいかわからず口を閉ざしていると、おっちゃんは口角を上げ盤面に視線を落とした。
「王手」
パチッと気持ちの良い音を立て駒が置かれると、ようやく自分が何をしたのか気づいた。動揺しながら放った一手はあり得ない悪手。むざむざとやられに行ったようなものだ。
「久しぶりに勝てたなぁ。このところ健坊には負けっぱなしだったからな」
おっちゃんはしみじみとそんなことを言う。その顔が満足気で余計に悔しい。
「人生ってのは、良い時もあれば悪い時もある。勝ちが簡単に転がり込んでくることもあれば、ひょんなことで勝ってしまうこともある。そんなものだ」
俺の人生はやっと17年。おっちゃんの言うことを実感するような出来事はあまりない。けれど、何故かそれが胸にしみた。
――それから10年以上が経ち、あの時の言葉が蘇っていた。
「俺と結婚してくれねぇ?」
好きだと言う前に口をついたのはこんな台詞だった。正直自分でも驚いたが、久美はもっと驚いていた。
「なっ、なんで? 結婚? 私、離婚したばっかりだって!」
「だからだよ。もう他のヤツに掻っ攫われるのはごめんだ」
何も告げられないまま久美は巣立って行った。いずれ帰るだろうと高を括っていた俺の元に届けられたのは結婚式の招待状。
『好きだ』と言ったところで何も変わらなかったかも知れない。けれど、言えなかったという後悔は俺を荒れさせるには充分だった。
手当たり次第女と付き合い、二股三股なんてしょっちゅう。誰にも本気になれず、やれればそれでいいなんて酷いことをしてきた。
でも虚しさが募るだけで、久美のことを忘れることはできなかった。
「ちょっ、と、待って……」
躙り寄る俺を押し返すように肩に手が触れる。久美は動揺しながらも俺をまっすぐ見つめ返した。
「私。夫に浮気されたのよ。だから……恋愛も結婚こりごりだって思ってて……」
「うん。……で?」
肩に触れている手を掴むと下ろしてほっそりした手を握る。払い除けられるかもと思ったが、久美は素直にその手を握り返してくれた。
「これから冬弥を育てていかなきゃいけないし、お父さんの会社のことも覚えなきゃいけない。それに……」
そこで口を閉ざすと久美は目蓋を伏せ、その表情に暗い影を落とした。
「わかった。結婚は飛躍しすぎたな。俺は別にこだわってるわけじゃねぇ。ただ手の届く場所にいて欲しいだけだ。それならどうだ?」
視線を外したままの久美に尋ねる。久美はしばらく考えたあと、ゆっくり頷き俺を見上げた。
「……いる。健二がもういいって言うまでは」
「言わねえよ。もう30年いるのに今更言うか」
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