偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています

玖羽 望月

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番外編 酸いも甘いも

side 久美

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 鮎川あゆかわ健二けんじは、家が隣同士の幼なじみ。学年は一つ下で、保育園から高校までずっと一緒だった。
 そんな健二のことを、私は弟くらいにしか思っていなかった。一人っ子だったし、お姉さん風を吹かせたかったのだろう。小さい頃、二人とも医者で留守がちな健二の両親に頼まれてうちで預かることも多く、いつも私は世話を焼きたがった。
 それがいつのまにか変わったのは、健二が中学生になった頃だっただろうか。それまで私より小さいか、同じくらいだった身長は知らない間に抜かされていた。たまにしか会わなくなった健二は、学校で見かけても知らない人みたいに見えた。

 こうやって姉離れしていくのか……

 寂しさを覚えながらも、元々は他人同士。離れていくのは仕方のないことだと自分に言い聞かせた。それに、いずれ自分もここから離れて行くのだからと。
 大学入学と同時に都内で一人暮らしを始め、そこで出会い交際を始めた二つ年上の人と大学卒業と同時に結婚した。そして、23才になって二ヶ月後には出産。
 息子は可愛かったし、子育ては大変だったけど素敵なママ友に助けられ楽しく暮らしていた。
 ――あの日までは。

「久美。冬弥君はもう寝たわよ」
「ありがとう。お母さんも先に寝てね」

 私が生まれる前から変わっていない実家の佇まい。その縁側で一人晩酌をしていると母に声をかけられた。

「あなたもほどほどに」
「うん。わかってる。おやすみ」

 母の背中を見送ったあと、また庭に向いて缶ビールを傾ける。
 長い休みに入ったばかりの夏の夜。静まり返った庭には虫の音だけが響いていた。

 また……心配かけちゃった……

 グビッとビールを飲むと、いつもより苦々しく感じる液体が喉を伝う。
 結婚するとき、『何もこんなに早く結婚しなくても』と一番心配していたのは母だった。けれどそこは若気の至りと言うべきなのか、大丈夫だと信じて結婚した。
 もちろん幸せだと感じたときもあった。でも、それはほんの数年で破綻してしまったのだ。
 冬弥むすこには本当のことは話していないし、話すつもりもない。仕事を理由に家庭を顧みることのなかった父親が、実は自分より10才ほど下の女の子と浮気をしていたなんて。
 それを知った私に夫は言った。

『いずれお前の実家の社長になれると思ったが、そう羽振りは良さそうじゃないしな。それに、女は若くて可愛いほうがいい』

 実家は不動産関係の会社を経営している。堅実な父は、バブル期に事業を拡大することもなく、数少ない従業員と自分たちが暮らしていける収入があれば充分だと考えていたようだ。
 夫はそんな父をあまり良く思っていなかった。そして私も、もっと事業を大きくしたらどうかと言う夫に耳を貸さなかった。
 それから入っていった亀裂は、元に戻ることはなかった。

「お。やっぱ久美だ」

 庭に土を蹴る足音がしたかと思うと暗闇からそんな声が聞こえた。まだまだ防犯意識は低く、庭には相変わらず入り放題だ。

「健二? どこのおじさんかと思った」
「うっさい。おじさん言うな。差し入れ持って来てやったのに」

 久しぶりに会ったとは思えない会話をしながら健二は遠慮なく私の隣に腰掛ける。
 見違えるように逞しくなった腕がシンプルな白いTシャツから覗いている。元々彫りが深い顔に整えられた髭。海外のアドベンチャー映画に出てくる俳優みたいだ。
 
「時々来てくれてるんだって? お母さんから聞いてる」

 健二は実の親よりうちの親のほうに懐いていて、未だに様子を伺いに来てくれてると聞いていた。

「まぁ、俺は何もできねぇけど。あと、味見も兼ねて」

 そう言いながら健二はレジ袋からタッパーを取り出している。

「お母さん、いっつも褒めちぎってるわよ。健二の料理美味しいって。あんたがいつのまにかプロの料理人なんてね」
「今度店に食べに来いよ。サービスするし」
「そうね。これから時間もたっぷりあるしね」

 結婚していたときは都内に住んでいた。そう遠く離れていたわけではないが、実家にゆっくり帰ることも少なかったから健二の働く店へ訪れることもできなかった。
 空になった缶を置くとまた次の缶開ける。健二は自分の持ってきた袋から缶を取り出すと、小気味の良い音を立てて開けていた。

「じゃ。乾杯」

 健二は笑顔で開けた缶を差し出す。

「何によ。嫌味ですかね」

 今は乾杯する気分にもならない。ずっと専業主婦で貯金らしい貯金もなく、家を追い出されて実家に舞い戻ってきたばかりなのだから。

「嫌味? なんで?」

 本当に何も知らないのか、健二は訝しんでいるようだ。

「聞いてないの? 離婚して戻って来たって」
「いや。聞いてる。理由までは聞いてねぇけど。ま、お前が悪いわけじゃないんだろ?」

 人は変わるものだ。学生時代はどちらかと言えば品行方正だった私が、そうじゃなくなっているかも知れないのに、健二は当たり前の顔をして言う。

「そんなの、わかんないじゃない」
「いーや。俺にはわかるね」

 そう言って笑いながら、健二は私の持つ缶に無理矢理自分のものを軽くぶつけた。

「凄い自信」

 呆れながら缶を口に運ぶ。健二は勢いよく缶を傾け喉を鳴らしたあとプハァと息を吐いた。

「当たり前だろ。何年一緒にいたと思ってる。ちょっとやそっとでお前が変わるわけねぇよ。だから俺はまだお前のことが諦められねぇ」

 軽い口調で笑いながら言われて、私はそれを聞き流しそうになった。

「って……。どう言う意味?」
「わかんねぇ? ガキの頃からずっと片思いしてんだけど」

 飲もうとしていた缶ビールを止めると、私はポカンと口を開けた。

「は、い?」

 そんな私を見て、健二は思い切り声を上げ笑っている。

「何よ! 変な冗談言わないでよね!」

 一瞬本気にしかけた自分が情け無い。気恥ずかしくなりビールに口をつけようとすると、横から手が伸びそれは奪い取られた。

「冗談なわけあるか。なあ。俺と結婚してくれねぇ?」

 目の前に迫る健二の表情は、さっきと打って変わって真剣だった。
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