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番外編 酸いも甘いも

side 冬弥1

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「冬弥君、眠い?」
「う……ん……」

 ちーちゃんの優しい声がする。もう閉じてしまった瞼を持ち上げることはできず、僕の意識はだんだんと沈んでいっている。
 頭をゆっくり撫でられながら、催眠術にかかったようにどんどん意識は遠ざかった。

「おやすみなさい。いい夢みてね」

 温かいちーちゃんの気配はそこで途切れていた。

 ――って、夢? だった?

 もしかして、これは全て夢オチ、というものだったんだろうか?

 今こんなことを考えているのも、まだ半分夢の中。そんなのは嫌だ。やっと大好きなちーちゃんと一緒にいられるのに。

 意識を取り戻したようにパチリと目が覚めた。周りは薄暗くて、朝なのか昼なのかもわからない。ベッドサイドの間接照明がかろうじて周りの様子を映し出していた。そこでようやく僕はまだ、生まれて初めて訪れたラブホテルにいることを思い出した。

「あ、起きた」

 ほんの数十センチ先にあるちーちゃんの顔は、なんだか驚いている。

「ちーちゃん……?」

 まだ夢なのかと呼びかけると、その顔はニコリと笑顔に変わる。

「おはよう、冬弥君。起こしちゃった?」
「おはよう……。ううん? そんなことないよ?」

 ベッドの中はちゃんと二人分の温かさ。無意識でちーちゃんの体に回していた腕からは体の熱が伝わってきた。

「さっき目が覚めて。私がゴソゴソしてたから起こしちゃったかと思った。よく眠れた? まだ眠いならもうちょっと寝てていいよ?」

 顔の横に置いていた手を伸ばすと、ちーちゃんは僕の顔を確かめるように撫でる。それがとても心地良い。

「凄くスッキリしてる。久しぶりにこんなに眠れたかも」

 ここしばらくは特に眠れなかったから、今日は泥のように眠っていた。うとうとし始めたのは、確かお風呂の中でだ。せっかくちーちゃんと一緒に入ったのに、湯船に浸かっていると猛烈な睡魔に襲われ始めた。

『溺れちゃう!』

 慌ててちーちゃんに引き摺られるようにお風呂から出ると、結局ちーちゃんに身支度を整えてもらった僕はそのままベッドにダイブしたのだった。

 情け無い……

 ようやく蘇ってきた記憶を辿ると居た堪れない。ちーちゃんはさぞかし呆れただろうと決まりが悪くなる。
 けれどそんな僕とは裏腹に、ちーちゃんはニコニコしたまま僕の頰を撫でていた。

「よかった。まだ7時すぎだけど、もう起きる?」
「まだそんな時間なんだ。ちーちゃんは? 眠くない?」
「うん。私も結構熟睡してたみたい」

 僕の頰に手を乗せたままちーちゃんは答える。布団から自分の腕を取り出すと、その手に自分の手を重ねた。

「全部夢だったら……どうしようって不安だった」

 確かに触れているしっとりした肌の感触。それが夢じゃないとわかっていても正直に打ち明ける。

「私も、実はちょっと思っちゃった。けど、さっき冬弥君の寝顔眺めながら顔に触れてたら現実なんだなぁって」
「そっか。夢じゃなくてよかった」

 化粧をしていないちーちゃんは、昔を思い起こさせる可愛らしい顔で笑う。
 そう言えば小学生の頃の夏、夏帆ちゃんの家でプール遊びをしたあと三人でお昼寝してたな、なんて思い出す。時々目を覚ますとちーちゃんの寝顔が目の前にあって、お姫様みたいだとドキドキしながら眺めていた。今思い返すと、あのときすでにちーちゃんのことが好きだったのだ。

「ちーちゃん。あの。もうちょっと近寄ってもいい?」

 顔を見て話せるぶん、僕たちの間には少し隙間が開いている。お互いの温もりは感じるけど、もう少し近づきたいのが本音だ。

「じゃあ、私から近づいてもいい?」

 少し恥ずかしそうに言うちーちゃんに「もちろん」と返事をすると、ちーちゃんは僕の首元に顔を埋めて背中に手を回した。

「冬弥君の匂いがする……」

 そう言ってフフッと笑うちーちゃんの吐息がくすぐったい。

「どんな匂い?」

 僕もちーちゃんの背中に手を回し、そっと撫でながら尋ねた。

「うーん……。日向ぼっこしたあとの犬の匂い? って、嗅いだことないけど」

 ちーちゃんがまた笑うその息が首元を撫で、僕の体に電流を帯びながら走っている気分だ。

「嗅いだことないんだ。……ちーちゃんもとってもいい匂いがするよ? 今だって……」

 シャンプーではない別の、ちーちゃんの香り。それはだんだん強くなっているような気がする。それを確かめるように体を起こすと、ちーちゃんの耳の裏側に鼻を付けた。

「ほら……。凄く甘い……。食べたいくらい……」

 媚薬でも入っているのかも知れない。なんと表現していいのかわからない、ちーちゃんから漂う甘い香りは、僕の頭を痺れさせる。
 首筋に舌を這わせると、ちーちゃんはピクリと反応する。

 可愛いすぎてもう止められない……

「ねぇ。……今から、ちーちゃんを食べてもいい、かな?」

 自分でも自覚してしまう。
 僕は今からきっと、狼になるんだろうな、と。
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