偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています

玖羽 望月

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5.煩悩の犬は追えども去らず

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 蒸し暑い夏の、おそらく人はいないと思われる公園内に驚愕した私の大声が響く。

「う……ん。下手な僕に合わせてくれて嬉しかった。だからちょっと……無理させちゃったよね」

 今の私はとんでもなく間抜けな顔をしていることだろう。口を開きっぱなしにして、シュンと耳を垂らした状態の冬弥君を見上げていた。

「……。い、いやいやいや。そんなことないって! 下手じゃないし無理もしてないって!」

 慌てて冬弥君に言うと、冬弥君は目に見えて顔を綻ばせていた。

「本当?」

 なんか後ろにある幻の尻尾がブンブン振られているのが見えそう。そう思いながら「うん。嘘じゃないから」と少し決まり悪く答えた。
 うっかり、むしろ凄く良かったなんて言いそうになったから。

 誤解を解いた私たちは、場所を移動しようということになった。まだまだ聞きたいことは山ほどあるし、話したいこともたくさんある。

 二人きりになれて、静かで、お腹も満たせそうな場所。それで思いついたのがこの場所っていう自分にドン引きする。きっと冬弥君もそうなんだろうなとその顔を盗み見すると、戸惑いながらも物珍しそうにキョロキョロしていた。
 また繁華街に戻ったはいいけど、もうそれなりに遅い時間。飲み屋は酔っ払いの巣窟だし、カラオケは満室。カフェの類はもちろん閉まっている。かと言って、ここが空いていたのも奇跡的なのかも知れないが。

「ちーちゃん……。その。手慣れてるね……」

 手を繋いで廊下を歩いていると後ろからそんな戸惑った声が聞こえてきた。
 それもそのはず。私が連れ込んだのは、ラブホテルと呼ばれる場所だったからだ。

「やっぱり引く……よね……」
「僕、来たの初めてで……」

 この前が初めてならこんなところに普通は来ないだろう。それにきっと彼女がいたとしても素敵な高級ホテルを選ぶに違いない。ラブホに連れ込んだ自分のほうが痴女みたいに思えてきた。

「えっと。ここに来たのは夏帆とで……」

 言い訳がましく答えながら部屋の扉を開け中に入る。重い扉がガチャリと閉まると冬弥君が驚いてこちらを見ていた。

「え! 夏帆ちゃんと? その……」
「変なこと考えないで! 女子会プランがあるの。昼間に。飲み放題で料理も美味しくて。だから……その……」

 入り口で立ちっぱなしのまま言うと、冬弥君はふんわりと微笑んだ。

「そうなんだ。そういえばちーちゃん、残業だったんだよね? お腹空いてるよね。好きなもの食べて。お酒飲んでもいいからね」

 今度は冬弥君に手を引かれて奥に進む。ビジネスホテルとあまり変わらないような普通の部屋が現れると、握られた手が少し緩む。
 もしかしたら冬弥君は物凄い部屋を想像して緊張していたのかも。そう思うだけで可愛さが増してしまう。
 大きめのソファに並んで座る。ローテーブルには案内用のファイルが置いてあり、冬弥君はそれを手に取った。

「はい。どれにする?」

 開いたファイルのフードメニューを差し出すと、冬弥君は嬉しそうに尋ねた。その顔をまじまじと眺めて、私はようやく気がついた。

「冬弥君……。なんかやつれてない?」
「……えっ!」

 声を上げると冬弥君は慌てたように両手を自分の頰に当てた。そしてそのまま恐る恐るこちらを向いた。

「そんなに……わかる? 夏帆ちゃんにも酷い顔だって言われて。さっきちょっとだけご飯は食べたんだけど……」

 公園は薄暗て全く気づかなかった。でも明るい部屋に入ると、前にはなかった目の下のクマがよく見えた。

「もしかして……私のせい?」

 途端に罪悪感でいっぱいになる。私が何も言わず無言で消えたうえに無視し続けたせいでこうなったのかと。

「ちーちゃんのせい……じゃないよ。自分が悪いんだし」

 視線を逸らして答える冬弥君は本当に変わってない。気まずいとすぐ目を逸らしてしまうんだから。
 私は冬弥君の手をゆっくり剥がすとその頬を自分の両手で包み込んだ。

「ごめん……。冬弥君のことだから、きっと落ち込んで食べられなかったし眠れなかったよね……」

 容易に想像がつき謝ると、冬弥君はそのまま首を振った。

「もういいよ。こうしてちーちゃんと一緒にいられるから」 

 優しい顔で私を見る冬弥君に、私の心拍数は簡単に上がり、体が火照っていくのを自覚した。
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