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5.煩悩の犬は追えども去らず
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半分無理だろうと諦めていたが、小川さんは思いの外頑張ってくれた。
金曜日、朝からスケジュールを組み直し、先方に謝りを入れ、なんとかちゃんとした予定が立った。それに免じて、本来なら常務秘書の仕事だった手土産を買いに出て帰社し、それを仕分けし終えると時間は夜8時すぎだった。
もちろん専務は先に帰っていて、常務に挨拶を済ませると会社を出た。小川さんはさすがに懲りたのか、悲壮な顔で「安さん、色々とありがとうございました」と殊勝な感じで謝ってくれた。
それだけでも、まだ救われたかも知れない。ここ二日間は忙し過ぎて倉木さんのことを考える暇もなかった。けれど休みになればきっと思い出す。モヤモヤとしてイライラもする休日など過ごしたくない。
疲れて回らなくなってきた頭でそんなことを考えながら自宅の最寄り駅から歩く。
夏帆には昨日会えなかったから、今日何時でもいいから付き合ってと連絡したのに、先約があると断られてしまった。この土日に捕まえて話を聞いてもらったら少しは気分も晴れるんだろうかと思いながらトボトボと歩いた。
家に帰る途中にはちょっとした飲み屋が並んでいる。金曜日の夜ともなればあちらこちらから酔っ払いたちの騒がしい声が聞こえてくる。
飲んで帰ろうかな……。酔えるとは思えないけど……
行きつけの昔からある居酒屋の暖簾を遠くに見ながら思った。
そういえばまともにご飯も食べていない。はなから残業するつもりだったからコンビニへ寄った。おにぎりに手を伸ばしかけると倉木さんのことを思い出し、決まりが悪くなりゼリー飲料だけ買った。
ちょっとだけ……ご飯食べて帰ろう
そう決めて見慣れた暖簾に向かって歩く。もう目の前、というとき扉が開き人影が見えた。出てきたのは、カップルだ。暖簾から見える腕はがっつり組まれていた。
見せつけないでよ……
卑屈なことを考えながらその客が出てくるのを待つ。
けれど、その二人の顔が暖簾から現れると、私は呆然としてしまった。
「な……ん、で?」
さすがに目の前の二人も驚いたようだ。
「えっ! 千春⁈」
夏帆がまず声を上げる。その夏帆に腕を取られている倉木さんは、マズいものを見られたといった感じで顔面蒼白になっていた。
「どうして……二人が一緒にいるの?」
体の震えに合わせて声も震えている。もうわけがわからない。頭は真っ白になって、私は夢中で叫んだ。
「二人して私を揶揄ってたってこと? 夏帆の新しい彼氏、倉木さんだったんだ。……もういい! もう知らない! 夏帆とは絶交するからっ!」
小学生のときですら言ったことのないような台詞を公衆の面前で吐き出すと、すぐさま踵を返し走り出した。
家とは逆方向に走り出したことを後悔した。適当なところで曲がり、そのまま進むと見覚えのある路地に出た。
ここ……。真っ直ぐ行けば……
最近はあまり通り掛かることのない場所。昔、冬弥君が住んでいたあたり。
懐かしい公園に私は足を踏み入れた。こんな時間に誰もいない。いたとしても、人目も気にせずきっと私はそこに向かっていたはずだ。
私の秘密基地は奥まった滑り台の下。子どもの頃は簡単に隠れられたのに、こんなに大きくなってしまえばそこに入るのも一苦労だ。汚れることなど気にせずそこに入り込むとうずくまった。
なんで……。どうして?
それしか浮かんでこない。夏帆と倉木さんは誰がどう見ても仲良さげに腕を組んでいた。前の彼氏と別れたという話は聞いてなかったけど、二人は恋人同士に見えた。
倉木さんは二股をかけるつもりだったの? でもお見合いさせられたのはなんで?
次々と疑問は湧いてくる。
それに、なんで倉木さんはあんなに……傷ついた、みたいな表情を浮かべたの?
曲げている膝に顔を埋めて考える。隣に置いたバッグの中からは、小さく着信音が聞こえてきていたけど、ずっと無視していた。
静まり返った夜の公園。その死角にいる私の耳に砂を蹴る足音が届いた。それが止まったかと思うと声がした。
「……ちーちゃん。……見つけた」
金曜日、朝からスケジュールを組み直し、先方に謝りを入れ、なんとかちゃんとした予定が立った。それに免じて、本来なら常務秘書の仕事だった手土産を買いに出て帰社し、それを仕分けし終えると時間は夜8時すぎだった。
もちろん専務は先に帰っていて、常務に挨拶を済ませると会社を出た。小川さんはさすがに懲りたのか、悲壮な顔で「安さん、色々とありがとうございました」と殊勝な感じで謝ってくれた。
それだけでも、まだ救われたかも知れない。ここ二日間は忙し過ぎて倉木さんのことを考える暇もなかった。けれど休みになればきっと思い出す。モヤモヤとしてイライラもする休日など過ごしたくない。
疲れて回らなくなってきた頭でそんなことを考えながら自宅の最寄り駅から歩く。
夏帆には昨日会えなかったから、今日何時でもいいから付き合ってと連絡したのに、先約があると断られてしまった。この土日に捕まえて話を聞いてもらったら少しは気分も晴れるんだろうかと思いながらトボトボと歩いた。
家に帰る途中にはちょっとした飲み屋が並んでいる。金曜日の夜ともなればあちらこちらから酔っ払いたちの騒がしい声が聞こえてくる。
飲んで帰ろうかな……。酔えるとは思えないけど……
行きつけの昔からある居酒屋の暖簾を遠くに見ながら思った。
そういえばまともにご飯も食べていない。はなから残業するつもりだったからコンビニへ寄った。おにぎりに手を伸ばしかけると倉木さんのことを思い出し、決まりが悪くなりゼリー飲料だけ買った。
ちょっとだけ……ご飯食べて帰ろう
そう決めて見慣れた暖簾に向かって歩く。もう目の前、というとき扉が開き人影が見えた。出てきたのは、カップルだ。暖簾から見える腕はがっつり組まれていた。
見せつけないでよ……
卑屈なことを考えながらその客が出てくるのを待つ。
けれど、その二人の顔が暖簾から現れると、私は呆然としてしまった。
「な……ん、で?」
さすがに目の前の二人も驚いたようだ。
「えっ! 千春⁈」
夏帆がまず声を上げる。その夏帆に腕を取られている倉木さんは、マズいものを見られたといった感じで顔面蒼白になっていた。
「どうして……二人が一緒にいるの?」
体の震えに合わせて声も震えている。もうわけがわからない。頭は真っ白になって、私は夢中で叫んだ。
「二人して私を揶揄ってたってこと? 夏帆の新しい彼氏、倉木さんだったんだ。……もういい! もう知らない! 夏帆とは絶交するからっ!」
小学生のときですら言ったことのないような台詞を公衆の面前で吐き出すと、すぐさま踵を返し走り出した。
家とは逆方向に走り出したことを後悔した。適当なところで曲がり、そのまま進むと見覚えのある路地に出た。
ここ……。真っ直ぐ行けば……
最近はあまり通り掛かることのない場所。昔、冬弥君が住んでいたあたり。
懐かしい公園に私は足を踏み入れた。こんな時間に誰もいない。いたとしても、人目も気にせずきっと私はそこに向かっていたはずだ。
私の秘密基地は奥まった滑り台の下。子どもの頃は簡単に隠れられたのに、こんなに大きくなってしまえばそこに入るのも一苦労だ。汚れることなど気にせずそこに入り込むとうずくまった。
なんで……。どうして?
それしか浮かんでこない。夏帆と倉木さんは誰がどう見ても仲良さげに腕を組んでいた。前の彼氏と別れたという話は聞いてなかったけど、二人は恋人同士に見えた。
倉木さんは二股をかけるつもりだったの? でもお見合いさせられたのはなんで?
次々と疑問は湧いてくる。
それに、なんで倉木さんはあんなに……傷ついた、みたいな表情を浮かべたの?
曲げている膝に顔を埋めて考える。隣に置いたバッグの中からは、小さく着信音が聞こえてきていたけど、ずっと無視していた。
静まり返った夜の公園。その死角にいる私の耳に砂を蹴る足音が届いた。それが止まったかと思うと声がした。
「……ちーちゃん。……見つけた」
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