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5.煩悩の犬は追えども去らず
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夕方になり、ようやく恐る恐るスマホの電源を入れる。案の定、大量のメッセージと着信履歴の通知。けれど諦めたのか、お昼にはパッタリと途切れていた。
なんでこんなときに夏帆は海外出張なのよぉ……
泣きそうになりながらスマホの画面を眺める。
『電話には出られないからそのつもりで~』
なんて軽い調子で夏帆は言い残すとロンドンへ旅立った。なんでもまだ無名のいいバンドを見つけたとか。帰国は木曜の朝。最低でもその日の夜までは話を聞いてもらえない。そう考えただけでも溜め息が出た。
とりあえず……メッセージだけ入れとこ
夏帆に宛てたメッセージにはこう書いた。
『お見合い、自分からは断れなかった。でも、もう会うつもりはないから断りの連絡をしてほしい。木曜飲みに行きたいから付き合って』
それだけ送るとベッドにうつ伏せで転がった。
倉木さんとは……もう、会えないよね……
相手は本物の御曹司。本当なら私がお見合いするような相手じゃない。そう思うと息ができないくらい苦しくなった。
こんなの、柄じゃないのに……
今まで付き合ってきた人と別れたときですらこんな気持ちになったことはなかった。別れを告げるときも告げられるときもいつもあっさりとしていた。
そういえば……別れが辛かったことが一度だけある……
不意に思い出したのは小学生の頃のこと。幼なじみが引越しすることになり、彼は引越しのトラックの前でわんわん泣いていた。でも、そのとき私は泣かなかった。自分まで泣いてしまったら、余計悲しませてしまう。だから必死で我慢した。
『またきっと会えるよ。冬弥君』
『本当? 約束だよ? ちーちゃん』
そう言い合って別れたけど、私は家に帰って世界が終わるのかというくらい泣いたのだ。
「冬弥、君……?」
そういえば倉木さんも、とうやだと言っていた。
「まさか、ね……」
私は、可愛らしい子犬のような冬弥君の笑顔を思い出していた。
そして今は木曜日。あれから倉木さんからの連絡はない。お見合いを断ってくれたのだろう、と私は思うしかなかった。
最初からご飯に釣られず断ればこんなことにはならなかった。でも、断らなかったのは自分だし、誘いに乗ったのも自分だ。本当に悪いことをした、とずっと落ち込んでいたところにこれ、だ。
「小川さん。今すぐもう一度スケジュールを組み直して、変更可能か先方に確認を取ってください。言っておきますが、専務のスケジュールは動かしません」
専務がヒヤヒヤした様子でこちらを伺うなか、私は悪びれた様子もない小川さんに言い放った。
「えぇ~? 今からですかぁ? 無理ですよ~」
間伸びした媚びるような声色でそう返事をする小川さんに、猛烈にイラッとする。
「無理ではありません。するんです。明日中に!」
「明日って~。もう一日しかないじゃないですかぁ」
「明日中になんとかしないと、もう金曜日になるのよ? 挨拶周りは月曜から始まるんだから当たり前です」
「はぁい。……そんなんだからモテないんですよ」
小川さんは渋々返事をしたかと思うと、ボソッと悪態をつく。
「何か言った?」
そう返した顔は、確かにモテるとは思えない鬼のような形相だったとは思う。
「なんでもないです! じゃ、戻ります!」
そう言ったかと思うとそそくさと部屋をあとにするその逃げ足は早い。
私は思い切り脱力しながら息を吐いた。
「すみません、専務。彼女の仕事を見守らないと気が気じゃないので、今日と明日は残業します。専務は先に出てください」
憐れんだような視線を送りながら、専務は「いいのかい?」と恐る恐る口にする。よほど私が怖かったようだ。
「はい。残業代は請求させていただきますが。よろしいですよね?」
感情にそぐわない笑顔を見せると、たじろぎながら「もちろんだよ」と引き攣っていた。
なんでこんなときに夏帆は海外出張なのよぉ……
泣きそうになりながらスマホの画面を眺める。
『電話には出られないからそのつもりで~』
なんて軽い調子で夏帆は言い残すとロンドンへ旅立った。なんでもまだ無名のいいバンドを見つけたとか。帰国は木曜の朝。最低でもその日の夜までは話を聞いてもらえない。そう考えただけでも溜め息が出た。
とりあえず……メッセージだけ入れとこ
夏帆に宛てたメッセージにはこう書いた。
『お見合い、自分からは断れなかった。でも、もう会うつもりはないから断りの連絡をしてほしい。木曜飲みに行きたいから付き合って』
それだけ送るとベッドにうつ伏せで転がった。
倉木さんとは……もう、会えないよね……
相手は本物の御曹司。本当なら私がお見合いするような相手じゃない。そう思うと息ができないくらい苦しくなった。
こんなの、柄じゃないのに……
今まで付き合ってきた人と別れたときですらこんな気持ちになったことはなかった。別れを告げるときも告げられるときもいつもあっさりとしていた。
そういえば……別れが辛かったことが一度だけある……
不意に思い出したのは小学生の頃のこと。幼なじみが引越しすることになり、彼は引越しのトラックの前でわんわん泣いていた。でも、そのとき私は泣かなかった。自分まで泣いてしまったら、余計悲しませてしまう。だから必死で我慢した。
『またきっと会えるよ。冬弥君』
『本当? 約束だよ? ちーちゃん』
そう言い合って別れたけど、私は家に帰って世界が終わるのかというくらい泣いたのだ。
「冬弥、君……?」
そういえば倉木さんも、とうやだと言っていた。
「まさか、ね……」
私は、可愛らしい子犬のような冬弥君の笑顔を思い出していた。
そして今は木曜日。あれから倉木さんからの連絡はない。お見合いを断ってくれたのだろう、と私は思うしかなかった。
最初からご飯に釣られず断ればこんなことにはならなかった。でも、断らなかったのは自分だし、誘いに乗ったのも自分だ。本当に悪いことをした、とずっと落ち込んでいたところにこれ、だ。
「小川さん。今すぐもう一度スケジュールを組み直して、変更可能か先方に確認を取ってください。言っておきますが、専務のスケジュールは動かしません」
専務がヒヤヒヤした様子でこちらを伺うなか、私は悪びれた様子もない小川さんに言い放った。
「えぇ~? 今からですかぁ? 無理ですよ~」
間伸びした媚びるような声色でそう返事をする小川さんに、猛烈にイラッとする。
「無理ではありません。するんです。明日中に!」
「明日って~。もう一日しかないじゃないですかぁ」
「明日中になんとかしないと、もう金曜日になるのよ? 挨拶周りは月曜から始まるんだから当たり前です」
「はぁい。……そんなんだからモテないんですよ」
小川さんは渋々返事をしたかと思うと、ボソッと悪態をつく。
「何か言った?」
そう返した顔は、確かにモテるとは思えない鬼のような形相だったとは思う。
「なんでもないです! じゃ、戻ります!」
そう言ったかと思うとそそくさと部屋をあとにするその逃げ足は早い。
私は思い切り脱力しながら息を吐いた。
「すみません、専務。彼女の仕事を見守らないと気が気じゃないので、今日と明日は残業します。専務は先に出てください」
憐れんだような視線を送りながら、専務は「いいのかい?」と恐る恐る口にする。よほど私が怖かったようだ。
「はい。残業代は請求させていただきますが。よろしいですよね?」
感情にそぐわない笑顔を見せると、たじろぎながら「もちろんだよ」と引き攣っていた。
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