偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています

玖羽 望月

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5.煩悩の犬は追えども去らず

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「ちょっっ! これ、どういうこと⁈」

 思わず独り言にしてはどデカい声を上げたのは木曜日の夕方。あと1時間と少しで定時という時間帯だった。

「安さん、どうかしたのかい?」

 同じ部屋の中で仕事をする専務が、さすがに目を丸くして私を見た。

「すみません、専務。来週のスケジュールでブッキングが……。常務の、ですが」

 私は溜め息とともに答えた。
 来週末、我が社はお盆休みに入る。その前に、主要な取引先に役員が手分けして挨拶周りに行くのが毎年恒例の行事。特に常務が担当する会社は多く、社長や専務と共に訪問することもある。
 そして私は、来週のスケジュールを確認していて気づいたのだ。来週の常務の予定が、ダブルブッキングどころかトリプルブッキングしていることに。いや、一見するとブッキングしているように見えないのだけど、移動時間が考慮されていなかったのだ。

 瞬間移動でもさせるつもり⁈

 すぐさま目の前の受話器を持ち上げると、数ヶ月前は自席だった場所へ内線を掛けた。

「小川さん。今すぐ専務室に来てください」

 そう告げると『え~今忙しいんですけどぉ~』と間の抜けた、面倒くさそうな声が聞こえてきた。

「つべこべ言わず、すぐに来て」

 そう言い放ち受話器を置くとまた溜め息を吐いた。

 ただでさえずっとモヤモヤしてるのに、イライラさせないでよ……

 自席で頭を抱えて項垂れてしまう。
 でも、悪いのは自分だ。モヤモヤするのもイライラするのも、全部自分に対してだ。

 この前の土曜日の夜から日曜日の朝にあったことを思い出すと溜め息が出る。けど、背中にさぁっと電流が流れるような感覚も蘇る。顔が熱くなり無意識に手を当てた。

 あんなに……いなんて聞いてない……

 心の中で独りごちる。
 もちろん初めての行為ではない。今まで何人かと付き合ってきたし、そういう関係にもなった。けど今までそう熱くなることもなければ我を忘れたこともなかった。
 なのに、今回ばかりは違っていたのだ。世界が一変するくらいに。

 日曜日早朝。心地よいの良い眠りから覚めた時間は5時台だった。
 一瞬ここがどこかわからなかった私は、自分の体に回る逞しい腕を見て我に返った。

 そうだ。昨日、したんだ。倉木さんと……

 もちろん強要されたわけでも無理矢理だったわけでもない。喰らいつくような視線を向けながらも、強引なところはなく、寧ろ凄く丁寧に愛撫された。私たちはとにかく我を忘れて求めあったのだ。
 そして気づけば一晩に3回という記録を作った挙句、意識を失うように眠っていた。

 どうしよう……。夏帆になんて言ったらいいの?

 人のお見合い相手と寝るなんて、とんでもないことをしでかしたと青ざめた。でももう遅い。やってしまったことは元には戻せないのだから。
 
 背中からの倉木さんの規則的な寝息を聞きながら、そっとベッドから抜け出す。振り返りベッドを見下ろすと、満足そうに笑みを浮かべた可愛らしい寝顔があった。その髪を撫でようとして、思わず手を引っ込めた。

 これ以上深みにハマってどうするのよ!

 自分を戒め足音を立てないように下着を拾うと隣の部屋へ移動する。昨日ランドリーサービスに出していた服はちゃんとテーブルの上に置いてあった。倉木さんが受け取ってくれたのだろう。
 本当ならシャワーを浴びたいところだったけど、どうしても倉木さんと顔を合わせたくなかった。
 私はそそくさと着替えると、化粧もせず、髪も手櫛で整えただけで部屋から飛び出した。

 スマホにメッセージが入り始めたのは最寄りの駅に着いた頃だった。

『千春さん、今どこにいらっしゃいますか?』

 それに既読を付けず通知だけで確認する。返事なんてする勇気もでない。

『本当にすみませんでした。謝ります』

 謝って欲しくなんかない。謝るのは私のほうだ。社長令嬢だって騙したまま関係を持つなんて。
 胸が痛くなって、スマホの電源を落とすと電車に飛び乗った。

 家に帰ると、さすがに日曜の朝。まだ両親は起きていなかった。静かに自分の部屋に戻り溜め息と共に座り込んだ。
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