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3.その子犬は突然に

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「ここで待っていてください」

 ロビーのすみに立つ私に告げると倉木さんはどこかへ行ってしまう。

 タオルでも借りてきてくれるのかな?

 その姿は見えず、私はホテルの迷惑にならないようエントランスの脇で待った。いくらすみっことは言え、ずぶ濡れの女が一人立っていると、この雨の被害に合わなかった人から憐れみの視線を送られてしまう。それに、気温に合わせた強烈なクーラーの冷気。直接当たらなくても体温は奪われていく。

「はっっくしゅんっ!」

 もう体裁などお構いなしの盛大なくしゃみをすると、そばに立つベルボーイからも同情の視線を送られた。
 未だに外は土砂降り。自動扉が開くたび、滝のような激しい雨音が聞こえてきた。

「千春さん! お待たせしました」

 小走りで駆け寄ってくる倉木さんに視線を向けると、その手にタオルは……なかった。戸惑っていると倉木さんは続けた。

「ランドリーサービスを使いましょう。部屋を用意してもらいました。どうぞこちらへ」

 ホテルならそういうサービスもあるか、と納得しつつ私は倉木さんに言われるがまま続く。歩くだけで体のあちらこちらからポタポタと水滴は垂れていた。
 このホテルは都心のように縦に長いわけではなく横に長い。エレベーターに乗ってもすぐに着く。倉木さんは迷うことなく用意してもらったという部屋まで私を連れて行ってくれた。
 とにかく必死だった私は、ここがどんな部屋なのか全くわかっていなかった。

 部屋に入り、また倉木さんのあとに続いて歩く。その先の様子になんだか違和感を感じる。自分のよく知るホテルの部屋と、なんだか違うような……。

「こちらです」

 倉木さんは壁の向こうから顔を覗かせ私に呼びかけた。そしてやっと理解した。違和感の正体を。

 この部屋……。もしかして、スイートってやつなんじゃ……?

 自分が旅行なんかで見るのは、扉を進むとすぐにベッドが並んでいるこじんまりとした部屋。
 けれど、この部屋にまずあったのはマンションのリビングかと思うような広いスペース。大きな窓の外には濃灰色の景色が映し出されていて、雨の激しさが見てとれる。その窓のそばにはテーブルセット。少し離れた大きなテレビの前にはソファが置いてある。
 そして、見える範囲にベッドはない。確実に倉木さんが消えていった壁の向こう側にあるはずだ。
 キョロキョロしながら進むと、大きなベッドが二つ。倉木さんはその先の奥にある扉を開け入っていった。

「千春さん? ここまで来てもらえますか?」

 扉の向こうから倉木さんに呼ばれ、私はそこに向かった。

「体が冷えたでしょう。ゆっくり浸かってきてください。濡れた服は先に扉の外に出しておいてください」

 棚の上からバスタオルやバスローブをキビキビと下ろしながら倉木さんは言う。広いパウダールームは二人立っても狭くない大きさだ。

「いや、でも」
「風邪ひきますから。さっ」

 いくらなんでもお風呂まで入るのは……と戸惑うが、一点の曇りもない柴犬のような眼差しに頷くしかなかった。
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