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3.偽りに偽りを重ねて
10.
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「藤田さ~ん。どうなっちゃうんでしょうね。うちの会社」
「どうって、危ないってやつ?」
「そうですよ~。業績、厳しいんですかね?」
姿は見えないが、会話は反響して実乃莉の耳にはっきり届いた。
(二人もあの噂を知ってたなんて……)
愕然としたまま実乃莉は聞き耳を立てる。実乃莉に聞かれていることなど知らず二人は会話を続けていた。
「SSの社長来てたし、買収されるとか?」
「まぁ、あそこの社長もやり手だし。俺は給料さえ出ればなんでもいいけど」
「藤田さん割り切ってるな。そりゃそうだけど……。俺はとりあえず、龍さん信じてますけどね」
「俺だって別に、信じてないわけじゃないけど?」
そんな会話は足音とともにだんだん遠ざかり、消えていった。
(龍さんがいてくれたら……)
悔しくなって唇を噛んでしまう。
出所もわからない根も葉もない噂は、龍が不在のこともあり不安を増幅させている。もし今、龍が会社にいたなら、きっと明るく笑い飛ばしてみんなの不安を拭い、士気を高めてくれただろう。けれど、その龍はいない。
「会いたい……です。龍さん……」
張り詰めていた糸がプツリと切れた気がした。そんな感覚に陥ると、実乃莉の瞳から涙が溢れ落ちていく。
会えないどころか声すら聞けないもどかしさ。もう一時間以上前に送ったメッセージすら読んだ形跡はない。その事実に胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。
実乃莉はズルズルと狭いスペースに座り込む。ポストが三つ並んでいるだけの小さなこの場所に、この時間来る人間などいないだろう。実乃莉は膝を抱えると嗚咽を漏らした。
どれくらいそうしていただろうか。バッグの中でスマートフォンが震えていることに気づき、泣きすぎてぼぉっとしている頭を上げた。
実乃莉はそれを取り出すと、慌てて電話に出た。
『実乃莉? 今いい?』
「龍……さん……」
また涙が滲みそうになり必死に堪える。泣いていたことを悟られれば心配をかけてしまいそうだ。
「はい。もう家ですから」
平静を装い努めて明るく振る舞うと、龍の安堵したような声とその向こうから騒めきが聞こえてきた。
『そうか。急な出張で迷惑かけるな』
「大丈夫です。龍さんこそ、忙しいんじゃ……」
『まぁ色々とな。今から接待だって連れ出されたところ。スマホ見る暇もなくて悪い』
「そんなこと! 気にしないでください」
実乃莉は精一杯強がってみせた。本当は寂しくてしかたないのに。
電話の向こうの騒めきがいっそう強まると、龍が呼びかけられている気配がした。
『悪い。もう行かなきゃ』
"行かないで"と喉元まで溢れた言葉を飲み込み、実乃莉は声を絞り出した。
「お疲れ様です。無理、しないでくださいね」
『実乃莉もな……』
龍は今、どんな顔をしているのだろう。その声は、自分と同じように、"会いたい"と言っているように聞こえた。
けれど、突然にも関わらず車で向かうほど大事な仕事をしている龍に、会いたいなんて言えるはずもなかった。
「私のことは心配しないでください。深雪さんたちがいますから」
今はこう言うしかない。虚栄を張ってでも、龍を安心させたいから。
電話の向こうからは、『そうだな』と力なく呟く声が聞こえる。そして、そのままその小さな声は自分に呼びかけた。
『……実乃莉。これから何があっても……俺を信じてくれるか?』
「龍、さん……?」
まるで、何かに怯えているように聞こえるのは気のせいだろうか。龍らしくない声色はあまりにも弱々しく自信がないように感じた。
『いや、悪い。変なこと聞いた。まるで俺が、実乃莉を信用してないみたいな言い方だな』
自分に言い聞かせるように言う龍に、ふと実乃莉は思う。
(意外と……怖がり……)
前に自分自身のことをこう言っていた。
そうは言ってもそんな姿を目の当たりにしたことはなく、俄かには信じられないでいた。でもあのとき吐露したのは、きっと誰にも言えなかった本心。今は電話越しで姿は見えなくとも、龍はそれをさらけ出しているところなのだ。
「信じます。何があっても……私は、龍さんを信じてますから」
それくらいしか自分ができることはない。そんな気持ちでキッパリと言い切ると、息を呑んだ気配が伝わってくる。
『……ありがとう、実乃莉。じゃあ切るな。また連絡するから』
「はい。待ってます」
ツーツーという音が聞こえ、電話越しの逢瀬はほんの数分で終わりを告げた。実乃莉はスマートフォンを耳から離すと画面を消した。
(龍さんも……きっと何かと戦ってる)
おそらくそれは、今回のことに全て繋がっている。誰が、何のために始めたことかはわからない。次は何が起こるのか、不安でたまらない。
けれど、揺るぎないものだけは見つけることができた。
実乃莉は一度深呼吸をすると、自分から掛けたことのない電話番号を押す。
短い呼び出し音のあと出たその人に、実乃莉は意を決して切り出した。
「……お話しがあります」
「どうって、危ないってやつ?」
「そうですよ~。業績、厳しいんですかね?」
姿は見えないが、会話は反響して実乃莉の耳にはっきり届いた。
(二人もあの噂を知ってたなんて……)
愕然としたまま実乃莉は聞き耳を立てる。実乃莉に聞かれていることなど知らず二人は会話を続けていた。
「SSの社長来てたし、買収されるとか?」
「まぁ、あそこの社長もやり手だし。俺は給料さえ出ればなんでもいいけど」
「藤田さん割り切ってるな。そりゃそうだけど……。俺はとりあえず、龍さん信じてますけどね」
「俺だって別に、信じてないわけじゃないけど?」
そんな会話は足音とともにだんだん遠ざかり、消えていった。
(龍さんがいてくれたら……)
悔しくなって唇を噛んでしまう。
出所もわからない根も葉もない噂は、龍が不在のこともあり不安を増幅させている。もし今、龍が会社にいたなら、きっと明るく笑い飛ばしてみんなの不安を拭い、士気を高めてくれただろう。けれど、その龍はいない。
「会いたい……です。龍さん……」
張り詰めていた糸がプツリと切れた気がした。そんな感覚に陥ると、実乃莉の瞳から涙が溢れ落ちていく。
会えないどころか声すら聞けないもどかしさ。もう一時間以上前に送ったメッセージすら読んだ形跡はない。その事実に胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。
実乃莉はズルズルと狭いスペースに座り込む。ポストが三つ並んでいるだけの小さなこの場所に、この時間来る人間などいないだろう。実乃莉は膝を抱えると嗚咽を漏らした。
どれくらいそうしていただろうか。バッグの中でスマートフォンが震えていることに気づき、泣きすぎてぼぉっとしている頭を上げた。
実乃莉はそれを取り出すと、慌てて電話に出た。
『実乃莉? 今いい?』
「龍……さん……」
また涙が滲みそうになり必死に堪える。泣いていたことを悟られれば心配をかけてしまいそうだ。
「はい。もう家ですから」
平静を装い努めて明るく振る舞うと、龍の安堵したような声とその向こうから騒めきが聞こえてきた。
『そうか。急な出張で迷惑かけるな』
「大丈夫です。龍さんこそ、忙しいんじゃ……」
『まぁ色々とな。今から接待だって連れ出されたところ。スマホ見る暇もなくて悪い』
「そんなこと! 気にしないでください」
実乃莉は精一杯強がってみせた。本当は寂しくてしかたないのに。
電話の向こうの騒めきがいっそう強まると、龍が呼びかけられている気配がした。
『悪い。もう行かなきゃ』
"行かないで"と喉元まで溢れた言葉を飲み込み、実乃莉は声を絞り出した。
「お疲れ様です。無理、しないでくださいね」
『実乃莉もな……』
龍は今、どんな顔をしているのだろう。その声は、自分と同じように、"会いたい"と言っているように聞こえた。
けれど、突然にも関わらず車で向かうほど大事な仕事をしている龍に、会いたいなんて言えるはずもなかった。
「私のことは心配しないでください。深雪さんたちがいますから」
今はこう言うしかない。虚栄を張ってでも、龍を安心させたいから。
電話の向こうからは、『そうだな』と力なく呟く声が聞こえる。そして、そのままその小さな声は自分に呼びかけた。
『……実乃莉。これから何があっても……俺を信じてくれるか?』
「龍、さん……?」
まるで、何かに怯えているように聞こえるのは気のせいだろうか。龍らしくない声色はあまりにも弱々しく自信がないように感じた。
『いや、悪い。変なこと聞いた。まるで俺が、実乃莉を信用してないみたいな言い方だな』
自分に言い聞かせるように言う龍に、ふと実乃莉は思う。
(意外と……怖がり……)
前に自分自身のことをこう言っていた。
そうは言ってもそんな姿を目の当たりにしたことはなく、俄かには信じられないでいた。でもあのとき吐露したのは、きっと誰にも言えなかった本心。今は電話越しで姿は見えなくとも、龍はそれをさらけ出しているところなのだ。
「信じます。何があっても……私は、龍さんを信じてますから」
それくらいしか自分ができることはない。そんな気持ちでキッパリと言い切ると、息を呑んだ気配が伝わってくる。
『……ありがとう、実乃莉。じゃあ切るな。また連絡するから』
「はい。待ってます」
ツーツーという音が聞こえ、電話越しの逢瀬はほんの数分で終わりを告げた。実乃莉はスマートフォンを耳から離すと画面を消した。
(龍さんも……きっと何かと戦ってる)
おそらくそれは、今回のことに全て繋がっている。誰が、何のために始めたことかはわからない。次は何が起こるのか、不安でたまらない。
けれど、揺るぎないものだけは見つけることができた。
実乃莉は一度深呼吸をすると、自分から掛けたことのない電話番号を押す。
短い呼び出し音のあと出たその人に、実乃莉は意を決して切り出した。
「……お話しがあります」
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