出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜

玖羽 望月

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3.偽りに偽りを重ねて

7.

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 そのあとすぐ千佐都も出社し、実乃莉は何事もなかったように仕事を始めた。
 今は主に、支払い関係は深雪が、請求関係は実乃莉が行っている。
 末締めの請求書は今週中には送ってしまいたい。実乃莉はデータを見ながら、請求金額の確認できていない取引先の洗い出しを始めた。

「おはよ~」

 忙しいときほど時間が経つのは早い。遅出の深雪が出社してきて、そんなことを思う。

「おはようございます。龍さんですが、今日は午後から出社予定だそうです」
「そうなんだ。やっと落ち着いたのかしらね」
「だと……いいんですけど……」

 あの手紙の文面が浮かび、実乃莉の表情に暗い影を落とす。先週のあのトラブルが繋がっているとは言い切れない。けれどそう思わざるを得ない自分がいた。

「実乃莉ちゃん……」

 深雪が言いかけると外線がなり、実乃莉はそれを取る。会社名と自分の名を淀みなく口に出すと、相手の男性はいきなり切り出した。

『あんたか。鷹柳ってのは』
「さようでございます」

 自分が何者なのかも言わない相手に、実乃莉は顔を強張らせながら答えた。

『どうなってるんだ! この請求書は! 前回の倍額になるなんて聞いてないぞ‼︎』

 相手の口調とまだ出していないはずの請求書の話を持ち出され実乃莉は混乱していた。

「もうしわけございません。すぐに確認いたします。御社のお名前といつ付けの請求書か教えていただけますか?」

 実乃莉はすぐさま聞き取った内容を確認する。いや、見なくてもその内容が違っていることはわかっていた。つい今しがたまでデータを見ていて、その会社の金額が前月と変わりないことは確認済みだったのだから。
 けれど相手は、間違いなく先月分、つまり実乃莉が今から送る予定の請求書だと言い張っていた。

「ご迷惑をおかけし、大変もうしわけございません。手違いがあったものと思われます。至急正しいものお送りいたします」

 こんなクレームは初めてで、実乃莉はどう謝罪するのが正しいのかもわからない。それでも誠心誠意謝ったことが伝わったのか、相手は深い溜め息を吐きながらも怒りを収めた。

『しっかりしてくれよ。それでなくとも最近あんたんところ、いい噂聞かないんだから』
「……えっ? それはどう言う……」

 思いがけないことを聞かされ、実乃莉は慌てて尋ねる。けれど相手は自分の失言に気づいたのか『じゃ、請求書頼む』と言うなり電話を切ってしまった。
 そして実乃莉は、受話器を持ったまま呆然としていた。

「実乃莉ちゃん? 大丈夫? なんだったの?」

 おそらく深雪はずっと様子を見守ってくれていたのだろう。電話が終わるなり実乃莉の元へやってきた。

「それが……」

 まだ呆然としたまま受話器を置く。実乃莉は震える唇でさっきあったことの説明を始めたが、上手く言葉にできない。あまりにも自分の顔色が良くなかったのだろう。深雪は実乃莉を応接ソファに座らせると温かいお茶を淹れてきた。
 それを飲み気持ちを落ち着かせると、実乃莉は話し始める。隣には自分に寄り添うように深雪が座り、前に座る千佐都は心配そうに実乃莉を見ていた。

「――最後に……相手のかたがおっしゃったんです。ただでさえ最近いい噂を聞かないって……」

 一通りあったことを説明し、最後に実乃莉がそう言うと深雪と千佐都は顔を見合わせた。まるで何か知っている、といった様子だ。

「何か……あったんですか? 教えてください。お願いします」

 千佐都は深雪の顔を見て無言で頷く。そしてそれを受けた深雪が口を開いた。

「実は、私も昨日千佐都ちゃんから聞いたんだけど……」

 深雪はそう切り出すと話を続けた。

「どうも、うちが危ないらしいって業界内で出回ってるらしいの。千佐都ちゃんの旦那さん情報だから間違いないわ」

 千佐都の夫も同業者なのだろうかとそちらを向くと、尋ねる前に答えが返る。

「うちの夫は元SEで、今はバーのオーナーなんだけど、業界の人がよく来てくれるんだって。本当はお客さんから聞いた話を他にするのは良くないんだけど……。内容が内容だったから心配になって教えてくれたの。で、深雪さんに相談してたところ」

 千佐都が淡々と言い終わると、深雪は深い溜め息を吐き出した。

「ほんと、失礼しちゃうわ! うちの業績は上がってるし、支払いが滞ったことなんか一度もないのに。根も葉もない噂だけど、出どころが全く掴めないのよね」

 深雪はうんざりした様子でそう言い切る。それを聞いていた実乃莉は、痛いほど両手を握りしめると俯いた。

 婚約したのはやはり間違いだったのかも知れない。そう思うだけで胸が苦しくなる。けれどこのままにしておくわけにはいかない。このままでは、龍の大切な場所が被害を受ける一方なのだから。

「私の……せい、なんです……」

 震える手を握りながら、絞り出した声は掠れていた。

「実乃莉ちゃん? どうして……?」

 深雪は訝しげに実乃莉の顔を覗き込んだ。
 実乃莉は意を決して立ち上がり、自分の机からあの脅迫文を取り出すと深雪に差し出した。
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