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3.偽りに偽りを重ねて
1.
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龍から婚約を申し入れられてから、早くも二週間。あれからまるで、最初からそう決まっていたかのように物事が進み、実乃莉の気持ちはそのスピードに付いていけずにいた。
今日は大安の土曜日。正式結納という、仲人が両家を行き来する形で行われた結納は、鷹柳家が主導で行われている。つまり、龍が鷹柳家に婿入りするという前提だ。
正式結納では両家が顔を合わせることはない。今は皆上家に結納の品を届けた仲人が、向こうで受け取った結納品とともに鷹柳家に戻ったところをもてなしているところだった。それが終わると、仲人は結納品の受書を持って再び皆上家を訪れる段取りになっている。
「いやあ。それにしても鷹柳先生。よいご縁に恵まれましたな」
祝膳を平らげながら、恰幅のよい体を揺らし仲人の男性は言う。その人は龍の父とも馴染みのある議員で、実乃莉も何度か会ったことがあった。元々柔和な顔をさらに緩め祖父に話しかけると、心なしか祖父もいつもの厳しい表情を緩めた。
「そうですな。まさか皆上家先代の秘蔵っ子をうちに貰えるとは思わなんだ」
満足げに言う祖父の言葉が耳に入り、実乃莉は体を強張らせた。そこに同席する祖父母も両親もそれに気づいてはないだろう。主役であってそうではない実乃莉のことなど、誰も気に留めてはいないのだから。
(やっぱり……由香さんの言ってたことは本当、だったんだ)
実乃莉は俯いたまま両手を握りしめた。
由香のサロンで二人きりになったとき、それとなく聞いた話を思い出す。
『龍ちゃん、政治家にだけはならないってお祖父様と大喧嘩したことあるらしいから、まさか政治家のお嬢さんとお付き合いするなんて思いもしなかったな』
もちろん他意はないだろう。由香はさらりと言っていたし、実乃莉はそれを聞き流しているふりをした。けれどそれは、胸の奥に棘のように刺さっていた。
(もし私が政治家の一人娘じゃなかったら……)
考えても仕方のないことだ。いまさらどうしようもないのだから。
龍が何故結婚したくないのか、その理由をちゃんと聞いてはいない。単にそう思える相手がいなかっただけなのか、家に反発しているだけなのか。いずれにせよ、自分と結婚すればなりたくない政治家にさせられてしまうかも知れない。
(半年……だけ……。夢を見させて……)
時期がくればこちらから婚約解消を申し入れよう。龍を悪者になどしたくない。すぐに他の誰かと結婚させられることになったとしても。
仲人が鷹柳家を去って数時間後、部屋で休んでいた実乃莉のスマートフォンが着信を知らせながら震え出した。
「龍さん? どうしたんですか?」
電話を取るなり尋ねる。というのも、龍から電話が掛かってくるのは初めてだったからだ。
平日は会社に行けば顔を合わせるし、忙しいだろう龍から休日に電話が掛かることはなかった。何かあったのだろうかと心配する実乃莉の耳に入ってきたのは、いつもと変わらない龍の声だった。
『実乃莉、お疲れ』
「お疲れ様……です。何か……ありましたか?」
恐る恐る実乃莉が切り出すと電話の向こうからフフッと息遣いが聞こえた。
『実乃莉の声が聞きたくなって』
甘くも聞こえるその声に飛び上がりそうになるのを堪える。
「冗……」
『冗談じゃないよ。本当だ』
談、と実乃莉が続ける前に龍が先に言葉を被せ、その言葉に頰がカァっと熱くなった。
会社ではいたって普通で、二人きりになったとしてもこんなことを言われたことはなかった。だからこそ、突然甘くなる龍に慣れないでいた。
見えないはずの実乃莉の様子が手に取るようにわかるのか、龍はクスクスと笑いながら続ける。
『声だけじゃ足りないな。今から会えないか? 顔が見たい。実乃莉がいいなら夕食でもどうだ?』
「大丈夫、です……」
実乃莉は辿々しく答えながら引っかかりを覚えた。明るい調子で喋ってはいるが、どこかいつもと違うような気がしたからだ。
(龍さん……結納の席で何かあった?)
あまり寄り付かないらしい実家で両親と過ごしたのだ。もしかしたら言われたくないことや聞きたくないこともあったのかも知れない。
『もう実家は出るから、一時間くらいで実乃莉の家に着くはずだ。何食べたい? 店、予約しとく』
話ぶりは変わらない。けれど、やはり違和感を感じていた。
「あの、龍さん……?」
『ん? 何?』
「……いえ。なんでも。昼食が懐石だったので、できれば洋食がいいです」
電話で尋ねるようなことではない。それに、自分の思い過ごしかも知れない。そう思い実乃莉は言葉を濁した。
『わかった。じゃあ、またあとでな』
「はい。お気をつけて」
電話は切れ、実乃莉はスマートフォンの画面を眺め息を吐いた。
誘われたことの嬉しさと、どこか様子のおかしい龍の心配とで複雑な気分になる。
(顔を見てから聞いてみよう)
16時過ぎの時刻が表示されている画面を落とすと、実乃莉は用意を始めた。
今日は大安の土曜日。正式結納という、仲人が両家を行き来する形で行われた結納は、鷹柳家が主導で行われている。つまり、龍が鷹柳家に婿入りするという前提だ。
正式結納では両家が顔を合わせることはない。今は皆上家に結納の品を届けた仲人が、向こうで受け取った結納品とともに鷹柳家に戻ったところをもてなしているところだった。それが終わると、仲人は結納品の受書を持って再び皆上家を訪れる段取りになっている。
「いやあ。それにしても鷹柳先生。よいご縁に恵まれましたな」
祝膳を平らげながら、恰幅のよい体を揺らし仲人の男性は言う。その人は龍の父とも馴染みのある議員で、実乃莉も何度か会ったことがあった。元々柔和な顔をさらに緩め祖父に話しかけると、心なしか祖父もいつもの厳しい表情を緩めた。
「そうですな。まさか皆上家先代の秘蔵っ子をうちに貰えるとは思わなんだ」
満足げに言う祖父の言葉が耳に入り、実乃莉は体を強張らせた。そこに同席する祖父母も両親もそれに気づいてはないだろう。主役であってそうではない実乃莉のことなど、誰も気に留めてはいないのだから。
(やっぱり……由香さんの言ってたことは本当、だったんだ)
実乃莉は俯いたまま両手を握りしめた。
由香のサロンで二人きりになったとき、それとなく聞いた話を思い出す。
『龍ちゃん、政治家にだけはならないってお祖父様と大喧嘩したことあるらしいから、まさか政治家のお嬢さんとお付き合いするなんて思いもしなかったな』
もちろん他意はないだろう。由香はさらりと言っていたし、実乃莉はそれを聞き流しているふりをした。けれどそれは、胸の奥に棘のように刺さっていた。
(もし私が政治家の一人娘じゃなかったら……)
考えても仕方のないことだ。いまさらどうしようもないのだから。
龍が何故結婚したくないのか、その理由をちゃんと聞いてはいない。単にそう思える相手がいなかっただけなのか、家に反発しているだけなのか。いずれにせよ、自分と結婚すればなりたくない政治家にさせられてしまうかも知れない。
(半年……だけ……。夢を見させて……)
時期がくればこちらから婚約解消を申し入れよう。龍を悪者になどしたくない。すぐに他の誰かと結婚させられることになったとしても。
仲人が鷹柳家を去って数時間後、部屋で休んでいた実乃莉のスマートフォンが着信を知らせながら震え出した。
「龍さん? どうしたんですか?」
電話を取るなり尋ねる。というのも、龍から電話が掛かってくるのは初めてだったからだ。
平日は会社に行けば顔を合わせるし、忙しいだろう龍から休日に電話が掛かることはなかった。何かあったのだろうかと心配する実乃莉の耳に入ってきたのは、いつもと変わらない龍の声だった。
『実乃莉、お疲れ』
「お疲れ様……です。何か……ありましたか?」
恐る恐る実乃莉が切り出すと電話の向こうからフフッと息遣いが聞こえた。
『実乃莉の声が聞きたくなって』
甘くも聞こえるその声に飛び上がりそうになるのを堪える。
「冗……」
『冗談じゃないよ。本当だ』
談、と実乃莉が続ける前に龍が先に言葉を被せ、その言葉に頰がカァっと熱くなった。
会社ではいたって普通で、二人きりになったとしてもこんなことを言われたことはなかった。だからこそ、突然甘くなる龍に慣れないでいた。
見えないはずの実乃莉の様子が手に取るようにわかるのか、龍はクスクスと笑いながら続ける。
『声だけじゃ足りないな。今から会えないか? 顔が見たい。実乃莉がいいなら夕食でもどうだ?』
「大丈夫、です……」
実乃莉は辿々しく答えながら引っかかりを覚えた。明るい調子で喋ってはいるが、どこかいつもと違うような気がしたからだ。
(龍さん……結納の席で何かあった?)
あまり寄り付かないらしい実家で両親と過ごしたのだ。もしかしたら言われたくないことや聞きたくないこともあったのかも知れない。
『もう実家は出るから、一時間くらいで実乃莉の家に着くはずだ。何食べたい? 店、予約しとく』
話ぶりは変わらない。けれど、やはり違和感を感じていた。
「あの、龍さん……?」
『ん? 何?』
「……いえ。なんでも。昼食が懐石だったので、できれば洋食がいいです」
電話で尋ねるようなことではない。それに、自分の思い過ごしかも知れない。そう思い実乃莉は言葉を濁した。
『わかった。じゃあ、またあとでな』
「はい。お気をつけて」
電話は切れ、実乃莉はスマートフォンの画面を眺め息を吐いた。
誘われたことの嬉しさと、どこか様子のおかしい龍の心配とで複雑な気分になる。
(顔を見てから聞いてみよう)
16時過ぎの時刻が表示されている画面を落とすと、実乃莉は用意を始めた。
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