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2.人は誰しも間違うもの
2.
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翌日は週末金曜日。
深雪は午後から検診が入っていて一足先に退社していた。残されていた仕事の手順も聞いていたし、「龍もいるから大丈夫」と深雪から言われていて安心していた実乃莉だが、不測の事態は得てしてそういうときに起こるものだ。
「なんだって?」
定位置の、パーテーションの向こうから龍の訝しげな声が聞こえたのは午後三時を回ったところだった。
電話を取っている気配がしていたが直接掛かってきたのだろう。しばらく会話したあと、「わかった。向かう」と溜め息混じりの龍の声が耳に届いた。
「悪い、実乃莉。SSでトラブってるらしい。ちょっと行ってくるわ」
こちらに向かってくると、龍は渋い顔をして実乃莉に告げる。
SS、と言うのは龍が前にいた会社だ。同業で今も協力関係にあるというその会社は、深雪の兄であり龍の昔からの友人でもある人が経営している。
深雪が龍に遠慮がないのは、龍が高校生、深雪が中学生のときからの知り合いだからだ。それに深雪は、以前SSで秘書をしていて、龍とも一緒に働いていたと聞いて実乃莉は納得していた。
「一旦戻れると思うが、時間になったら先に店に行っといて。何かあれば電話してくれていいし、他のヤツらで事足りそうだったら誰か捕まえて」
「はい。承知しました」
実乃莉が立ち上がり返事をすると、龍は「じゃ、行ってくる」と部屋を出て行く。
この部屋で一人きりになるのは初めて。心許ないが、社内には他の社員もいる。
(とにかく、深雪さんに頼まれてた仕事、終わらせよう)
実乃莉は座ると目の前の書類を眺める。印刷し、あとは封入して送るだけの請求書。実乃莉はふと、その書類に違和感を感じた。
「……嘘!」
実乃莉は思わず声に出してしまう。よくよく見ると、印字された日付は全て一ヶ月前だ。
焦りながら深雪から渡されたマニュアルを引っ張りだすと、もう一度それに目を通す。実乃莉は、記載されていた日付け変更の手順を抜かしていたことにそのとき気づいた。
もう一度最初からやり直し、印刷し直す。そう大変な作業ではないが、今日投函して置いてと言われていたぶん、気持ちは焦るばかりだった。
印刷されたものを、リストと間違いないか確認し封入する。集中してやり終えたいが、そういうときに限って問い合わせや営業の電話が掛かってきてしまう。
それに対応していると、今度は来客を知らせるインターホンが鳴った。
(来客の予定……あったかな?)
実乃莉は社内で共有している情報をタブレットで確認する。来客やミーティングルームの使用予定が全社員にわかるようになっているものだ。
それを確認しても予定が入っていないときは、ほぼ飛び込みの営業か荷物などの配達だ。
せっかちにもう一度鳴ったインターホンに実乃莉は応答した。
「はい」
机に設置してある、電話機と同じような端末に出ると、扉の向こうが映し出される。明らかに業者でも営業でもなさそうな女性がそこに立っていた。
『私よ。開けてちょうだい』
至極当たり前のようにそう言われ、実乃莉は戸惑っていた。今まで名乗りもせず開けてと言われたことはなく、そんな人の存在も聞かされていなかった。
「恐れ入りますが……どちら様、でしょうか?」
辿々しく実乃莉が尋ねると、『あなたこそ誰? 深雪さんじゃないわよね』とあからさまに不機嫌そうな声が返ってきた。
「もうしわけありません。失礼ですが教えていただけますでしょうか?」
もしかしたら取引先のかたなのかも知れない。それならば聞き覚えがあるはずだった。
『九度山瞳子よ。龍は? いないの?』
全く聞き覚えの無い名前に、龍と呼ぶ女性。
(ご友人……とか?)
そう頭をよぎるが、そんなことを聞くわけにいかない。どうしようと呆然としている間に瞳子は痺れを切らせたようだ。
『いつまで待たせるつもり? 私はね、龍の婚約者よ。あなた、そんなことも知らないの?』
「婚約……者?」
実乃莉は頭が真っ白になる。まさか龍に婚約者がいるなんて思ってもいなかった。
深雪は午後から検診が入っていて一足先に退社していた。残されていた仕事の手順も聞いていたし、「龍もいるから大丈夫」と深雪から言われていて安心していた実乃莉だが、不測の事態は得てしてそういうときに起こるものだ。
「なんだって?」
定位置の、パーテーションの向こうから龍の訝しげな声が聞こえたのは午後三時を回ったところだった。
電話を取っている気配がしていたが直接掛かってきたのだろう。しばらく会話したあと、「わかった。向かう」と溜め息混じりの龍の声が耳に届いた。
「悪い、実乃莉。SSでトラブってるらしい。ちょっと行ってくるわ」
こちらに向かってくると、龍は渋い顔をして実乃莉に告げる。
SS、と言うのは龍が前にいた会社だ。同業で今も協力関係にあるというその会社は、深雪の兄であり龍の昔からの友人でもある人が経営している。
深雪が龍に遠慮がないのは、龍が高校生、深雪が中学生のときからの知り合いだからだ。それに深雪は、以前SSで秘書をしていて、龍とも一緒に働いていたと聞いて実乃莉は納得していた。
「一旦戻れると思うが、時間になったら先に店に行っといて。何かあれば電話してくれていいし、他のヤツらで事足りそうだったら誰か捕まえて」
「はい。承知しました」
実乃莉が立ち上がり返事をすると、龍は「じゃ、行ってくる」と部屋を出て行く。
この部屋で一人きりになるのは初めて。心許ないが、社内には他の社員もいる。
(とにかく、深雪さんに頼まれてた仕事、終わらせよう)
実乃莉は座ると目の前の書類を眺める。印刷し、あとは封入して送るだけの請求書。実乃莉はふと、その書類に違和感を感じた。
「……嘘!」
実乃莉は思わず声に出してしまう。よくよく見ると、印字された日付は全て一ヶ月前だ。
焦りながら深雪から渡されたマニュアルを引っ張りだすと、もう一度それに目を通す。実乃莉は、記載されていた日付け変更の手順を抜かしていたことにそのとき気づいた。
もう一度最初からやり直し、印刷し直す。そう大変な作業ではないが、今日投函して置いてと言われていたぶん、気持ちは焦るばかりだった。
印刷されたものを、リストと間違いないか確認し封入する。集中してやり終えたいが、そういうときに限って問い合わせや営業の電話が掛かってきてしまう。
それに対応していると、今度は来客を知らせるインターホンが鳴った。
(来客の予定……あったかな?)
実乃莉は社内で共有している情報をタブレットで確認する。来客やミーティングルームの使用予定が全社員にわかるようになっているものだ。
それを確認しても予定が入っていないときは、ほぼ飛び込みの営業か荷物などの配達だ。
せっかちにもう一度鳴ったインターホンに実乃莉は応答した。
「はい」
机に設置してある、電話機と同じような端末に出ると、扉の向こうが映し出される。明らかに業者でも営業でもなさそうな女性がそこに立っていた。
『私よ。開けてちょうだい』
至極当たり前のようにそう言われ、実乃莉は戸惑っていた。今まで名乗りもせず開けてと言われたことはなく、そんな人の存在も聞かされていなかった。
「恐れ入りますが……どちら様、でしょうか?」
辿々しく実乃莉が尋ねると、『あなたこそ誰? 深雪さんじゃないわよね』とあからさまに不機嫌そうな声が返ってきた。
「もうしわけありません。失礼ですが教えていただけますでしょうか?」
もしかしたら取引先のかたなのかも知れない。それならば聞き覚えがあるはずだった。
『九度山瞳子よ。龍は? いないの?』
全く聞き覚えの無い名前に、龍と呼ぶ女性。
(ご友人……とか?)
そう頭をよぎるが、そんなことを聞くわけにいかない。どうしようと呆然としている間に瞳子は痺れを切らせたようだ。
『いつまで待たせるつもり? 私はね、龍の婚約者よ。あなた、そんなことも知らないの?』
「婚約……者?」
実乃莉は頭が真っ白になる。まさか龍に婚約者がいるなんて思ってもいなかった。
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