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「ただいま~」

玄関に入ると、真っ暗でひんやりした廊下に虚しく自分の声が響く。
当たり前だが、それに返してくれる人などいる訳もなく、俺は廊下の明かりを付けて、ジャケットを脱いでそばに置いてあるコートハンガーに掛けると洗面所へ向かった。

手を洗い、洗濯機から乾燥させてあったスエットを取り出すとその場で着替えた。
一人暮らしは慣れているはずが、今日みたいな日は少し寂しく感じてしまう。
楽しかった反動……なのかも知れないなぁ……と思った。

奥の部屋に向かい、まずは冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、それを持ってリビングの片隅にあるパソコンに向かった。

スマホに登録した、さっちゃんの仕事用のメールアドレスを眺める。
この前の香緒の写真が欲しいと言われて、やっぱりさっちゃんは勉強熱心なんだろうなぁと感心した。
あれだけ目がいいと言うことは、それだけ見てきたはずだ。きっとなんらかの記録は残してるだろうと思ってはいた。

最初にこっちから聞いてあげたらよかったかな?

そう思ったが、さっちゃんの方から言ってくれたおかげで、すんなり誘えたのだからラッキーだったかも知れない。

今日はつい時間を忘れて話し込んでしまった。料理のレシピから地元の事、そして仕事の事。
さっちゃんは楽しそうに答えてくれていたが、あまりに質問攻めにしたから引かれてないだろうか?と今頃になって心配になってしまった。

それにしても、今日一番の衝撃は……あれだ。彼女のお父さんの年齢だ。

ずっとさっちゃんが『おじさん』と呼んでいた店主。
でも俺から見ると、その店主はどうしてもって年齢に見えなかった。

「ねーねーさっちゃん。聞いていい?」

だいぶ心を開いてくれたかな?ってタイミングで恐る恐る俺は尋ねる。

「おじさんって言ってるけど、ご店主、一体いくつ?」

さっちゃんは少しだけ考えて、口を開く。

「おじさんは、私の父と同じ歳なので45な筈です」

そこで俺は無言になった。予想以上に若い。まもなく39になる俺と、6つしか変わらない。

「えーと。ごめん。さっちゃんって、一体いくつなの?」

若い女の子に失礼なのは承知の上で俺が尋ねると、さっちゃんは特に気にする様子もなくそれに答える。

「26です。香緒ちゃんの一学年下なんです」

俺の一回り以上歳下という事実に、俺の顔はたぶん引き攣っていただろう……。
今思い返してみてもそう思った。

パソコンを立ち上げて、さっちゃんにメールを送る準備をする。

何て書こう?と思ったけど、パソコン用のアドレスだし、そもそもすぐに見るとは限らない。当たり障りのない内容にして、前のデータと共に送信した。

さっちゃんが、あんなに俺と話をしてくれたのは、きっとあの店主やお父さんと歳が近いからなんだろうなぁ

何となくそう思った。

「あー……。ダメだ。悪い癖でてるなぁ」

ビールを呷りながら独りごちる。
気になりだすと、ついその子の事ばかり考えてしまう。
それは恋愛対象だろうと無かろうと、ついやってしまう癖。

興味があると、すぐその人の事を知りたくなってしまう。もちろん深入りしすぎると相手に嫌われる事になりかねない行為。
そしてそれは往々にして勘違いを引き起こす。
それで何度付き合っていた相手に叱られて振られたか。しかもほぼ同じ振られ方。

『あなたは私のこと、本当に好きなの?愛してるの?』

本当に好きだったし、愛してるつもりだったんだけどなぁ

結局別れを告げられてしまうのはいつも俺の方。
それを司にそれとなく愚痴った事がある。

『馬鹿じゃねーの?言ってるだろ。お前は付き合ってる相手に対して特別感がまるでないって』

それを司に言われたくないよ……ってその時は思ってたけど、今なら分かるかも知れない。

結婚なんて死んでもごめんだって言ってた司が結婚を考える相手だもんなぁ……。そりゃあ特別だよ。

じゃあ特別感ってなんなんだと言われても、実際のところよく分からない。
今までだって、付き合っている相手は特別気にかけてたし、それ相応の態度はとってたつもりだ。

結局はって事なのかなぁ。

だとすると、自分に今まで以上に大事にしたくて、何よりも特別な相手なんて現れるんだろうか?

なんとなく虚しくなってきて、残りのビールを飲み干すとパソコンの前から立ち上がった。

さっちゃんは、何してるかなぁ

きっと一人暮らしだろう。それとも誰か待っている人がいるのだろうか?
男の人が苦手そうでも、付き合っている人がいないとは限らない。

でも、さっきの別れ際に見せた顔が浮かぶ。
ほんの少し、街灯に照らされた横顔。

さっちゃんも、俺と別れるの寂しいって思ってくれた?

例えそれが俺の都合のいい解釈であっても、俺はさっちゃんともう少し一緒にいたかったよ……。

そう思いながら、俺は持っていた缶を握りつぶしてゴミ箱に投げ入れた。

その週末。
家で撮影データと睨めっこしていると電話がなった。

「もしもーし。どうした?香緒」
『あ、睦月君?あのさ、前に言ってたでしょ?武琉に会いたいって。来週の土曜日うちに遊びに来ないかな?と思って』

香緒のパートナーの武琉君は、実は俺も昔会った事がある相手。結婚式に参加出来てたら会えてたけど、残念ながら参加出来なかったから会えていない。
だからこの前香緒に会った時に、近いうちに会いに行っていいか尋ねておいたのだった。

「うん。空いてるよ~。楽しみだなぁ。武琉君に会うの」
『僕も睦月君に会わせるの楽しみだよ?』

そんな話をしながら、ふと俺は思った。

「ねぇ。さっちゃんは呼ばないの?」
『えっ?さっちゃん?』

唐突すぎたかな~?と思ったが、香緒はしばらく考えてるように電話の向こうで「ん~……」と唸っていた。

『確か実家に帰るって言ってたの、その辺りだったと思うんだよね。祝日と合わせて連休にするって言ってたし」

確かに、月曜日休めば土曜から4連休になる。

「そっか。残念」

俺がついそう呟いたのを聞き逃さず、香緒は声を弾ませ俺に言う。

『さっちゃん、いい子でしょ?この前2人でご飯食べに行ったんだって?』
「あぁ。うん。俺に付き合ってくれて。いい子だよね。仕事も熱心だし」
『でしょ?僕達の仕事には欠かせない大事な子だよ?』

自分の事のように自慢気に香緒は言う。その声に、香緒との付き合いの長さを伺い知る。

「あのさ、香緒。さっちゃんってさ、もしかして男が苦手?」

香緒ならその理由を知っているかもしれないと尋ねてみる。

『あ、気づいた?そうなんだよね。僕はともかく、希海と話できるようになるのに結構かかったし、武琉には未だにちょっと緊張してるみたい』
「そうなんだ……。何でかって聞いた事ある?」
『んー……ないなぁ。僕も最初はただの人見知りだと思ってたし。だいぶ経ってから同世代の男性が苦手なんだって気づいたから』

やっぱり俺が感じ事は間違いじゃなかったんだと思いつつ、理由が分からない事が余計に気になった。

『まー。睦月君は大丈夫なんじゃない?同世代じゃないし』

悪気のない香緒の台詞に、意外とグッサリきてしまう。

分かってたけどさぁ……。結婚してると思われてたくらいだし。

「そうだよね」と俺は返し、当たり障りのない会話をして電話を切った。

とりあえず、来週末の金曜日。香緒との仕事が入っている。
またさっちゃんと仕事するの楽しみだ。

そう思いながら、また俺はパソコンの画面に視線を落とした。
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