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3. 夏の兆しとめぐる想い

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 目を覚ますと、目の前には美しい彫像のような寝顔があった。そんな依澄さんの顔を、同じベッドの中で眺めるのはこれで二回目だ。十年以上前のあの日、これが最初で最後だと、泣きそうな気持ちで見つめたことを思い出してしまう。けれどこれが最後じゃない。まだ夢の中にいるみたいで、実感するように彼の胸の中に擦り寄った。

「……恵舞、起きた?」

 まだ眠そうな声がしてぎゅっと抱きしめられる。

「ごめんなさい。起こしましたか?」
「いや、ちょうど目が覚めたところ。全部夢だったんじゃないかって焦った」
「私も、同じこと思ってました。けど今は、夢じゃないんだなって」

 ふふっと笑い、彼の背中に手を回す。綿の感触の向こう側に熱い体温を感じた。

「一日こうやって、ベッドの上で過ごせたらいいのに」

 しみじみと言って、彼は額に口付ける。それがくすぐったくて肩をすくめて上を向く。

「ですね。一日ゴロゴロ何もしないで過ごすのもいいかも」
「だな。今度はそうしよう。何の予定も入れずに、家で過ごそうか。まあ……ゴロゴロはさせられないかも知れないが」

 含みのある笑みを浮かべる彼に、何が言いたいのか否が応でも察してしまう。

「もうっ!」

 照れ隠しのように頰を膨らませて、抗議すると、彼はクスクス笑う。そして私の体を、いっそう強く腕の中に閉じ込めた。

「ちょっとしたジョークだ。こうしてるだけで、充分幸せだ」
「私も……幸せです」

 それからしばらく、ベッドに潜り込んだまま、たわいもない会話をして過ごした。目が覚めたのは思ったよりずいぶん早い時間だったようで、そろそろシャワーを浴びようかと寝室を出たのは、まだ七時過ぎで驚く。
 朝食は、近所にあるベーカリーに併設されているカフェで取ろうということになり、身支度を整えると家を出た。
 散歩がてら、ゆっくりと歩いて店に向かう。当たり前のように繋がれた手は、しっかりと握られていた。
 店に着くと、焼きたてパンの香りに食欲は刺激される。あれはこれはと、二人で楽しく会話しながらパンを選び、ドリンクをオーダーすると席に着いた。

 食べ始めてすぐ、テーブルに置いていた依澄さんのスマホが震える。それを持ち上げ内容を確認した彼は、顔をこちらに向けた。

「羽瑠、十時で大丈夫だって」

 昨日、会うことまで約束したのいいが、時間も場所も決めていなかったらしい。依澄さんは家を出る前に羽瑠ちゃんにメッセージ送り、その返事が今届いたようだ。

「羽瑠ちゃん、他には何か言ってました?」
「いや? 羽瑠からのメッセージなんて、いつも素っ気ないものだよ」
「羽瑠ちゃんらしいと言えば、らしいですね。けど改まって話があるなんて、やっぱり思いつかなくて……」
「俺も。悪い話ではないと思うんだが」

 依澄さんはコーヒーカップを口に運び、思いを巡らせているようだ。

「ですね。ちょっとドキドキしますけど」
「だな。そうだ。俺たちが正式に付き合いだしたって、羽瑠に言ってもいい?」

 真っ直ぐ私を見据える依澄さんは、どこか緊張しているように見える。そういえばうやむやのままで、はっきりとそんな話しをしていない。
 彼が一番初めに口にした、婚約者ではなく、デーティングからガールフレンドに昇格した。きっとそんなニュアンスだ。その先をどうするか、まだ自分自身の中で固まっていなくてグラグラしている。でもこれだけは、はっきりと言える。

(依澄さんが好き。離れたくない……)

「はい。よろしく……お願いします」

 コクリと頷き顔を上げると、彼は安堵した表情で笑みを浮かべた。

 カフェを出て一度家に帰ると、そのまま車に乗り出発する。
 行き先を聞いていなかったから、着いた場所が依澄さんと最初に会った、祖父に連れて来られたホテルで驚いた。

「会長にここを紹介してもらったあとも、何度か訪れているんだ。……そうか。羽瑠と歩いていたのを見られたのは、この近くかも」

 車を降り、ロビーに向かいながら彼は一人納得するように呟く。

「入社初日、羽瑠と、ちょうど学会で来日していた貴束の両親と、このホテルで食事をしたんだ。あの日本料理店で。二人とも喜んでくれていたよ」

 それにしても、会社から離れたこの場所で社員が見ていたなんて、世間は狭い。だからこの状況だって、誰かに目撃されるのではと緊張感が走る。
 けれど依澄さんは、そんなことを気にする様子もなく、むしろ堂々と、私と指を絡めて手を繋ぎ歩いていた。
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