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2.吹き荒れるは、春疾風
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羽瑠ちゃんは、眉をピクリと動かして不愉快そうに顔を上げた。
「なぜ私が? 黒岩さん、お一人でどうぞ」
「だって相手は、あの竹篠部長だぞ? 羽瑠がいれば心強いっていうか……」
黒岩さんは、口籠もりつつ羽瑠ちゃんを拝むように手を合わせる。もしかして試しているのだろうか。その動向によって、さっき聞いた目撃情報の信憑性を探るために。
黒岩さんの言葉を聞いて、羽瑠ちゃんは呆れたように深く息を吐き出した。
「自分がハワードから出向してきた、優秀な人物だと自惚れているようですね」
「……えっ?」
彼女の口から吐き出される、氷の刃のような辛辣な言葉に、思わず声が漏れる。それは黒岩さんも深瀬くんも同じで、愕然とした様子だ。依澄さんと"親密そう"に歩いていた、なんてとても想像できない羽瑠ちゃんの様子を、みんなが固唾を呑んで見つめていた。
「だいたい。どうして黒岩さんなのか、竹篠部長はご存知ないんじゃ? それを伝えてみてはどうですか。私が出て行く必要はないと思います」
抑揚のない淡々とした口調で、羽瑠ちゃんはきっぱりと言う。
これが羽瑠ちゃんが"氷の女王"と呼ばれる所以だ。氷の息吹のような冷たい口調。容赦ない物言いは、彼女のことを誤解させる要因でもある。けれどこのチームの人間は、羽瑠ちゃんが決して冷たいわけじゃないことを知っている。
だからこそ、依澄さんを下げるような言葉が出たことに、少なからず驚きを隠せない。依澄さんと親密であることを知られないため、わざとそうしたのかと思った。けれど私たちが目撃情報を知っていると知らないのに、そんなことをする理由もない。
空気が凍りつく中、ハッとしながら声を漏らしたのは黒岩さんだ。
「……なるほどな。じゃ、ちょっとばかり行ってくるわ! もし拗らせたらフォロー頼むな、羽瑠」
「大丈夫ですよ。きっと私の出る幕はないでしょうから」
凍てつく寒さが緩むように、羽瑠ちゃんは笑みを浮かべる。黒岩さんもニヤリと笑ったかと思うと、そのまま部屋を出て行った。
何ごともなかったように、羽瑠ちゃんはまたモニターに視線を向けている。自分のほうはまだ放心状態だったが、それに倣うように前を向いた。
(まるで依澄さんを……、ハワードを、嫌悪してるみたいな物言いだった)
人の悪く言うところなんて見たことなかった。だからこそ引っ掛かりを覚える。二人が一緒にいたというのはきっと見間違いだろう。安堵しながらも、どこか気持ちは晴れないでいた。
小一時間ほどして、黒岩さんは意気揚々と戻ってきた。
「いやあ。まいった、まいった」
口ではそう言いつつ、満面の笑みを浮かべながら。
結局のところ、黒岩さんを出張から外したのは、出張の手配をする総務部だった。依澄さんは英語のほかに、フランス語、スペイン語、ポルトガル語ができるらしく、通訳は必要ないと思ったようだ。
けれど実際には、会議のメインテーマが"アフリカ大陸の経済について"で黒岩さんの得意とする、アラビア語やスワヒリ語の通訳は必要不可欠だったのだ。
黒岩さんは父親の仕事の都合で、幼い頃からアフリカの各地を点々としていた人だ。それにより、文化はもちろん言語も必然的に覚えたようだ。そして今でも、その国々の人との交流は続いていると聞く。
依澄さんに直談判に行き、それを話すと、謝罪されたうえで『ぜひ参加してほしい』と伝えられた、と黒岩さんは語った。
「しっかし竹篠部長。もっと冷たいのかと思ったが、案外話しのわかる人でよかったわ。それに、羽瑠がヒントくれたから助かった。もしかして、竹篠部長がアラビア語できないって知ったのか?」
黒岩さんは素知らぬ顔で手を動かしている羽瑠ちゃんに振る。彼女はその手を止め、軽く息を吐くと顔を上げた。
「知らないですよ。ただなんとなく、そうじゃないかと思っただけです」
「そうなのか? てっきり部長と……」
そこまで声に出してから、黒岩さんは慌てて口を噤む。おそらく依澄さんとのことを聞こうとしたのだろう。
「てっきり、なんですか?」
訝しむように眉を顰めた羽瑠ちゃんに「なんでもない。さ、仕事仕事!」と黒岩さんは返し、モニターに向かった。
話しを聞いていた深瀬くんも、羽瑠ちゃんも仕事を再開し、カチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえ始める。
(何も……ないよね?)
目の前に書類を広げたまま、ピンと背筋を伸ばした美しい彼女を盗み見て思う。
よくよく考えば、依澄さんが着任してまだ一週間ほど。二人にそう接点があったとは思えない。だから違う、と心の中で自分に聞かせる。
なのに、強い風が吹き荒れているような、そんな気持ちだ。春を連れてきたはずの疾風は、新しい芽の息吹を感じさせていた。けれど時々寒気はぶり返し、心の隙間に入り込むと冷やしていく。
――それはデーティングが、複数同時に行われても何の問題もない、普通のことだとわかっているから、なのかも知れないと思った。
「なぜ私が? 黒岩さん、お一人でどうぞ」
「だって相手は、あの竹篠部長だぞ? 羽瑠がいれば心強いっていうか……」
黒岩さんは、口籠もりつつ羽瑠ちゃんを拝むように手を合わせる。もしかして試しているのだろうか。その動向によって、さっき聞いた目撃情報の信憑性を探るために。
黒岩さんの言葉を聞いて、羽瑠ちゃんは呆れたように深く息を吐き出した。
「自分がハワードから出向してきた、優秀な人物だと自惚れているようですね」
「……えっ?」
彼女の口から吐き出される、氷の刃のような辛辣な言葉に、思わず声が漏れる。それは黒岩さんも深瀬くんも同じで、愕然とした様子だ。依澄さんと"親密そう"に歩いていた、なんてとても想像できない羽瑠ちゃんの様子を、みんなが固唾を呑んで見つめていた。
「だいたい。どうして黒岩さんなのか、竹篠部長はご存知ないんじゃ? それを伝えてみてはどうですか。私が出て行く必要はないと思います」
抑揚のない淡々とした口調で、羽瑠ちゃんはきっぱりと言う。
これが羽瑠ちゃんが"氷の女王"と呼ばれる所以だ。氷の息吹のような冷たい口調。容赦ない物言いは、彼女のことを誤解させる要因でもある。けれどこのチームの人間は、羽瑠ちゃんが決して冷たいわけじゃないことを知っている。
だからこそ、依澄さんを下げるような言葉が出たことに、少なからず驚きを隠せない。依澄さんと親密であることを知られないため、わざとそうしたのかと思った。けれど私たちが目撃情報を知っていると知らないのに、そんなことをする理由もない。
空気が凍りつく中、ハッとしながら声を漏らしたのは黒岩さんだ。
「……なるほどな。じゃ、ちょっとばかり行ってくるわ! もし拗らせたらフォロー頼むな、羽瑠」
「大丈夫ですよ。きっと私の出る幕はないでしょうから」
凍てつく寒さが緩むように、羽瑠ちゃんは笑みを浮かべる。黒岩さんもニヤリと笑ったかと思うと、そのまま部屋を出て行った。
何ごともなかったように、羽瑠ちゃんはまたモニターに視線を向けている。自分のほうはまだ放心状態だったが、それに倣うように前を向いた。
(まるで依澄さんを……、ハワードを、嫌悪してるみたいな物言いだった)
人の悪く言うところなんて見たことなかった。だからこそ引っ掛かりを覚える。二人が一緒にいたというのはきっと見間違いだろう。安堵しながらも、どこか気持ちは晴れないでいた。
小一時間ほどして、黒岩さんは意気揚々と戻ってきた。
「いやあ。まいった、まいった」
口ではそう言いつつ、満面の笑みを浮かべながら。
結局のところ、黒岩さんを出張から外したのは、出張の手配をする総務部だった。依澄さんは英語のほかに、フランス語、スペイン語、ポルトガル語ができるらしく、通訳は必要ないと思ったようだ。
けれど実際には、会議のメインテーマが"アフリカ大陸の経済について"で黒岩さんの得意とする、アラビア語やスワヒリ語の通訳は必要不可欠だったのだ。
黒岩さんは父親の仕事の都合で、幼い頃からアフリカの各地を点々としていた人だ。それにより、文化はもちろん言語も必然的に覚えたようだ。そして今でも、その国々の人との交流は続いていると聞く。
依澄さんに直談判に行き、それを話すと、謝罪されたうえで『ぜひ参加してほしい』と伝えられた、と黒岩さんは語った。
「しっかし竹篠部長。もっと冷たいのかと思ったが、案外話しのわかる人でよかったわ。それに、羽瑠がヒントくれたから助かった。もしかして、竹篠部長がアラビア語できないって知ったのか?」
黒岩さんは素知らぬ顔で手を動かしている羽瑠ちゃんに振る。彼女はその手を止め、軽く息を吐くと顔を上げた。
「知らないですよ。ただなんとなく、そうじゃないかと思っただけです」
「そうなのか? てっきり部長と……」
そこまで声に出してから、黒岩さんは慌てて口を噤む。おそらく依澄さんとのことを聞こうとしたのだろう。
「てっきり、なんですか?」
訝しむように眉を顰めた羽瑠ちゃんに「なんでもない。さ、仕事仕事!」と黒岩さんは返し、モニターに向かった。
話しを聞いていた深瀬くんも、羽瑠ちゃんも仕事を再開し、カチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえ始める。
(何も……ないよね?)
目の前に書類を広げたまま、ピンと背筋を伸ばした美しい彼女を盗み見て思う。
よくよく考えば、依澄さんが着任してまだ一週間ほど。二人にそう接点があったとは思えない。だから違う、と心の中で自分に聞かせる。
なのに、強い風が吹き荒れているような、そんな気持ちだ。春を連れてきたはずの疾風は、新しい芽の息吹を感じさせていた。けれど時々寒気はぶり返し、心の隙間に入り込むと冷やしていく。
――それはデーティングが、複数同時に行われても何の問題もない、普通のことだとわかっているから、なのかも知れないと思った。
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