26 / 115
2.吹き荒れるは、春疾風
4
しおりを挟む
窓を背に人事部長が立つ頃には、秘書室の社員は全員口を噤み、その場に姿勢よく起立していた。
けれど普段、秘書たちの動きなど気にしてもいないこちら側の人間は、いつも通り机に向かっていた。
それを見た、白髪頭でお腹の出た小柄な人事部長は、察しろと言わんばかりにわざとらしく咳払いをした。
「ちょ、ちょっと、みんなっ……!」
慌てて小さく呼びかけると、ようやく状況を把握したようだ。みんなは立ち上がると、秘書課と社内通訳の島の間にあるスペースに並んだ。なにしろ、人事部長からここまで五メートルほど距離がある。自席だと話が聞こえないのだ。
私たちが並んだのを見て、人事部長はまた咳払いを一つすると、口を開いた。
「皆さんに、今日着任した新部長を紹介します」
遠目だろうが、誰かなんて分かりきっている。今年度外部から新たにやってきた部長はただ一人なのだから。
彼に視線を向けることなどできず、仕方なく隣りにいる人事部長の、突き出たお腹にぼんやり目を向けた。
「経営戦略部、部長の竹篠依澄だ。よろしく頼む」
自分の知る軽い調子の声色ではなく、一番最初に聞いたときと同じ少し低めの張りのある声。内容こそ簡単だが、堂々としていて威厳のようなものさえ感じる。明らかに秘書課の女性たちからは、感嘆の溜め息が漏れていた。
「なあ、知ってるか?」
隣りに立っていた黒岩さんが、顔を前に向けたまま体を斜めに寄せ、耳打ちする。私もまた、顔は前に向けたまま「なんですか?」と返した。
「営業部長、自分より年下でイケメンなうえに、地位的には上の新部長が来て、めちゃくちゃ不機嫌らしいぞ」
「さすが情報通。また営業部の子と合コンしたんですね」
「ま、そういうこと」
呆れながら返す私に、黒岩さんはクスクス笑っている。社内中の部署の女子たちと合コンしていると言っても過言ではない黒岩さんは、こうやって仕入れた情報を教えてくれる。だから私は、ハワードから出向してくる部長の噂を聞いていたのだ。
二人でコソコソ話していると、いつのまにか人事部長は窓の前から消えていた。挨拶も終わったし、部屋を出て行ったのか、と気を抜いたときだった。
「社内通訳チームの皆さん。はじめまして」
ヌッと大きな影が現れたかと思うと、そこにはダークネイビーのスリーピースを纏った、無表情の依澄さんが立っていた。
「……っ‼︎」
意表を突かれ、悲鳴を上げそうになり口を塞ぐ。そんな私を一瞥すると、彼はふいっと顔を背けた。
けれど普段、秘書たちの動きなど気にしてもいないこちら側の人間は、いつも通り机に向かっていた。
それを見た、白髪頭でお腹の出た小柄な人事部長は、察しろと言わんばかりにわざとらしく咳払いをした。
「ちょ、ちょっと、みんなっ……!」
慌てて小さく呼びかけると、ようやく状況を把握したようだ。みんなは立ち上がると、秘書課と社内通訳の島の間にあるスペースに並んだ。なにしろ、人事部長からここまで五メートルほど距離がある。自席だと話が聞こえないのだ。
私たちが並んだのを見て、人事部長はまた咳払いを一つすると、口を開いた。
「皆さんに、今日着任した新部長を紹介します」
遠目だろうが、誰かなんて分かりきっている。今年度外部から新たにやってきた部長はただ一人なのだから。
彼に視線を向けることなどできず、仕方なく隣りにいる人事部長の、突き出たお腹にぼんやり目を向けた。
「経営戦略部、部長の竹篠依澄だ。よろしく頼む」
自分の知る軽い調子の声色ではなく、一番最初に聞いたときと同じ少し低めの張りのある声。内容こそ簡単だが、堂々としていて威厳のようなものさえ感じる。明らかに秘書課の女性たちからは、感嘆の溜め息が漏れていた。
「なあ、知ってるか?」
隣りに立っていた黒岩さんが、顔を前に向けたまま体を斜めに寄せ、耳打ちする。私もまた、顔は前に向けたまま「なんですか?」と返した。
「営業部長、自分より年下でイケメンなうえに、地位的には上の新部長が来て、めちゃくちゃ不機嫌らしいぞ」
「さすが情報通。また営業部の子と合コンしたんですね」
「ま、そういうこと」
呆れながら返す私に、黒岩さんはクスクス笑っている。社内中の部署の女子たちと合コンしていると言っても過言ではない黒岩さんは、こうやって仕入れた情報を教えてくれる。だから私は、ハワードから出向してくる部長の噂を聞いていたのだ。
二人でコソコソ話していると、いつのまにか人事部長は窓の前から消えていた。挨拶も終わったし、部屋を出て行ったのか、と気を抜いたときだった。
「社内通訳チームの皆さん。はじめまして」
ヌッと大きな影が現れたかと思うと、そこにはダークネイビーのスリーピースを纏った、無表情の依澄さんが立っていた。
「……っ‼︎」
意表を突かれ、悲鳴を上げそうになり口を塞ぐ。そんな私を一瞥すると、彼はふいっと顔を背けた。
20
お気に入りに追加
167
あなたにおすすめの小説
副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~
真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。
ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
俺様カメラマンは私を捉えて離さない
玖羽 望月
恋愛
【もう誰も私の心の中に近づかないで。そう思っていた。なのに……出会ってしまった。あの人に】
家と職場を往復する毎日。そんなつまらない日常。傷つくくらいなら、ずっと殻に閉じこもっていればいい。そう思っていた。
なのに、私はあの男に出会ってしまった。
体から始まった関係に愛などいらない。ただ、身体だけ満たして。
*長森 瑤子(ながもり ようこ) 35歳
マネジメント事務所で働く。
*長門 司(ながと つかさ) 39歳
ニューヨーク帰りのファッションカメラマン
自作品「One night stand after」(アルファ版にはこの作品と同じタイトルを付けていましたが別サイトと同名に統一しました)を大幅変更した改稿版です。最初からまた書き直しております。
別シリーズとは繋がっていないパラレルワールドの話だと思ってください。
すでにOne nightをお読みいただいた方も楽しんでいただけたら嬉しいです。
(同じエピソードが出てくる可能性はあります)
※作品中に登場する企業、団体等は全て架空です。フィクションとしてお楽しみください。
ヤンチャな御曹司の恋愛事情
星野しずく
恋愛
桑原商事の次期社長である桑原俊介は元教育係で現在は秘書である佐竹優子と他人には言えない関係を続けていた。そんな未来のない関係を断ち切ろうとする優子だが、俊介は優子のことをどうしても諦められない。そんな折、優子のことを忘れられない元カレ伊波が海外から帰国する。禁断の恋の行方は果たして・・・。俊介は「好きな気持ちが止まらない」で岩崎和馬の同僚として登場。スピンオフのはずが、俊介のお話の方が長くなってしまいそうです。最後までお付き合いいただければ幸いです。
昨日、課長に抱かれました
美凪ましろ
恋愛
金曜の夜。一人で寂しく残業をしていると、課長にお食事に誘われた! 会社では強面(でもイケメン)の課長。お寿司屋で会話が弾んでいたはずが。翌朝。気がつけば見知らぬ部屋のベッドのうえで――!? 『課長とのワンナイトラブ』がテーマ(しかしワンナイトでは済まない)。
どっきどきの告白やベッドシーンなどもあります。
性描写を含む話には*マークをつけています。
黒王子の溺愛は続く
如月 そら
恋愛
晴れて婚約した美桜と柾樹のラブラブ生活とは……?
※こちらの作品は『黒王子の溺愛』の続きとなります。お読みになっていない方は先に『黒王子の溺愛』をお読み頂いた方が、よりお楽しみ頂けるかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる