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1.始まりの春
5.
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「私の話しはそれくらいになさって、料理をいただきませんか?」
彼がそう切り出すと、祖父は「そうだな」と頷き箸を持ち上げる。
「これは……何でしょう? 会長、ご教授いただけないでしょうか」
品書きは添えてあるが、読むのは得意でないのかも知れない。彼は不思議そうな表情で料理を見つめ、祖父に尋ねた。
「これは――」
喜び勇んで祖父は料理の説明を始める。使われている食材や調理法など、さすが年の功、まるで作った本人のように説明している。
饒舌な祖父と熱心にそれを聞く彼を横目に、私は黙々と料理を口に運ぶ。アメリカに住んでいるときはあまり食べることのなかった和食。母は食べたがったが、田舎町に日本の食材を置く店もなく、滅多に出てくることはなかった。
(菜の花だ。懐かしいな)
鮮やかな緑に、ほんの少し花ビラの黄色が混ざる和物を箸で摘むと口に運ぶ。
(この苦みがいいのよねぇ……)
アメリカで一度だけ、母が買ってきて調理してくれたことがある。そのとき食べた母は、残念そうな表情をしていた。その理由は、日本に帰ってきてから知った。可愛らしい見た目と一致しないほろ苦い味。前に食べたものとはずいぶん違っていたからだ。
『これよ、これ!』
母は懐かしそうに言いながら、笑顔で食べていた。好物だったらしいのだが、日本に帰国したのは夏で、翌年の春にようやくありつけたのだ。
その顔を見て、やっぱり母はずっと日本に帰りたかったんだろうな、と改めて思った。
私は……そのままずっと、ルークのいるアメリカに住んでいたかったのだけど。
一人物思いに耽っていると、次は汁椀が運ばれてきて目の前に置かれる。黒い漆器の椀に金色の柄がさりげなく描かれている。蓋を開けると、出汁の香りがふわりと広がった。具材は、桃の節句にちなみ大きな蛤だ。
「わぁ……良い香り」
独りごちるように小さく呟くと、それは竹篠さんの耳に届いたようだ。彼はこちらに顔を向けて微笑んだ。
「ええ。とても」
クールな人なのかと思っていたが、その笑みはソフトで鼓動が早まる。それも全て、ルークに似ているせいだと自分に言い聞かせ、椀に口を付けた。
(お出汁が沁みるなぁ……)
和食は出汁が命、なんて言われるが、まさにそうだ。アメリカでは出会うことのなかった、繊細で柔らかな味。やはり日本の血が流れているからだろう。帰国してすぐ虜になったのだった。
彼も同じように椀に口を付けている。いくらアメリカにある会社に勤めているとは言え、日本企業とビジネスで会食をしたこともあるだろう。さっきから箸の持ち方どころか、和食のマナーまで完璧でそつがない。
その彼は椀から口を離すと、僅かに頰を緩めている。今度はお気に召したようだ。
「これは美味い……。こんな上品で奥の深い汁物は初めてです」
感嘆のため息と共に言う彼に、祖父は自分が褒められたように上機嫌になっている。
「竹篠君はなかなかに繊細な舌を持っているようだ! 私はここの料理長の出汁が日本で一番美味いと思っておるんだ」
高らかに笑いながら言う祖父は、相当彼を気に入っているようだ。そして彼もまた、祖父に気に入られようとしているように見える。
(あぁ、そうか)
自分を蚊帳の外に置いて談笑する二人を見てなんとなく察する。
宮藤とハワードは、数ヶ月前の一二月、資本提携を発表した。日本とアメリカの大企業同士の提携は、テレビでも報道されるほど大きなニュースだった。
そしてこの四月から、本格的に提携を開始することになっていた。人材交流も活発に行われる予定で、先週にはハワードに出向する社員の異動が発表されたばかり。もちろんハワードからも社員が出向してくると聞いている。
私がこんなに詳しい理由。それは自分も宮藤の本社の一社員だからだ。コネは一切使っていない。試験の前、会長職ではあるが役員に名を連ねる祖父に釘を刺しておいた。祖父には人事採用権はないと聞いたが、それでも念のため。
第一志望の宮藤から採用通知が届いたときは、飛び上がるほど嬉しかった。それも希望通りの職種で。それでも私は、ただの末端社員。祖父がこうして、ハワードの要職に就く竹篠さんを会わせたかった理由など、どう考えても思いつかなかった。
なんだかモヤモヤしたまま食事は進んでいく。新たな料理が提供されるたび、祖父と彼はあれこれと話に花を咲かせている。料理の話から日本の文化の話まで、彼はそれにじっと耳を傾けていた。
ようやく自分に話を振られたのは、最後の水菓子に手をつけ始めてからだった。
「どうだ、恵舞。彼は良い男だろう」
「え、ええ」
取り繕うように笑顔を浮かべ祖父に答える。良いも何も、ほぼ会話をしていない。絶対に良いと言えるのはその見た目だけだ。
そんなことを考える私に、祖父はニコニコと破顔したまま次の言葉を続けた。
「どうだ、恵舞。彼と結婚するのは」
水菓子の真っ赤な苺を食べようとしたところで、ポカンと口を開いたまま止まる。
「…………。結婚⁈」
あまりの急な話に、思わず声を上げていた。
彼がそう切り出すと、祖父は「そうだな」と頷き箸を持ち上げる。
「これは……何でしょう? 会長、ご教授いただけないでしょうか」
品書きは添えてあるが、読むのは得意でないのかも知れない。彼は不思議そうな表情で料理を見つめ、祖父に尋ねた。
「これは――」
喜び勇んで祖父は料理の説明を始める。使われている食材や調理法など、さすが年の功、まるで作った本人のように説明している。
饒舌な祖父と熱心にそれを聞く彼を横目に、私は黙々と料理を口に運ぶ。アメリカに住んでいるときはあまり食べることのなかった和食。母は食べたがったが、田舎町に日本の食材を置く店もなく、滅多に出てくることはなかった。
(菜の花だ。懐かしいな)
鮮やかな緑に、ほんの少し花ビラの黄色が混ざる和物を箸で摘むと口に運ぶ。
(この苦みがいいのよねぇ……)
アメリカで一度だけ、母が買ってきて調理してくれたことがある。そのとき食べた母は、残念そうな表情をしていた。その理由は、日本に帰ってきてから知った。可愛らしい見た目と一致しないほろ苦い味。前に食べたものとはずいぶん違っていたからだ。
『これよ、これ!』
母は懐かしそうに言いながら、笑顔で食べていた。好物だったらしいのだが、日本に帰国したのは夏で、翌年の春にようやくありつけたのだ。
その顔を見て、やっぱり母はずっと日本に帰りたかったんだろうな、と改めて思った。
私は……そのままずっと、ルークのいるアメリカに住んでいたかったのだけど。
一人物思いに耽っていると、次は汁椀が運ばれてきて目の前に置かれる。黒い漆器の椀に金色の柄がさりげなく描かれている。蓋を開けると、出汁の香りがふわりと広がった。具材は、桃の節句にちなみ大きな蛤だ。
「わぁ……良い香り」
独りごちるように小さく呟くと、それは竹篠さんの耳に届いたようだ。彼はこちらに顔を向けて微笑んだ。
「ええ。とても」
クールな人なのかと思っていたが、その笑みはソフトで鼓動が早まる。それも全て、ルークに似ているせいだと自分に言い聞かせ、椀に口を付けた。
(お出汁が沁みるなぁ……)
和食は出汁が命、なんて言われるが、まさにそうだ。アメリカでは出会うことのなかった、繊細で柔らかな味。やはり日本の血が流れているからだろう。帰国してすぐ虜になったのだった。
彼も同じように椀に口を付けている。いくらアメリカにある会社に勤めているとは言え、日本企業とビジネスで会食をしたこともあるだろう。さっきから箸の持ち方どころか、和食のマナーまで完璧でそつがない。
その彼は椀から口を離すと、僅かに頰を緩めている。今度はお気に召したようだ。
「これは美味い……。こんな上品で奥の深い汁物は初めてです」
感嘆のため息と共に言う彼に、祖父は自分が褒められたように上機嫌になっている。
「竹篠君はなかなかに繊細な舌を持っているようだ! 私はここの料理長の出汁が日本で一番美味いと思っておるんだ」
高らかに笑いながら言う祖父は、相当彼を気に入っているようだ。そして彼もまた、祖父に気に入られようとしているように見える。
(あぁ、そうか)
自分を蚊帳の外に置いて談笑する二人を見てなんとなく察する。
宮藤とハワードは、数ヶ月前の一二月、資本提携を発表した。日本とアメリカの大企業同士の提携は、テレビでも報道されるほど大きなニュースだった。
そしてこの四月から、本格的に提携を開始することになっていた。人材交流も活発に行われる予定で、先週にはハワードに出向する社員の異動が発表されたばかり。もちろんハワードからも社員が出向してくると聞いている。
私がこんなに詳しい理由。それは自分も宮藤の本社の一社員だからだ。コネは一切使っていない。試験の前、会長職ではあるが役員に名を連ねる祖父に釘を刺しておいた。祖父には人事採用権はないと聞いたが、それでも念のため。
第一志望の宮藤から採用通知が届いたときは、飛び上がるほど嬉しかった。それも希望通りの職種で。それでも私は、ただの末端社員。祖父がこうして、ハワードの要職に就く竹篠さんを会わせたかった理由など、どう考えても思いつかなかった。
なんだかモヤモヤしたまま食事は進んでいく。新たな料理が提供されるたび、祖父と彼はあれこれと話に花を咲かせている。料理の話から日本の文化の話まで、彼はそれにじっと耳を傾けていた。
ようやく自分に話を振られたのは、最後の水菓子に手をつけ始めてからだった。
「どうだ、恵舞。彼は良い男だろう」
「え、ええ」
取り繕うように笑顔を浮かべ祖父に答える。良いも何も、ほぼ会話をしていない。絶対に良いと言えるのはその見た目だけだ。
そんなことを考える私に、祖父はニコニコと破顔したまま次の言葉を続けた。
「どうだ、恵舞。彼と結婚するのは」
水菓子の真っ赤な苺を食べようとしたところで、ポカンと口を開いたまま止まる。
「…………。結婚⁈」
あまりの急な話に、思わず声を上げていた。
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