駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛

玖羽 望月

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1.始まりの春

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 開業したばかりだけれど、祖父はレセプションパーティに招待されていて、すでにこのホテルを訪れたことがあるらしい。最上階にはフレンチレストランやダイニングバー、それに割烹料理店が入っていると祖父はエレベーターの中で教えてくれた。

 そして今日はその中から、割烹料理店を予約してくれているらしい。なんでも昔から懇意にしている料亭が手掛けた店で、ぜひ来店して欲しいと料理長から連絡があったのだとか。
 そんな話しを聞くと、やはり由緒ある宮藤ホールディングスの会長なんだなと、いまさら実感してしまう。
 もちろん普段は、宮藤の威光をかさに着るような真似はしていない。それは私も同じで、自分が宮藤と親類関係にあるなどと、誰にも言っていない。言ったところで信じてすらもらえそうにないのが現状だけれど。
 祖父も祖父で、時々こうして自分を甘やかしてくれるが、節度を守ってくれている。だからこそ、こうして会っていられるのだと思っている。

 そんなことを思いながら、絵画が並ぶ美術館のような廊下を、祖父と歩く。途中、パリにある三つ星レストランの日本初出店だという、洒落た店の前を通り、さらにその奥に進んで行った。

「ここのようだ」

 一番奥まった場所にあるその店先には、柿色の暖簾が掛けられていて、隅には控えめに店の名前が入っていた。入り口は白木の引き戸で作られていて、間口は広く、ここがホテルの中ということも忘れそうなほど立派な店構えだった。

「ようこそお越しくださいました。宮藤様」

 戸の脇に控えていた薄紅色の着物を着た年配の女性が、祖父の顔を見るなり恭しくお辞儀をした。

「おぉ! これはこれは。女将直々に出迎えとは!」
「宮藤様とお会いできるのを心待ちにしておりました」

 ホホホと上品に笑う女将に、祖父は続けた。

「この子は私の孫娘だ。今日は桃の節句の祝いをしようと思ってな」

 彼女が笑みを浮かべてこちらに顔を向けると、私は挨拶を始めた。

「初めまして。雪代恵舞と申します。素晴らしいお料理をご用意くださるお店だと伺っております。とても楽しみです」

 仰々しいかも知れないが、祖父の顔に泥を塗るわけにはいかない。挨拶が終わると女将は恐縮したように頭を下げた。

「女将でございます。料理長も、今日はいっそう張り切っております。ごゆるりとお過ごしくださいませ。お部屋にご案内いたします。さ、こちらへ」

 腰を低くして先を進む女将に続いて店に入る。
 おそらくヒノキを使用した白木のカウンターや柱が真新しさを感じさせている。ところどころに、生け花や茶器、浮世絵などがインテリアとして飾られていて、海外の人も喜びそうな和のテイストがふんだんに取り入れられていた。
 カウンター席の並ぶ場所を通り過ぎその奥に進むと、室内だとは思えない小さな枯山水が現れる。その横には、個室になっているのか障子戸が並んでいて、まるで料亭そのものに訪れたような錯覚を覚える。
 先に進んでいた女将は、その一つの前で立ち止まると振り返った。

「こちらでございます」

 こちらに一言かけたあと、その障子戸を「失礼いたします」と開けていた。
 畳敷きなのかと思っていたが、違うようだ。靴のまま戸の先に進むと、私たちをまず出迎えたのは、大きな花瓶に生けられた桃の花だった。もちろんそれは本物で、なんとなくだけれど花の香りが漂っていた。

「いい香り」
「そうだな」

 私たちが花を見ながらそんなことを話していると、女将は花瓶の後ろにある金屏風の横で止まった。

「お連れ様がお見えになりました」

 向こう側に向かいお辞儀をする女将に、ん? と不思議に思う。今日、自分たちの他に誰かいるなんて聞いていないからだ。

「おじいちゃん。他に誰かいるの?」
「恵舞に紹介したい人がおってな。かしこまらずともよい」

 小声で尋ねると、祖父はニコニコ笑って答えた。

「えっ? ちょっと……」

 今まで祖父と外で会って、誰かを紹介されたことなどない。慌てている私を置いて祖父は先に歩き出し、仕方なくそのあとに続くしかなかった。

 屏風の向こうは、また違う空間に思えた。
 大きな窓の向こうは遮るものもなく、薄水色の空が絵のように広がっている。テーブルは外国の人にも対応するためか、高さのある和モダンといった感じのシックなものだ。そしてそこには一人、スーツ姿の男性が座っていた。
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