恋をするのに理由はいらない

玖羽 望月

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「え……? あ、あのっ」

 動揺する私を意に介さず、戸田さんは笑みを浮かべたまま続けた。

「僕はこの話、に進めたいと思っているんですよ」
「先って……どう言う……こと、ですか?」

 急に喉がカラカラになったような気がして、言葉が張り付いて出てこない。

「もちろん、結婚も視野に入れて交際したい、と言うことですよ? 澪さん」

 さあっと血の気が引くような気がした。やはりこれは、だったのか、と指先が冷たくなった。

 伯父様も、正式な話ではないにしろ、うまくいけばそれでいいと思ったのかも知れない。それに、これは私の将来を心配してのことだと思う。そう外交的でもなく、出会いの場も少ないだろう私のことを。

「こ……まり、ます」

 絞り出すように言うと、戸田さんは笑みを浮かべたその顔を崩すことなく私に尋ねた。

「どうして? こんなに話しも合いますし、僕は実際お会いして、より貴女に興味がでましたよ? 澪さんは、僕に好感を持っていただけなかったのでしょうか?」

 さすがは若くして大企業の役員を務める人だ。こんな聞き方をされては、『持ってない』とは答えられない。そして、『持ってる』と答えれば、この話を押し切られてしまいそうだ。でも、この場で口に出せる答えは一つ。

「そんなことは……ありません」

 硬い表情で答える私に、戸田さんはスッと目を細め冷たい瞳で私を見下ろした。

「では、お付き合いしているかたでもいるのですか?」

 そんなことを、ここで答えるわけにはいかない。この人に『いる』と言ってしまえば、たちまち伯父にも父にも伝わってしまう。
 一矢と付き合っていることを隠したいわけじゃないけど、一矢の会社での立場もあるのに、断りもなく言っていい話ではない。

「あ……の、それは……」

 どうしようと取り乱している私には、全く周りが見えていなかった。
 
「僕のを困らせないでくれるかな?」

 突然頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。
 飄々とした、演技がかったその物言い。私は「えっ?」と声を漏らし顔を上げた。

「戸田……さん? なんでこんなところに」

 私たちの間に割って入るようにテーブルのそばに立つと、戸田トレーナーは私にニッコリ笑って見せた。目の前に座るその人と同じような顔で。

「色々と事情があって。澪を助けにきたんだよ?」

 どう言うことかと私が尋ねる前に、目の前の戸田さんは睨みつけるように見上げて言った。

「大事な人……。やはり兄さんは、澪さんと交際していたんですね?」

 兄……さん。やっぱりそうだったんだ

 身上書に記載しなかったのはワザとなのかと腑に落ちた。
 それにしても、トレーナーと交際なんて、と否定しようとすると、先にトレーナーが声を漏らし笑いながら続けた。

「やだな。大事な仲間ってことだよ? 彼女の交際相手はちゃんといるし。ね? 朝木君?」

 トレーナーが私の後ろに視線を送り、私もそれと同時に振り返る。

「一矢⁈」

 背後にあった通路には、今から仕事に行くの? と尋ねたいくらいビシッと濃紺のスーツを着た一矢が立っていた。

「悪い、澪。今日のこと知ってたのに黙ってて」

 呆然としている私に小さく謝ると、一矢は向こう側を見据えた。

「初めまして、戸田常務。旭河株式会社、広報部経営戦略室第一係長兼、ソレイユの広報責任者をしております、朝木一矢と申します」

 愛想笑いすら浮かべず、真っ直ぐに厳しい視線を送りながら一矢は言う。その様子は、喧嘩でも売っているようでハラハラしてしまう。
 そんな一矢に余裕のある笑みを浮かべ、戸田さんは立ち上がる。

「初めまして。Doorsの……」

 急にその顔に、驚きの感情が浮かび上がる。一矢の向こう側を見て驚いたようだ。

「沙希……。なぜいるんだ?」

 一矢の影に隠れるように立っていたその人は、控えめに一歩下がったまま視線を落としていた。

「申し訳ありません、匡樹様。どうしても……黙っていられませんでした」

 苦しげに沙希さんがそう言うと、トレーナーが口を開いた。

「沙希を責める筋合いはないよね? 沙希にフラれたからって、当てつけにこんなことを仕組んだのはわかってるよ?」

 その明るい口調が癪に障ったのか、戸田さんはトレーナーを睨みつけていた。
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