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 しばらくしてから、一矢は力を抜いたかと思うと、ポスンと私の膝に頭を置く。

「悪りぃ。むちゃくちゃ眠い。ちょっと寝かせて」

 言うが早いか、もう一矢は目を閉じている。私はその頭をそっと撫でた。一矢はフッと一度表情を緩めると、すぐに寝息を立てていた。


『──澪、聞いてるのか?』

 電話の向こうから創の呆れたような声が聞こえ、ハッとする。

「ごめん。なんだっけ?」
『一矢は朝まで起きないだろうから、そのまま寝かせてやってくれ』
「わかった。明日の朝はご飯食べにくるでしょ?」

 私は創に一応尋ねてみる。創が家にいるなら、ご飯を食べにくるのは当たり前のことだ。そう言う約束だから。

 退院し家に帰った私は、部屋すらほぼ出ようとしなかった。それに、あんなに好きな料理すらしなくなった。
 最初は家族も、足が痛むからだろうと思っていたみたいだ。でも、リハビリも始まり、立つことに問題がなくなっても、私は変わらなかった。
 なんの目標もなく、ただぼんやりと過ごしていた私を連れ出したのは、創だった。

 その日も、出張のたびに毎回律儀に買ってくるお土産を持参してうちに現れた創は、私の様子を覗きにやって来た。
 創はソファに座って虚な表情を浮かべていた私を見て小さく溜息を吐いた。そんな創に、私は自分の隣の空いた場所をトントンと叩いて座るよう促す。そして、無言でそこに座った創の首に、私は黙って抱きついた。
 小さい頃からの私の癖。嫌なことも楽しいことも、こうやって抱きついては一方的に話を聞いてもらっていた。
 もちろん男女のそんな姿は、外野から見れば誤解されるだろう。でも、私たちの間にはそんな感情はない。従兄弟同士で、結婚しようと思えばできる間柄。でも私にとっては弟……というより、小学生の頃に死んでしまった飼い犬の代わりだった。

 いつものように、私にされるがままに抱きつかれた創はピクリとも動かない。励ますように背中を撫でるなんてこともない。ただじっとしているところが本当に犬のようだ。
 ただし、今日は少し違った。
 しばらくすると私を引き剥がし、創は私を見据える。

「澪。一緒に住まないか? 俺に食事を作って欲しい」
「何それ? プロポーズ?」

 そうじゃないことなどわかっているから笑いながら返す。

「そんなつもりはないが?」
「同じ家は嫌よ。せめて同じマンションなら考えるけど」
 
 このとき私は、それをあまり本気として捉えていなかった。そして、やり手営業マンの実力をすっかり侮っていた。

 創はあっさり自分の住むマンションに空きを見つけ、ちゃっかりうちの両親を丸め込むと、さっさと引っ越しの日取りを決めてしまった。あれよあれよと言う間にここに越してきたのは、3週間ほど前のことだった。

 そのときに約束したのは、創が家にいるときは私がご飯を作ること。そのかわり、創は買い出しを手伝うこと。もちろん創は、何も言わなくても材料費にプラスして渡してくれていた。そのあたりは律儀だ。

 そんな暮らしは、気がつけばいい気分転換になっていた。
 私は、世話を任された飼い主のごとく、創にちゃんとしたものを食べさせようと張り切った。アレンジレシピに挑戦したり、ちょっと手間のかかるものに挑戦したり。ようやく楽しい、と思えるようになってきたのだった。


『──用意できたら連絡してくれ。一矢もきっと食べるだろう。ちなみに、俺と同じで朝は和食派だ』
 
 創は、すでにどっちなのか悩み始めていたのがみえているかのように私に告げる。

「わかった。じゃ、おやすみ」
『あぁ』

 短い挨拶を済ますと電話を切る。一矢は話し声など気にならないのか、まだ私の膝枕で熟睡していた。

 寝顔、可愛い……

 創より、一矢のほうが昔飼っていた犬に似てるかも、なんて思いながらそっと髪に触れる。

 それにしても、『久しぶりに友人を家に呼ぶんだ。何かつまみになるものを作ってもらえると助かる』と言われたその友人が、一矢だったなんて、今でも信じられない。でも、もっと信じられないのは、告白されたことだった。

 長年の片想いって、いったいいつからなんだろ? 

 安心したように眠る横顔を眺めながら思う。
 私たちが出会ったのは、去年の4月。まだ1年ちょっと前のこと。まさか、一目惚れでした、なんてことはないと思うけど、気にはなる。

 ま、いっか。ゆっくり聞こう……

 私は、そっと一矢の頭を膝から下ろす。一瞬顔を顰めただけで起きる気配はなさそうだ。
 部屋に戻り毛布を持ってくると、一矢の体に掛けた。リビングの灯りは消していて、キッチンの灯りがほんのり照らしている。
 私はソファの横の床に座り込むと、一矢の寝顔を眺めていた。

 見てるだけで心の中が温かくなって、こんなにもドキドキしてしまうんだ。こんな年になって初めて経験する気持ち。まだ、どうしていいのかわからないし、どうなっていくのかわからない。
 それでもわかっていることは一つある。

「……好き、だよ」

 呪文を唱えるように、小さく小さくそう言うと、私はその頰に、唇でそっと触れた。
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