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☆番外編1☆
それまでとそれからと 12.
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俺の帰りを待たずに生まれた子ども。
瑤子が退院すると、俺達家族はそのまま長門の家に向かった。
「里帰りなんて考えてないよ?」と瑤子は言ったが、いくら俺がほぼ2ヵ月仕事を入れず家に居たとしても、正直役に立つとは思えない。特に、子どもの世話じゃなく、家事をするとなると。
結局、まどかが瑤子に実家への里帰りを提案したのだ。もちろん最初は「迷惑なんじゃ……」と戸惑っていたが、想像以上に父も母も楽しみにしていると知り「それなら」と俺達は実家の世話になったのだった。
──そして、子どもが生まれてから2度目の満開になった庭の桜。
春の陽気と桜の花に誘われたメジロが庭の木々を堪能している。池の鯉も冬を越し、段々と泳ぎ出すようになっていた。
そして俺達がここに移り住んで、1年が過ぎようとしていた。
「おとーしゃん。お魚のご飯、ちょーだい」
2歳と5ヵ月になった娘の壱花は、池の前で小さな手を差し出していた。
「ほら」
俺がそう言って餌の袋の口を開け差し出すと、壱花は一生懸命それに手を突っ込み、餌をザラザラいわせている。
「取れたか?」
「うん」
どちらかと言えば瑤子に似た顔の笑顔になり、握りしめた手を俺に見せる。そしてそのまま池に近づくと、壱花は手を懸命に振り始めた。
「ふっ!」
近くでしゃがんで様子を見守っていたが、やはりいつもと同じその行動に俺は思わず吹き出した。
「壱花。だから、手を開かなきゃ餌は出てこねーよ」
そう言って背中から抱き上げたタイミングで、後ろから声が聞こえて来た。
「司ー!壱花ー!お茶にしましょう!」
振り返ると、瑤子が縁側から庭に降りこちらに向かって来るのが見えた。
「おかーしゃーん!」
舌足らずな声を出して、壱花は餌を持っていたはずの手を広げて振った。その勢いで餌は四方に飛び散り、幾つか池に入ると、それに鯉が群がっている。
「お魚にご飯あげられた?」
池を見て喜んでいる壱花に、瑤子はそう声を掛ける。
「いや、あげたっつーか、なんつーか」
俺が笑いながら言うと、壱花は俺を見上げ、「壱花がご飯あげたの!おいしいって言ってたもん!」と一丁前に言い返している。
「ま、そうだな」
そう言いながら壱花を下ろすと、壱花は瑤子にしがみつき顔を上げた。
「あおちゃんもおいしいって言ってるかな?」
壱花の視線の先には、6月に予定日を迎える瑤子の大きくなったお腹があった。いつの間にか、壱花が勝手にそう呼び始めた名前。瑤子はそれに近い名前を考えているらしい。
「じゃ、行きましょうか」
そう言って瑤子は壱花に手を差し出す。そしてその手を繋ぐと、壱花は俺に手を差し出した。
俺はその手を、瑤子と顔を見合わせてから笑顔で受け取った。
それからまた季節は巡り、何度目かの5月にあるこの日。
俺はとある場所に向かっていた。
「こんにちは。お疲れ様です」
顔を確認すると受付に座るその社員は立ち上がり、俺にそう言って頭を下げる。
「邪魔するぞ」
それだけ素っ気なく伝えると、俺はそのまま奥の部屋に向かった。ドアをノックすると返事が聞こえ、俺はそれを聞いてから部屋の扉を開ける。
「えっ!もうそんな時間⁈」
俺を見るなり、奥のデスクに向かう瑤子がそんな声を上げた。
「そんな時間。出られるか?」
俺が淡々と言うと、瑤子は慌ててテーブルを片付け始めた。
「ごめんなさい。今日はもう出るわ。貴女も早く帰ってね」
俺の元に歩み寄りながら、瑤子は秘書にそう声を掛ける。
「ありがとうございます。それから……お誕生日おめでとうございます」
そう秘書は、瑤子に笑顔で言った。
「ありがとう。もう素直に喜んでいいのか複雑だけど、そう言って貰えるのは嬉しい」
瑤子はそう微笑みを返しその部屋を後にした。
瑤子と結婚し、子どもが増えるたび大きくなっていく俺の車で目的地に向かう。
「良かった。約束の時間には間に合いそう。司はあの子達送ってから迎えに来てくれたんでしょう?帰ったばかりなのにごめんね」
今では海外での仕事もすっかり増え、俺は今朝パリから帰って来たばかりだった。
「忙しい社長の為ならこれくらいなんでもねーよ」
俺は隣に座る瑤子に笑いながらそう答えた。
瑤子が長門の事業を継いでもう10年になる。
壱花が生まれる前、新たに専属となった男の仕事振りを見て「安心して退職できる」と事務所を辞め、その後長門の事業の役員に就任した。
瑤子は子育てしながら仕事を覚え、そして父はそれを見て「心置きなく引退できる」と一線を退いたのだ。
目的の場所にあるパーキングに車を停め、俺達はそこから歩いて向かう。
落ち着いた場所にある馴染みの店。
開店したのはかなり前。『隠れた名店』などと話題になり、いつも貸し切りにしているディナータイムはなかなか予約が取れないらしい。
その店の前で、俺は2週間振りに会った瑤子の肩を引き寄せて、唇でその頰に触れていた。
「いい歳して外でこんな事するの止めてくれる?」
「ん?久しぶりに顔見たらしたくなった。お前が変わらずいい女なのが悪い」
「私のせい⁈」
そう言いながらも、満更では無さそうな瑤子の顔を見て俺は笑う。
「だいたい、向こうから見られてるんだけど?」
そう瑤子が指した方向。こじんまりした店の小さな窓の向こうに目をやると、高1になった娘の壱花が呆れたように、中1になった息子の碧が睨みつけるように、こちらを見ているのが見えた。
「別にいいだろ?お前達の両親は、今でもこんなに愛し合ってるんだって見せつけてやれば」
今度は瑤子に冷たい視線を送られるが、俺は間違った事は言っていない。今でも、瑤子は俺にとって唯一の存在。
俺に知らなかった世界を沢山見せてくれたのは、変わらず目の前にいてくれる誰よりも愛しい存在だ。
「もー……。本当に、そう言うところは全く変わらないわよね」
大きく息を吐くと、瑤子は呆れたようにそう言ってから顔を上げた。
「でも……。それが司だしね?これからも私の事、愛し続けてくれるんでしょう?」
「当たり前だ。死ぬまで、いや、死んでもお前の事を愛し続けるからな?」
俺がそう返すと、瑤子は笑みを浮かべて俺の頰にキスを返す。
「分かってる。私も同じ気持ちだもの」
そうやって愛おしげに俺を見上げる瑤子の唇に、本当はここで触れたかったが流石にそれをするとかなり叱られそうで仕方なく我慢する。
「じゃ、まぁ入るか」
そう言って俺は瑤子の手を握る。
「そうね、待たせちゃ悪いわ」
そう言うと瑤子はその手を握り返してくれた。
そして俺達は、mon trésorと書かれた白い扉を開け中に入る。
──宝物が待っている、その場所に
Fin
瑤子が退院すると、俺達家族はそのまま長門の家に向かった。
「里帰りなんて考えてないよ?」と瑤子は言ったが、いくら俺がほぼ2ヵ月仕事を入れず家に居たとしても、正直役に立つとは思えない。特に、子どもの世話じゃなく、家事をするとなると。
結局、まどかが瑤子に実家への里帰りを提案したのだ。もちろん最初は「迷惑なんじゃ……」と戸惑っていたが、想像以上に父も母も楽しみにしていると知り「それなら」と俺達は実家の世話になったのだった。
──そして、子どもが生まれてから2度目の満開になった庭の桜。
春の陽気と桜の花に誘われたメジロが庭の木々を堪能している。池の鯉も冬を越し、段々と泳ぎ出すようになっていた。
そして俺達がここに移り住んで、1年が過ぎようとしていた。
「おとーしゃん。お魚のご飯、ちょーだい」
2歳と5ヵ月になった娘の壱花は、池の前で小さな手を差し出していた。
「ほら」
俺がそう言って餌の袋の口を開け差し出すと、壱花は一生懸命それに手を突っ込み、餌をザラザラいわせている。
「取れたか?」
「うん」
どちらかと言えば瑤子に似た顔の笑顔になり、握りしめた手を俺に見せる。そしてそのまま池に近づくと、壱花は手を懸命に振り始めた。
「ふっ!」
近くでしゃがんで様子を見守っていたが、やはりいつもと同じその行動に俺は思わず吹き出した。
「壱花。だから、手を開かなきゃ餌は出てこねーよ」
そう言って背中から抱き上げたタイミングで、後ろから声が聞こえて来た。
「司ー!壱花ー!お茶にしましょう!」
振り返ると、瑤子が縁側から庭に降りこちらに向かって来るのが見えた。
「おかーしゃーん!」
舌足らずな声を出して、壱花は餌を持っていたはずの手を広げて振った。その勢いで餌は四方に飛び散り、幾つか池に入ると、それに鯉が群がっている。
「お魚にご飯あげられた?」
池を見て喜んでいる壱花に、瑤子はそう声を掛ける。
「いや、あげたっつーか、なんつーか」
俺が笑いながら言うと、壱花は俺を見上げ、「壱花がご飯あげたの!おいしいって言ってたもん!」と一丁前に言い返している。
「ま、そうだな」
そう言いながら壱花を下ろすと、壱花は瑤子にしがみつき顔を上げた。
「あおちゃんもおいしいって言ってるかな?」
壱花の視線の先には、6月に予定日を迎える瑤子の大きくなったお腹があった。いつの間にか、壱花が勝手にそう呼び始めた名前。瑤子はそれに近い名前を考えているらしい。
「じゃ、行きましょうか」
そう言って瑤子は壱花に手を差し出す。そしてその手を繋ぐと、壱花は俺に手を差し出した。
俺はその手を、瑤子と顔を見合わせてから笑顔で受け取った。
それからまた季節は巡り、何度目かの5月にあるこの日。
俺はとある場所に向かっていた。
「こんにちは。お疲れ様です」
顔を確認すると受付に座るその社員は立ち上がり、俺にそう言って頭を下げる。
「邪魔するぞ」
それだけ素っ気なく伝えると、俺はそのまま奥の部屋に向かった。ドアをノックすると返事が聞こえ、俺はそれを聞いてから部屋の扉を開ける。
「えっ!もうそんな時間⁈」
俺を見るなり、奥のデスクに向かう瑤子がそんな声を上げた。
「そんな時間。出られるか?」
俺が淡々と言うと、瑤子は慌ててテーブルを片付け始めた。
「ごめんなさい。今日はもう出るわ。貴女も早く帰ってね」
俺の元に歩み寄りながら、瑤子は秘書にそう声を掛ける。
「ありがとうございます。それから……お誕生日おめでとうございます」
そう秘書は、瑤子に笑顔で言った。
「ありがとう。もう素直に喜んでいいのか複雑だけど、そう言って貰えるのは嬉しい」
瑤子はそう微笑みを返しその部屋を後にした。
瑤子と結婚し、子どもが増えるたび大きくなっていく俺の車で目的地に向かう。
「良かった。約束の時間には間に合いそう。司はあの子達送ってから迎えに来てくれたんでしょう?帰ったばかりなのにごめんね」
今では海外での仕事もすっかり増え、俺は今朝パリから帰って来たばかりだった。
「忙しい社長の為ならこれくらいなんでもねーよ」
俺は隣に座る瑤子に笑いながらそう答えた。
瑤子が長門の事業を継いでもう10年になる。
壱花が生まれる前、新たに専属となった男の仕事振りを見て「安心して退職できる」と事務所を辞め、その後長門の事業の役員に就任した。
瑤子は子育てしながら仕事を覚え、そして父はそれを見て「心置きなく引退できる」と一線を退いたのだ。
目的の場所にあるパーキングに車を停め、俺達はそこから歩いて向かう。
落ち着いた場所にある馴染みの店。
開店したのはかなり前。『隠れた名店』などと話題になり、いつも貸し切りにしているディナータイムはなかなか予約が取れないらしい。
その店の前で、俺は2週間振りに会った瑤子の肩を引き寄せて、唇でその頰に触れていた。
「いい歳して外でこんな事するの止めてくれる?」
「ん?久しぶりに顔見たらしたくなった。お前が変わらずいい女なのが悪い」
「私のせい⁈」
そう言いながらも、満更では無さそうな瑤子の顔を見て俺は笑う。
「だいたい、向こうから見られてるんだけど?」
そう瑤子が指した方向。こじんまりした店の小さな窓の向こうに目をやると、高1になった娘の壱花が呆れたように、中1になった息子の碧が睨みつけるように、こちらを見ているのが見えた。
「別にいいだろ?お前達の両親は、今でもこんなに愛し合ってるんだって見せつけてやれば」
今度は瑤子に冷たい視線を送られるが、俺は間違った事は言っていない。今でも、瑤子は俺にとって唯一の存在。
俺に知らなかった世界を沢山見せてくれたのは、変わらず目の前にいてくれる誰よりも愛しい存在だ。
「もー……。本当に、そう言うところは全く変わらないわよね」
大きく息を吐くと、瑤子は呆れたようにそう言ってから顔を上げた。
「でも……。それが司だしね?これからも私の事、愛し続けてくれるんでしょう?」
「当たり前だ。死ぬまで、いや、死んでもお前の事を愛し続けるからな?」
俺がそう返すと、瑤子は笑みを浮かべて俺の頰にキスを返す。
「分かってる。私も同じ気持ちだもの」
そうやって愛おしげに俺を見上げる瑤子の唇に、本当はここで触れたかったが流石にそれをするとかなり叱られそうで仕方なく我慢する。
「じゃ、まぁ入るか」
そう言って俺は瑤子の手を握る。
「そうね、待たせちゃ悪いわ」
そう言うと瑤子はその手を握り返してくれた。
そして俺達は、mon trésorと書かれた白い扉を開け中に入る。
──宝物が待っている、その場所に
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