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☆番外編1☆

それまでとそれからと 7.

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地獄のようだった悪阻も、仕事してた時ならあっという間に過ぎ去っていただろう、たったの数週間の事だった。

ピークの時には車の中で死にそうになりながら病院へ行き点滴を受ける程で、私のそんな姿を見て、司も悪阻になったように青い顔をして過ごしていた。

ようやく食べてももどさなくなり、胃のムカムカも治ってきたのは、桜の季節などとうに過ぎ去り、世間ではゴールデンウィークと言われる時期だった。

「はぁ~。嬉しい。ご飯食べられる!塩むすびが美味しい!」

コンビニで買ってきてもらったおにぎりを、私は少しずつ味わうように食べていた。

「良かったな、本当に。これでお前の誕生日には少しはまともなもの食べられそうだし、何か考えとけよ?」

私の誕生日まではまだ10日以上ある。日に日に良くなっている感じがするから、きっとその頃には大抵のものが食べられそうだ。

そして迎えた、初めて2人で過ごす私の誕生日。
やっと普通通りに過ごせるようになってきた私は、体力回復の為に近くを散歩することにした。

「すっかり春だね。と言うより、もう暑いくらい」

司と少し遠回りして、大きめの公園の中を歩く。さすがに連休明けの平日。人はそう多くない。

「だな。今日は半袖で正解だ」

黒いTシャツにベージュのチノパンと言う本当にラフな姿なのに、どうしてこうも格好いいのかなぁ、私の旦那さまは、と心の中で呟きながらその顔を見上げる。

「そんな物欲しげな顔してたらここでキスするぞ?」

私が見ていたのに気づいて、司にそんな事を笑われながら言われる。

「しっ!してないっ!!」
「ま、帰ってから思う存分してやるから、今はこれで我慢な?」

そう言って楽しそうに笑いながら、司は私の額に音を立ててキスをした。

「ちょっとっ!昼間の公園で何してるのよ!」
「え~?これで済んで良かったと思えよ?」

そう言って司は私を揶揄うように笑っている。
けど、こんな些細なやりとりさえ、本当はとても幸せだな、って実感する。1年前には想像すらした事のなかった自分の未来。でも今は違う。これから先の事を私は思い描く。

「来年は、この子と3人でお散歩出来たら嬉しいな」

そう言って私はまだほとんど変わっていないお腹に手を当てた。

「だな。楽しみだ」

そんな司の優しい声が上から降って来て私は顔を上げる。

「本当。楽しみだね」

私はそう言って、幸せを噛み締めながら笑顔で答えた。
目を細めて私を見るその顔。きっと司はまだ見ぬ子どもにも、そんな慈しむような顔を見せてくれるだろうな、と私は思った。


そして夜。
あれからまだ1年経ってないんだなぁ、としみじみと思い出しながら店の前に立っていた。

「なぁ。本当にここにするのか?」
「どうしても食べたくなって。懐かしいでしょ?」

目の前には牛丼チェーン店。それも、前に1度司と来たことのあるあの店だ。

「いや、まぁ、そうだけど……」

二の足を踏むような司の手を引き私は笑って言う。

「大丈夫よ。今日は浮かないから」

家を出る前着替えようとした司を制止して、私はそのまま連れてきた。その時点でちょっと察していたかも知れないけれど。


「あー!お腹いっぱーい!美味しかったぁ!」

帰りの車の中で私は満足げにそんな声を上げる。

「それは何よりだ」

司の方は少しばかり不満げだ。

「も~!そんな顔しないの!本人が満足なんだからそれでいいの!デザートもあるし充分」

膝にケーキの箱を乗せたまま、私は司にそう言う。司の方はまだ面白くなさそうに前を向いてハンドルを動かしていた。

「本当だったらミラノにでも行こうと思ってたのに。せめて国内のどっか。安定期入ったら行くか?」
「え?さすがに海外は無理よ。国内……近場なら行けるかも」

私の誕生日を祝うのを楽しみにしてくれてたんだと思うとなんだか無碍に断れない。
私がそう言うと、ようやく機嫌を取り戻したのか「ん。探しとく」と前を向いたまま嬉しそうに答えた。

家に帰って、早速買ってきたデザートとノンカフェインのお茶でささやかにお祝いをする。私はフルーツのたくさん乗ったゼリーで、司はもちろん濃そうなチョコレートケーキ。

「これならいくらでも食べられそう!」

爽やかな酸味がちょうど良くて、私が笑顔で食べていると、向かいで司は「食べ過ぎんなよ?」と呆れたように見ていた。

「分かってるわよ……」

悪阻で痩せたと言うのに、この前検診で言われたのは体重制限の話。せっかく食べられるようになったのに、今度は太るな!なんて、現実は厳しい。

「あのさ……」

デザートをパクつく私の前で、司は何故か言い辛そうに口を開く。

「なあに?」
「写真……。撮りたい……」

いつも撮ってるじゃない、と不思議に思いながら「何の?」と尋ねる。
司は何故か照れたように視線を外すと、「ウェディング……」とポツリと言った。

「……え?まさか、私の?」

全然そんな事考えてなくて、驚いてそう返す。

「お前のつっーか、お前と、俺の、だ」

びっくりしてスプーンを落っことしそうになる。だって、司は本当に写真を撮られるのが苦手なのに。

「どうせお前、自分1人の写真なんて後で見ねーだろ?」

あ、さすがによく分かってる

そう思いながら私は頷いた。
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