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☆番外編1☆
それまでとそれからと 5.
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「うーん……。誰かいる?」
淳一は誰かを思い浮かべるように視線を上げ考えながら茉紀に問いかけている。そんな茉紀の方は、呆れたような冷たい視線を俺に向けていた。
「瑤子はそれで納得するの?私はそっちの方が心配なんだけど?」
確かに、瑤子から仕事を奪ってしまうよな真似はしたくない。もちろん今は無理をして欲しくはないが、これから先体調が戻ったとして、仕事が無いってのも瑤子にとっては酷なのかも知れない。
「しねーよな。やっぱり。あいつは仕事続けたいだろうし。家で出来る事もあるけどそれだけじゃねーし。だからお前達に相談しに来たんだろーが」
俺が力なく言うのを、茉紀はほくそ笑むように見ている。
「本当、アンタって瑤子の事になると途端にそんな顔になるんだから笑っちゃうわ!」
「うるせーな!」
俺が顰めっ面でそう返すと、茉紀は何かを思いついたように口を開いた。
「ちょうどいいわ。彼を長門につけましょ?」
そう言う茉紀に、淳一は面食らったように「彼?」と尋ねる。すると、茉紀は淳一が手にした書類をその手から攫った。
「芸能プロダクションでマネージャー経験あり。29才、妻子持ち。さっき採用決めたばっかりだけど、きっと即戦力になってくれるわよ?でも、うちの業界は初めてだから、まだ見習いって感じね。その辺りは瑤子がレクチャーすればいいんじゃない?」
そう言って茉紀は勢いよく俺にその書類を差し出し、俺はそれに押されつつ受け取り目を落とす。
銀縁眼鏡の真面目そうな男の写真が貼り付けてある履歴書。大学卒業後、ずっと同じプロダクションで働き、今月末退職予定となっていた。
「分かった。お前が言うんならそれでいい」
そう返しながら履歴書を渡すと、それを受け取り茉紀は立ち上がる。
「OK。瑤子にはこっちから新人の研修がてら付けさせて欲しいって言っておくから。きっと私達にいつ報告するのか悩んでるでしょうし」
確かに瑤子は「まだ何があるか分からないからしばらく誰にも言わないで」と言っていて、俺はその言葉の通りまだ誰にも打ち明けていなかった。
そう言うところは、経験者だからこそ分かるのかも知れねーなと立ち上がった茉紀を見上げた。
「一つ言っておくけど……、いい?この時期は本当に不安定なの。心も!体も!だから、大事にするのよ!瑤子はすぐ無理しちゃうコだから心配なの。頼んだわよ?」
唾が飛んでくるんじゃねーかと思うくらいの勢いで茉紀は俺に言い、圧倒されている間に「じゃ!」と部屋を出て行った。
茉紀がいなくなってようやく静かになった部屋。
淳一は目の前の冷めたコーヒーに今頃になって砂糖を入れかき混ぜていた。
「淳一さ、子供できたって分かった時どう思った?」
長い付き合いだが、俺が淳一にこんな事を尋ねる日が来るなんて思ってもなかった。なんとなく気恥ずかしさもあって、淳一の方を見ることなく視線を外す。
「んー……。真っ白、だね。何も考えられなかったよ?」
そう言って笑いながら淳一はコーヒーに口をつけた。
「うちはさ、今でこそ3人の子供達に恵まれたけど、あの時はもう諦めてたからね」
そう。この2人が結婚したのは25才位だった。その頃はまだ、この事務所が軌道に乗ったばかりだし、子どもはまだ先にしようと考えているのだと思っていた。
けれど30になったばかりの頃、淳一と飲みに行った時に聞かされたのは2人の現実だった。
「子どもが出来ないのは自分のせいだから、離婚しようって茉紀に言われた事あるんだよね」
「は?」
さすがの俺も驚いてそう返した。全く正反対の2人だが大学時代に付き合い始めて結婚して、今でもお互いにない部分を補い合って、てっきり順調なのだと思っていたからだ。
「だから僕は茉紀に言ったんだ。子どもが欲しいから茉紀と結婚した訳じゃないし、いないならいない人生を茉紀と過ごしたいって」
そう言って少し寂しそうに淳一はビールを口に運び、俺はそれを黙って眺めていた。
「子どものいない人生は想像できるけど、僕には茉紀のいない人生なんて考えられないしね?今はペットでも飼おうかって話してるところ」
それからしばらくして、俺は淳一に子どもが出来たと泣きながら聞かされたのだった。
「司はさー……、本当は凄く真面目だから、色々考えちゃうんだろうね。……親になっていいのかなぁ?とか」
そのまま無言で淳一の顔を見ると、淳一は笑顔を見せた。伊達に20年以上も付き合ってないか。淳一も、俺以上に俺を知る一人なんだから。
「……お前は……そんな事考えた事ねーのかよ?」
そう言って、俺は冷たくなったコーヒーで喉を潤す。
「え~?あるよ。いっぱい。今でも悩みは尽きないよ?」
そう言いながらも、淳一は楽しそうに笑っている。
「親だって完璧じゃないんだよ?子どもが生まれたからってなんでも出来るわけじゃないし。子どもと一緒にいろんな事を経験して、成長させてもらってるんだなって常々思ってるなぁ」
そう淳一に諭すように言われて、やっと肩の力が抜けたような気がした。
昔、写真の道に進んでいいのか悩んでいた俺を、そうやって背中を押してくれたのは淳一だったな、と俺は思い出していた。
淳一は誰かを思い浮かべるように視線を上げ考えながら茉紀に問いかけている。そんな茉紀の方は、呆れたような冷たい視線を俺に向けていた。
「瑤子はそれで納得するの?私はそっちの方が心配なんだけど?」
確かに、瑤子から仕事を奪ってしまうよな真似はしたくない。もちろん今は無理をして欲しくはないが、これから先体調が戻ったとして、仕事が無いってのも瑤子にとっては酷なのかも知れない。
「しねーよな。やっぱり。あいつは仕事続けたいだろうし。家で出来る事もあるけどそれだけじゃねーし。だからお前達に相談しに来たんだろーが」
俺が力なく言うのを、茉紀はほくそ笑むように見ている。
「本当、アンタって瑤子の事になると途端にそんな顔になるんだから笑っちゃうわ!」
「うるせーな!」
俺が顰めっ面でそう返すと、茉紀は何かを思いついたように口を開いた。
「ちょうどいいわ。彼を長門につけましょ?」
そう言う茉紀に、淳一は面食らったように「彼?」と尋ねる。すると、茉紀は淳一が手にした書類をその手から攫った。
「芸能プロダクションでマネージャー経験あり。29才、妻子持ち。さっき採用決めたばっかりだけど、きっと即戦力になってくれるわよ?でも、うちの業界は初めてだから、まだ見習いって感じね。その辺りは瑤子がレクチャーすればいいんじゃない?」
そう言って茉紀は勢いよく俺にその書類を差し出し、俺はそれに押されつつ受け取り目を落とす。
銀縁眼鏡の真面目そうな男の写真が貼り付けてある履歴書。大学卒業後、ずっと同じプロダクションで働き、今月末退職予定となっていた。
「分かった。お前が言うんならそれでいい」
そう返しながら履歴書を渡すと、それを受け取り茉紀は立ち上がる。
「OK。瑤子にはこっちから新人の研修がてら付けさせて欲しいって言っておくから。きっと私達にいつ報告するのか悩んでるでしょうし」
確かに瑤子は「まだ何があるか分からないからしばらく誰にも言わないで」と言っていて、俺はその言葉の通りまだ誰にも打ち明けていなかった。
そう言うところは、経験者だからこそ分かるのかも知れねーなと立ち上がった茉紀を見上げた。
「一つ言っておくけど……、いい?この時期は本当に不安定なの。心も!体も!だから、大事にするのよ!瑤子はすぐ無理しちゃうコだから心配なの。頼んだわよ?」
唾が飛んでくるんじゃねーかと思うくらいの勢いで茉紀は俺に言い、圧倒されている間に「じゃ!」と部屋を出て行った。
茉紀がいなくなってようやく静かになった部屋。
淳一は目の前の冷めたコーヒーに今頃になって砂糖を入れかき混ぜていた。
「淳一さ、子供できたって分かった時どう思った?」
長い付き合いだが、俺が淳一にこんな事を尋ねる日が来るなんて思ってもなかった。なんとなく気恥ずかしさもあって、淳一の方を見ることなく視線を外す。
「んー……。真っ白、だね。何も考えられなかったよ?」
そう言って笑いながら淳一はコーヒーに口をつけた。
「うちはさ、今でこそ3人の子供達に恵まれたけど、あの時はもう諦めてたからね」
そう。この2人が結婚したのは25才位だった。その頃はまだ、この事務所が軌道に乗ったばかりだし、子どもはまだ先にしようと考えているのだと思っていた。
けれど30になったばかりの頃、淳一と飲みに行った時に聞かされたのは2人の現実だった。
「子どもが出来ないのは自分のせいだから、離婚しようって茉紀に言われた事あるんだよね」
「は?」
さすがの俺も驚いてそう返した。全く正反対の2人だが大学時代に付き合い始めて結婚して、今でもお互いにない部分を補い合って、てっきり順調なのだと思っていたからだ。
「だから僕は茉紀に言ったんだ。子どもが欲しいから茉紀と結婚した訳じゃないし、いないならいない人生を茉紀と過ごしたいって」
そう言って少し寂しそうに淳一はビールを口に運び、俺はそれを黙って眺めていた。
「子どものいない人生は想像できるけど、僕には茉紀のいない人生なんて考えられないしね?今はペットでも飼おうかって話してるところ」
それからしばらくして、俺は淳一に子どもが出来たと泣きながら聞かされたのだった。
「司はさー……、本当は凄く真面目だから、色々考えちゃうんだろうね。……親になっていいのかなぁ?とか」
そのまま無言で淳一の顔を見ると、淳一は笑顔を見せた。伊達に20年以上も付き合ってないか。淳一も、俺以上に俺を知る一人なんだから。
「……お前は……そんな事考えた事ねーのかよ?」
そう言って、俺は冷たくなったコーヒーで喉を潤す。
「え~?あるよ。いっぱい。今でも悩みは尽きないよ?」
そう言いながらも、淳一は楽しそうに笑っている。
「親だって完璧じゃないんだよ?子どもが生まれたからってなんでも出来るわけじゃないし。子どもと一緒にいろんな事を経験して、成長させてもらってるんだなって常々思ってるなぁ」
そう淳一に諭すように言われて、やっと肩の力が抜けたような気がした。
昔、写真の道に進んでいいのか悩んでいた俺を、そうやって背中を押してくれたのは淳一だったな、と俺は思い出していた。
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