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年が明けて最初の仕事がここかぁ……ちょっと気が乗らないなぁと、高層ビルを見上げる。
1月のどんよりとした灰色の空が、あちこち切り取られてそこに見えている。

先月、断るつもりが引き延ばされて今に至る案件。担当者は、まるで司とそこの社長が知り合いくらいに言っていたけど、単に同じ大学の同じ学部だっただけで、ほぼ接点は無いと聞いて溜め息が出た。

もしかしたら、司の名前を使って箔をつけたいのだろうか?でも、業界内はともかく、一般的に名前を知られているわけでも無いし、真意は分からない。

とにかく代わりになれそうな人をピックアップし、何人かのプロフィールを集めた。それでもダメなら、事務所のデータベースで直接探そうとタブレットも持参した。

さすがに同じ大学の人は見つからなかったけれど。偏差値高めの大学の経済学部。そこを卒業してカメラマンになった司の方が異色なのだ。

とにかくこの案件、他の人で了承さえ貰えれば後は他の人に引き継げる。そうなる事を願いながら、私はエレベーターに乗り込んだ。

前も来た高層階のフロアにある受付用の電話を取ると、担当の坂下さんとのアポを伝える。
時間は3時。出来たら手っ取り早く話を終わらせて帰りたい。今日は帰りも電車だし。
本当なら来週の予定だった司の方の打ち合わせが急遽今日に変更になった。あっちは撮影の具体的な話もあるから私では代わりになれないのだ。

ガチャリと扉が開くと、変わらず人懐こそうな爽やかな笑顔で坂下さんか迎えてくれた。
前と同じ、4人用のミーティングテーブルが入るそう広くない部屋に案内される。

「長森さん、その……どうでしょうか?その後」

不安そうに尋ねてくる坂下さんに、申し訳ないなと思いながらも、こちらも仕事だから仕方がない。

「大変申し訳ないないのですが、やはり長門が都合をつけることはできかねます。代替案をご用意したので見ていただけると助かるのですが」

私が用意した資料を差し出すと、それを手に取る事なく「そこを!なんとかなりませんか?」と食い下がられた。

「そうおっしゃいましても……。申し訳ないのですが」

出来るだけ淡々と告げると、坂下さんは落胆したように分かりやすく肩を落とした。
かと思うとふと顔を上げ「……あ」と何か思い出したように口にした。

「すみません。うちの役員が挨拶したいと申していまして。少しお待ちいただけますか!」

そう言うが早いか坂下さんは立ち上がり、あっという間に部屋を後にする。

今更挨拶されてもどうしようもないんだけど……

私は一人残された部屋で、大きな溜め息を吐き出していた。



しばらく待っていると、背中越しに小さく音が聞こえ、扉の開く気配がした。

「お待たせしました」

そう聞こえて来たのは坂下さんとは違う淡々とした声。
さっきの役員って人かと、私はバッグから名刺入れを取り出し立ち上がる。
名刺を一枚取り出すと、振り返りその人を見た。

「……え……?」

指先から力が抜け、手から名刺入れが滑り落ちて行く。
バサッと音がして、私の足元を名刺が散らばって行く。けれど、私はそれを見る事も拾う事も出来ないまま、真っ直ぐその人を見ていた。

「久しぶりだね。瑤子」

5年と言う歳月は、目の前の人の雰囲気を変えてしまうくらい長いのだと思った。
質の良さそうなスーツに身を包み、サラッとした黒髪を撫で上げ、昔の軽い感じとは真反対の冷たい笑みを浮かべているその男に。

「なん……で……ここに……」

絞り出すように言えたのはそれだけ。
私をアッサリ捨てたこの人は、私が今の事務所に入る前の会社にいた筈だ。

「あの後転職してね。社長には随分と買って貰って今じゃ役員になったよ。知らなかっただろう?」

そう言いながら、薄ら笑いを浮かべて私に近づくその人の名は、石原いしはら征士まさし
前にこの会社のサイトを確認した時も、貰った資料にも、その名はどこにもなかったはずなのに……。

ゆっくり近づいてくる征士から離れるように、私も同じ速度で後退る。
その行動すら楽しむように、笑みを浮かべたまま、征士は口を開いた。

「驚いたよ。まさかまた会えるなんて」

私は会いたくなどなかった。2度と思い出したくない記憶の数々。やっと、昔の事だと乗り越えたと思ったのに。

「どうした?再会を喜んではくれないのかい?」

狭い部屋に逃げ場などなく、気がつけば背中に壁が当たる。これ以上退がる事が出来ない私に対して、征士はどんどん距離を詰めてきた。

「ちか…づか……ないで」

恐怖で顔を歪めているだろう私が小さく言うと、途端に征士は冷酷な瞳に切り替わった。

「誰にそんな口をきくようになったんだ?お前が今付き合っているあのくだらない男か?」

その言葉で、私は嫌でも察してしまう。
この再会は偶然ではない。なんらかの事情で私が司といるのを知ったこの人が仕組んだ事なのだと。
私が何も言えず黙っていると、また征士は楽しげな表情に戻った。

「まあいい。この案件、断るつもりのようだが、いいのか?あの男の家、それなりに名士みたいじゃないか。まさか付き合っている女がこんなあばずれだったらどう思うかな?」

そう言って、にこやかにスマホを取り出すと画面を操作し、私に見えるようにそれを掲げた。
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