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38 side T

5.

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「だから言ったでしょう?」

瑤子の実家からの帰りの車内。
俺がことある毎に思い出し笑いする姿に、瑤子は決まりが悪そうにしながら顔を顰めていた。

「だって、あんまりにも予想以上の反応で。笑いしか出ねーだろ」
「私だって、予想以上で恥ずかし過ぎるんですけど……」

そう言って瑤子は俯いた。

とにかく、家を出る前から色々おかしかった。
それなりにちゃんとした格好で行こうとスーツを着ようとした俺を「普通でいいの!普通で。なんならスエットでいいくらい!」と瑤子に止められた。

その理由は、瑤子の実家に行ってから良く分かった。
出迎えてくれたのは、俺を見るなり悲鳴を上げ、手を取り合い喜ぶ母親と妹に、頭を抱えた父親と妹の夫。
もちろん俺の横で、瑤子も頭を抱えている。

実の娘などそっちのけで持て成され、瑤子はさすがに堪忍袋の尾が切れたかのように「いい加減にしてよ!司が困ってるでしょ!」と切れていたが、それに対する母親の返事はこうだ。

「だって、こんなイケメンがうちに来るなんて、もう2度とないかもしれないじゃない!」

さすがに、瑤子は深く溜め息を吐くと「あのねぇ。私達、結婚するって言ったわよね?」と母親に言う。

そこでようやく口を開いたのは、さっきまで存在感のない父親だった。

「わ……分からないじゃないか。瑤子。結婚詐欺に騙されてるんじゃないか?」

と、失礼極まりない事を恐る恐る言い出した。

「お父さん?……もー!皆、落ち着いてくれる⁈」

だんだんと収集が付かなくなり、瑤子は叫び出した。
そんな様子を、唖然としながら眺めていると、一番まともそうな妹の夫に小さく話しかけられた。

「皆、義姉ねえさんが結婚するのが嬉しくって舞い上がってるんです。あと、お義母かあさんとうちのは単にミーハーなだけなので。騒がしくてほんとすみません」
「いや。大変そうだな、お前」

消防士だと言うその男に同情しながら言うと「まぁ、楽しいですよ?」何て余裕の顔で笑っていた。

「とにかく!詐欺じゃないから!いつも一緒に仕事してるし、身元ははっきりしてます。それとも結婚に反対なの?」

瑤子が、そう言って少し悲し気な表情になると、母親はそんな瑤子を笑い飛ばすように明るい顔を見せた。

「やあねぇ。そんなわけないでしょ?ね、お父さん?」
「あ、あぁ。そうだぞ?」

母親に押され気味になりながら、父親もそう答える。
そこでやっと瑤子は肩の力を抜き、はぁ~と長く息を吐き出すと、婚姻届を父親に差し出した。

「じゃ、これに記入してくれる?一枚しかないから失敗しないでね」

と付け加えて。

あと一箇所を残すのみとなった婚姻届。
俺がしまうと行方不明にしそうだからと瑤子に託すと、瑤子は自分の部屋にしまいに行くと、引っ越しして来てから一晩過ごした事のない部屋に向かった。

「何か勿体ない使い方だね」

なんて瑤子は言っていたが、特に支障は無いし「別にいいじゃねーの」と軽く返した。

あとは、うちの問題か。
その辺りはまどかを巻き込んだ方がいいだろう。いきなり正攻法でいくより周りから固めた方が良さそうだ。

それにしても、あまりにも瑤子の実家が、俺の家と違い過ぎて戸惑った。
いや、瑤子の実家の方が至って普通なんだろう。明るく仲の良い家族。お互い言いたい事を言い合っても、それをちゃんと尊重できる。そんな家族だと思った。
まあ、母親と妹のミーハーっぷりは中々だったが。

うちは違う。いつも静かに父の顔色を伺う。そんな家だ。何をするにも父が首を縦に振らないと進まない。
そんな、息の詰まりそうな毎日が普通だった。

そんな事を思い出しながら、俺は駅に向かい車を走らせていた。
今日は金曜日。
瑤子は、あの気の乗らない案件の担当者と会うアポが入っている。

「あまりに食い下がられるようなら俺が出る」と瑤子に言うと、「大丈夫だよ。とにかく代わりの人の資料たくさん用意したし、何とか折衷案考えてもらうから」と笑いながら瑤子は言った。

本当なら俺も同席しようと思っていたが、俺の方は別の打ち合わせが急遽入り別行動になってしまった。

「悪いな。現場まで送っていけなくて」

最寄り駅が見えて来ると俺はそう言う。

「何言ってるの?駅までで充分だよ?」

瑤子が降りやすい場所に車を停めると、瑤子は笑って俺に言う。

「じゃあ、行って来るね」

そう言って瑤子はシートベルトを外し、資料の入る少し大きめのバッグを持った。

「送ってくれてありがと。司もお仕事頑張ってね」
「あぁ。じゃあな」

そう言って俺は瑤子の頰に唇で触れるて、はにかむ様な笑顔を見せてから車を降りて行った。
俺は駅に向かうその姿をしばらく目で追う。
改札に入る姿を見届けると、「俺も行くか」と小さく呟き、俺はまた車を発進させた。


──その時の俺は、まさか瑤子の笑う顔をしばらく見ることが出来なくなるなんて、夢にも思っていなかった。
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