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38 side T
1.
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「くそっ!」
着替えてくると部屋を後にして出た廊下。
そこで俺は、自分の不甲斐なさに反吐が出そうになりながらそう呟いた。
不意に会ってしまった母。
よりによって何で今なんだ、と言いたくなるようなタイミング。
相変わらずの何の感情も見せない冷たい視線を寄越して、そして瑤子の着ていた着物を見て眉を顰めた。
何故他人がそれを着ているのだと言わんばかりに。
あの着物。あれは、母が昔まどかにやった物だ。母から娘に、そして娘のいないまどかは、瑤子にやるつもりでいる。それを知らない瑤子は、何故母があんな顔をしたのか分からないだろう。
そして、俺はそれを見て冷静ではいられなかった。いい年して頭に血が昇って、瑤子の呼びかけさえ耳に入らないくらいに。
自分に対する怒りで握りしめた掌に痛みが走り、ようやくそれで我に返った俺は、大きく肩を揺らして息を吐いた。
「ほんと、情けねぇな……」
俯いて頭に手を当てそう呟くと、長い廊下にある扉の一つが開いた。そこから出てくるだろう人間は、こいつしかいねーだろうな、と思いながら俺は顔を上げた。
「あ、司君。お帰り。楽しかった……って顔じゃなさそうだね」
顔は希海なのに、中身は睦月の尊斗に、「そんな事もねーよ」と返して着替えを置いた客間に向かう。
「司君は希海と違って分かりやすいと思うけど?」
悪気なく笑いながら、尊斗も俺の後に続いた。
どちらかと言えば、この夫婦の間に生まれてああ育った希海がおかしいだろ。そう思いながら客間の扉を開け中に入る。
だが、希海は誰に一番似たのかは分かる。アイツの祖父。つまり俺の父親。無口で無表情のところはソックリだ。
だからなのか、外孫であるはずの希海を父は昔から可愛がった。
「で?何でついてくるんだよ」
同じように部屋に入って来て、ソファに腰掛ける尊斗に俺は顔を顰めながら声をかける。
「えー?たまには男同士話しするのもいいかなぁと思って」
部屋の隅で着替え始めた俺を意に介さず、尊斗は笑いながら言った。
俺より一回り上のこの男と知り合った時、俺はまだ小学生だった。
そして俺は何も聞かされる事なく、まどかが高校卒業するのと同時に結婚した。だから俺はそれを、親父の仕組んだ事だと思っていたのだ。
「なぁ。まどかと結婚する時、反対されなかったのか?」
俺に背を向けるように座る尊斗に俺は尋ねる。
「え~?されたよ?無茶苦茶反対された。だってお父さんがまどかと結婚させたかったの、修志だし」
「は?」
初めて聞く意外な内容に、流石に着物を脱ぐ俺の手は止まった。
尊斗と、香緒の父の修志は、学生時代の同級生だと言う事は聞いた事があった。が、まさか修志とまどかを結婚させようと画策していたなんて初耳だった。
「お父さんはさ、橋本家の血筋が欲しかったんだって。そりゃあ向こうの方がうちより何倍も名家だし。うちの親も、結婚したいって言ったら何てことしてくれたんだって大激怒」
飄々と笑いながら尊斗は言うが、あの頃周りにいた大人達を思い浮かべると、笑える話ではないはずだ。俺はまた着物を脱ぐ手を動かしながら続きを尋ねた。
「で、一体どうやって黙らせたんだ?」
「出来ることは全部やったよ?うちは元々長門家に援助を受ける側……だったけど、援助する側に回ったりね」
いとも簡単なように言うが、それは簡単じゃないはずだ。ただ、この男にはそれが出来た、ということだ。
「あんた、結構怖えぇやつだったんだな」
着物を脱ぎ終えて軽く畳むと、元々着て来たものに袖を通しながら俺は言う。さすが、と言うべきなのか。まどかが選んだ男が平凡な奴な訳はないとは思っていたが、これ程だったとは。
「僕はさ、何としてでもまどかを手に入れたかったんだ。だから必死だったよ?好きな子の為なら何だってするって気持ち、今の司君なら分かってくれるよね?」
そこで尊斗は振り向いて、笑顔を見せて俺に言う。
確かにそうだが、素直にそうだなと言うのも癪に触るから、俺は黙ってその顔を見返した。
「まぁ、僕達は君達の味方だから。ようやく兄らしい事できるんだから、ちょっとは頼ってよね?」
そう言って立ち上がり、部屋を出ようとしていた俺に並ぶ。
「そん時が来たらな……」
俺が無愛想にそれだけ言うと、尊斗の方は満面の笑みを見せた。
正直、希海の顔でそんな表情をされると戸惑いしかなく、俺は微妙な顔でそれを眺めた。
「じゃ、リビング行こうか。おせち絶対に消費しないと後でまどかが怖いからね~」
何て戯けた調子で俺の背を軽く押しながら歩き出した。
リビングに戻ると、瑤子とまどかは2人で楽しげにテーブルにお重を並べていた。
「あ、戻って来た。用意できたよ?」
何もなかったように、明るく言う瑤子に俺はホッとする。さっきの俺の態度に呆れられても仕方ない、そう思っていたから。
「どうしたの?座って座って」
笑顔で腕を引かれて、俺は自分の不甲斐なさを改めて痛感した。
そうだな、俺も瑤子の為なら何だってしてやるよ。どれだけ足掻こうが、情け無い姿を見せようが、それでも……失いたくはないから。
着替えてくると部屋を後にして出た廊下。
そこで俺は、自分の不甲斐なさに反吐が出そうになりながらそう呟いた。
不意に会ってしまった母。
よりによって何で今なんだ、と言いたくなるようなタイミング。
相変わらずの何の感情も見せない冷たい視線を寄越して、そして瑤子の着ていた着物を見て眉を顰めた。
何故他人がそれを着ているのだと言わんばかりに。
あの着物。あれは、母が昔まどかにやった物だ。母から娘に、そして娘のいないまどかは、瑤子にやるつもりでいる。それを知らない瑤子は、何故母があんな顔をしたのか分からないだろう。
そして、俺はそれを見て冷静ではいられなかった。いい年して頭に血が昇って、瑤子の呼びかけさえ耳に入らないくらいに。
自分に対する怒りで握りしめた掌に痛みが走り、ようやくそれで我に返った俺は、大きく肩を揺らして息を吐いた。
「ほんと、情けねぇな……」
俯いて頭に手を当てそう呟くと、長い廊下にある扉の一つが開いた。そこから出てくるだろう人間は、こいつしかいねーだろうな、と思いながら俺は顔を上げた。
「あ、司君。お帰り。楽しかった……って顔じゃなさそうだね」
顔は希海なのに、中身は睦月の尊斗に、「そんな事もねーよ」と返して着替えを置いた客間に向かう。
「司君は希海と違って分かりやすいと思うけど?」
悪気なく笑いながら、尊斗も俺の後に続いた。
どちらかと言えば、この夫婦の間に生まれてああ育った希海がおかしいだろ。そう思いながら客間の扉を開け中に入る。
だが、希海は誰に一番似たのかは分かる。アイツの祖父。つまり俺の父親。無口で無表情のところはソックリだ。
だからなのか、外孫であるはずの希海を父は昔から可愛がった。
「で?何でついてくるんだよ」
同じように部屋に入って来て、ソファに腰掛ける尊斗に俺は顔を顰めながら声をかける。
「えー?たまには男同士話しするのもいいかなぁと思って」
部屋の隅で着替え始めた俺を意に介さず、尊斗は笑いながら言った。
俺より一回り上のこの男と知り合った時、俺はまだ小学生だった。
そして俺は何も聞かされる事なく、まどかが高校卒業するのと同時に結婚した。だから俺はそれを、親父の仕組んだ事だと思っていたのだ。
「なぁ。まどかと結婚する時、反対されなかったのか?」
俺に背を向けるように座る尊斗に俺は尋ねる。
「え~?されたよ?無茶苦茶反対された。だってお父さんがまどかと結婚させたかったの、修志だし」
「は?」
初めて聞く意外な内容に、流石に着物を脱ぐ俺の手は止まった。
尊斗と、香緒の父の修志は、学生時代の同級生だと言う事は聞いた事があった。が、まさか修志とまどかを結婚させようと画策していたなんて初耳だった。
「お父さんはさ、橋本家の血筋が欲しかったんだって。そりゃあ向こうの方がうちより何倍も名家だし。うちの親も、結婚したいって言ったら何てことしてくれたんだって大激怒」
飄々と笑いながら尊斗は言うが、あの頃周りにいた大人達を思い浮かべると、笑える話ではないはずだ。俺はまた着物を脱ぐ手を動かしながら続きを尋ねた。
「で、一体どうやって黙らせたんだ?」
「出来ることは全部やったよ?うちは元々長門家に援助を受ける側……だったけど、援助する側に回ったりね」
いとも簡単なように言うが、それは簡単じゃないはずだ。ただ、この男にはそれが出来た、ということだ。
「あんた、結構怖えぇやつだったんだな」
着物を脱ぎ終えて軽く畳むと、元々着て来たものに袖を通しながら俺は言う。さすが、と言うべきなのか。まどかが選んだ男が平凡な奴な訳はないとは思っていたが、これ程だったとは。
「僕はさ、何としてでもまどかを手に入れたかったんだ。だから必死だったよ?好きな子の為なら何だってするって気持ち、今の司君なら分かってくれるよね?」
そこで尊斗は振り向いて、笑顔を見せて俺に言う。
確かにそうだが、素直にそうだなと言うのも癪に触るから、俺は黙ってその顔を見返した。
「まぁ、僕達は君達の味方だから。ようやく兄らしい事できるんだから、ちょっとは頼ってよね?」
そう言って立ち上がり、部屋を出ようとしていた俺に並ぶ。
「そん時が来たらな……」
俺が無愛想にそれだけ言うと、尊斗の方は満面の笑みを見せた。
正直、希海の顔でそんな表情をされると戸惑いしかなく、俺は微妙な顔でそれを眺めた。
「じゃ、リビング行こうか。おせち絶対に消費しないと後でまどかが怖いからね~」
何て戯けた調子で俺の背を軽く押しながら歩き出した。
リビングに戻ると、瑤子とまどかは2人で楽しげにテーブルにお重を並べていた。
「あ、戻って来た。用意できたよ?」
何もなかったように、明るく言う瑤子に俺はホッとする。さっきの俺の態度に呆れられても仕方ない、そう思っていたから。
「どうしたの?座って座って」
笑顔で腕を引かれて、俺は自分の不甲斐なさを改めて痛感した。
そうだな、俺も瑤子の為なら何だってしてやるよ。どれだけ足掻こうが、情け無い姿を見せようが、それでも……失いたくはないから。
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