60 / 69
7.和を以て……いったいどうなる?
3
しおりを挟む
パソコンの画面に向かっていた私の視線の端に、トン、と言う音とともにペットボトルが映る。いつも私が飲んでいるミルクティーだ。
創ちゃん⁈
そんなはずないのに反射的に顔を上げると、そこには穏やかな表情の鈴木課長の姿があった。
「朝木さん。根を詰めすぎじゃないかな? 少しは休憩を取ったらどうだい?」
「え……と。はい……」
私が表情を曇らせてしまったことを気にすることなく、鈴木課長は続ける。
「大丈夫。川村君がいなくても、しっかりやれているよ。そう急ぎの仕事もないようだし、無理しないようにね。まぁ、これでも飲んで一息入れて」
私はそう言って差し出されたペットボトルをおずおずと受け取った。
「あ……りがとう、ございます」
それに課長はニコリと笑うと、何事もなかったように席に戻っていった。私は受け取ったミルクティーの蓋を開けると、早速口に含む。
甘さ控えめのはずなのに、今日はいつもより甘く感じるのは疲れているからなんだろうか?でも、その甘さがなんとなく、私の肩の力を抜いてくれた気がした。
それから少し落ち着きを取り戻し、私は自分のペースで仕事を片付けた。仕掛けの仕事は所定の場所に戻し、明日の準備を済ませるともう定時だ。
知らないうちに何か連絡がきてるかも? とスマホの画面を確認したけど、誰からも何の連絡もない。
いっちゃんも知らないの?
けれど、専務は私が部屋を出る前、捨て台詞のようにこう言ったのだ。
『君の長兄に相談しても無駄だよ?』
専務は全て知っているのだ。うちがどういう家なのかも、私が何を持っているのかも。
そして、こうも言った。
『土曜日の旭河の創立記念パーティー、楽しみだよ。君ももちろん招待されてるんだろう? 川村の言う然るべき場所って、このことだろうしね? 俺ももちろん招待されてるんだ。そこで結婚を発表したら、いったいどんな顔をするかな』
そのとき専務は、一人楽しげに笑っていた。
けれど私は、顔をこわばらせるだけだった。専務の言う通り、私たちはそこで婚約発表するつもりだったから。
それでも私は信じるしかない。
『大丈夫だ。俺は二度と与織子を悲しませるようなことはしないから。だから、俺を信じてくれ』
そう言ってくれた創ちゃんの言葉を。
翌日金曜日。
いつもより早く出社した私は、人目につかないよう真っ直ぐ専務の部屋に向かった。もちろん、書いてきたものを渡すために。
昨日、帰ってから部屋でひっそり届けに記入した。本籍地なんて覚えているはずもなく、参考にしたのは前に書いた婚姻届。
正式に婚約したあと、創ちゃんから『与織子が持っていてくれ』と渡されていたのだ。まさか、それを見ながら別の人との婚姻届を書くことになるなんて思わなかったけど。
扉をノックして部屋に入ると、今日も上機嫌の専務がソファに凭れ掛かるように座っていた。
「やぁ、おはよう。持ってきてくれたかい?」
「……はい。ここに……」
そう言って茶封筒を差し出すと、専務は余裕の笑みを浮かべてその中身を取り出した。
「戸籍謄本は? 持ってないの?」
届けを広げてそこに視線を落としたまま専務は言う。
「持ってないです……」
そんなものがいること自体知らなかったし、本籍地は地元。すぐに取りに行けるわけはない。
「さすがにそうだろうね。仕方ない、直接出しに行くしかなさそうだ。にしても、田舎だねぇ」
呆れたように専務はそう吐き出すと、届けをまた封筒にしまった。私はそれを黙って聞いていた。
「じゃあ行くか。今から出ても着くのは昼だろうし」
私のことなど見えてないように、専務は高級そうな腕時計を見たまま呟く。そして立ち上がると、胡散臭い笑顔で私を見下ろした。
「遅くとも、今日の夕方には君は俺の妻になっているだろうね。かと言って、財産は君に渡す気はないから。そのあたりはまた弁護士から説明させよう」
「はい……」
俯いて私がそう返事をすると、専務は自席へ戻って行った。
「もう下がってくれていいよ。もう用事は済んだし」
出かける準備をしているのか、机の上からガサガサと乱雑な音が聞こえてきた。
「失礼します……」
お辞儀をして扉に向かい、私の手がノブにかかると、背中から専務の声が聞こえた。
「そうそう。俺は妻の浮気くらい許すよ? 結婚しても川村と楽しむといい。寛大だろう?」
言葉の端々に笑いが混ざる声を聞きながら、私は何も言わず廊下へ出た。
そのまま私は休憩スペースに向かった。少し早い時間で、そこはガランとしていた。
自動販売機の前までくると、なんとなく今日はいつもと違うものを選ぶ。
蓋を開け恐る恐る口に運ぶと、目の覚めるような苦味が喉を通り過ぎた。
私、うまくできたかな? ちゃんと、褒めてくれる?
そんなことを思いながら、私はまたコーヒーを口に運んでいた。
創ちゃん⁈
そんなはずないのに反射的に顔を上げると、そこには穏やかな表情の鈴木課長の姿があった。
「朝木さん。根を詰めすぎじゃないかな? 少しは休憩を取ったらどうだい?」
「え……と。はい……」
私が表情を曇らせてしまったことを気にすることなく、鈴木課長は続ける。
「大丈夫。川村君がいなくても、しっかりやれているよ。そう急ぎの仕事もないようだし、無理しないようにね。まぁ、これでも飲んで一息入れて」
私はそう言って差し出されたペットボトルをおずおずと受け取った。
「あ……りがとう、ございます」
それに課長はニコリと笑うと、何事もなかったように席に戻っていった。私は受け取ったミルクティーの蓋を開けると、早速口に含む。
甘さ控えめのはずなのに、今日はいつもより甘く感じるのは疲れているからなんだろうか?でも、その甘さがなんとなく、私の肩の力を抜いてくれた気がした。
それから少し落ち着きを取り戻し、私は自分のペースで仕事を片付けた。仕掛けの仕事は所定の場所に戻し、明日の準備を済ませるともう定時だ。
知らないうちに何か連絡がきてるかも? とスマホの画面を確認したけど、誰からも何の連絡もない。
いっちゃんも知らないの?
けれど、専務は私が部屋を出る前、捨て台詞のようにこう言ったのだ。
『君の長兄に相談しても無駄だよ?』
専務は全て知っているのだ。うちがどういう家なのかも、私が何を持っているのかも。
そして、こうも言った。
『土曜日の旭河の創立記念パーティー、楽しみだよ。君ももちろん招待されてるんだろう? 川村の言う然るべき場所って、このことだろうしね? 俺ももちろん招待されてるんだ。そこで結婚を発表したら、いったいどんな顔をするかな』
そのとき専務は、一人楽しげに笑っていた。
けれど私は、顔をこわばらせるだけだった。専務の言う通り、私たちはそこで婚約発表するつもりだったから。
それでも私は信じるしかない。
『大丈夫だ。俺は二度と与織子を悲しませるようなことはしないから。だから、俺を信じてくれ』
そう言ってくれた創ちゃんの言葉を。
翌日金曜日。
いつもより早く出社した私は、人目につかないよう真っ直ぐ専務の部屋に向かった。もちろん、書いてきたものを渡すために。
昨日、帰ってから部屋でひっそり届けに記入した。本籍地なんて覚えているはずもなく、参考にしたのは前に書いた婚姻届。
正式に婚約したあと、創ちゃんから『与織子が持っていてくれ』と渡されていたのだ。まさか、それを見ながら別の人との婚姻届を書くことになるなんて思わなかったけど。
扉をノックして部屋に入ると、今日も上機嫌の専務がソファに凭れ掛かるように座っていた。
「やぁ、おはよう。持ってきてくれたかい?」
「……はい。ここに……」
そう言って茶封筒を差し出すと、専務は余裕の笑みを浮かべてその中身を取り出した。
「戸籍謄本は? 持ってないの?」
届けを広げてそこに視線を落としたまま専務は言う。
「持ってないです……」
そんなものがいること自体知らなかったし、本籍地は地元。すぐに取りに行けるわけはない。
「さすがにそうだろうね。仕方ない、直接出しに行くしかなさそうだ。にしても、田舎だねぇ」
呆れたように専務はそう吐き出すと、届けをまた封筒にしまった。私はそれを黙って聞いていた。
「じゃあ行くか。今から出ても着くのは昼だろうし」
私のことなど見えてないように、専務は高級そうな腕時計を見たまま呟く。そして立ち上がると、胡散臭い笑顔で私を見下ろした。
「遅くとも、今日の夕方には君は俺の妻になっているだろうね。かと言って、財産は君に渡す気はないから。そのあたりはまた弁護士から説明させよう」
「はい……」
俯いて私がそう返事をすると、専務は自席へ戻って行った。
「もう下がってくれていいよ。もう用事は済んだし」
出かける準備をしているのか、机の上からガサガサと乱雑な音が聞こえてきた。
「失礼します……」
お辞儀をして扉に向かい、私の手がノブにかかると、背中から専務の声が聞こえた。
「そうそう。俺は妻の浮気くらい許すよ? 結婚しても川村と楽しむといい。寛大だろう?」
言葉の端々に笑いが混ざる声を聞きながら、私は何も言わず廊下へ出た。
そのまま私は休憩スペースに向かった。少し早い時間で、そこはガランとしていた。
自動販売機の前までくると、なんとなく今日はいつもと違うものを選ぶ。
蓋を開け恐る恐る口に運ぶと、目の覚めるような苦味が喉を通り過ぎた。
私、うまくできたかな? ちゃんと、褒めてくれる?
そんなことを思いながら、私はまたコーヒーを口に運んでいた。
0
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
キミノ
恋愛
職場と自宅を往復するだけの枯れた生活を送っていた白石亜子(27)は、
帰宅途中に見知らぬイケメンの大谷匠に求婚される。
二日酔いで目覚めた亜子は、記憶の無いまま彼の妻になっていた。
彼は日本でもトップの大企業の御曹司で・・・。
無邪気に笑ったと思えば、大人の色気で翻弄してくる匠。戸惑いながらもお互いを知り、仲を深める日々を過ごしていた。
このまま、私は彼と生きていくんだ。
そう思っていた。
彼の心に住み付いて離れない存在を知るまでは。
「どうしようもなく好きだった人がいたんだ」
報われない想いを隠し切れない背中を見て、私はどうしたらいいの?
代わりでもいい。
それでも一緒にいられるなら。
そう思っていたけれど、そう思っていたかったけれど。
Sランクの年下旦那様に本気で愛されたいの。
―――――――――――――――
ページを捲ってみてください。
貴女の心にズンとくる重い愛を届けます。
【Sランクの男は如何でしょうか?】シリーズの匠編です。
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
純真~こじらせ初恋の攻略法~
伊吹美香
恋愛
あの頃の私は、この恋が永遠に続くと信じていた。
未成熟な私の初恋は、愛に変わる前に終わりを告げてしまった。
この心に沁みついているあなたの姿は、時がたてば消えていくものだと思っていたのに。
いつまでも消えてくれないあなたの残像を、私は必死でかき消そうとしている。
それなのに。
どうして今さら再会してしまったのだろう。
どうしてまた、あなたはこんなに私の心に入り込んでくるのだろう。
幼いころに止まったままの純愛が、今また動き出す……。
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
Good day !
葉月 まい
恋愛
『Good day !』シリーズ Vol.1
人一倍真面目で努力家のコーパイと
イケメンのエリートキャプテン
そんな二人の
恋と仕事と、飛行機の物語…
꙳⋆ ˖𓂃܀✈* 登場人物 *☆܀𓂃˖ ⋆꙳
日本ウイング航空(Japan Wing Airline)
副操縦士
藤崎 恵真(27歳) Fujisaki Ema
機長
佐倉 大和(35歳) Sakura Yamato
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる