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予定されていたカメラテストの日はすぐ訪れた。日本に戻りしばらくの間は束の間の休日を満喫しようかと思っていたが、実際にはそう満喫できたと言えるものではなかった。
ニューヨークから送った荷物が届き、その荷解きに明け暮れ、うんざりしながら迎えた木曜日。まず向かったのは淳一の事務所だった。もちろん、あいつを拾うために。
「お疲れ様です」
事務所の前に路上駐車しその脇で待っていると、瑤子は時間通りに現れた。
暑苦しそうな黒のパンツスーツに身を包み、長い髪は飾り気なく一つに束ねられ、横に流した長めの前髪はシンプルなヘアピンで止められていた。そして端麗な顔にはそれを覆うような可愛げのない黒縁眼鏡。最初と何ら変わらないその姿に、思わず顔を顰めてしまう。
いや、わかっていたはずだ。瑤子が変わるはずもないことなど。
「じゃ、車乗って」
素っ気なく言うと、瑤子も同じように素っ気なく「失礼します」と返し後部座席のドアに手をかけた。俺はそれにいっそう顔を顰めた。
「はっ? なんで後ろ?」
「何かいけませんでしたか?」
平然と言う瑤子を見て溜め息を吐く。
「勝手にしろ」
それだけ言い放つと運転席に向かう。瑤子はそのまま後部座席に乗り込んでいた。
「すみません。話しかけてもよろしいですか?」
走り出してしばらくすると、後ろから仕事モードの瑤子に話しかけられる。さっきまでルームミラーにはでかいビジネスバッグからタブレットを取り出しそれを真剣に眺める姿が映っていた。その顔が上がっても少しの笑みさえ浮かべていない。
「あ? なんだ?」
「スケジュールの確認と調整をしたいのですが」
真面目腐った顔で言われてハンドルを握ったまま顔を顰める。なんでこんなにもイラついてしまうか自分でもよくわからない。ただ一つ言えることは、全てをなかったことにされているのが癪に障るってことだ。あれだけ変わらないことを望んでいたのに。
「そんなに離れてちゃ、まともに話しもできないんだけど?」
「そんなことはないと思いますが?」
明らかに不愉快そうな声が返り、こちらも同じく不愉快になる。そして、この澄ました仮面を剥ぎ取ってやりたくなった。
「時間は余裕あるよな。現場はこっから遠くない。ってことで寄り道な」
今日の現場は嫌と言うほど昔から知っている場所だ。近くにある建物を思い浮かべると、頭の中ですぐさま目的地を切り替えた。
「なっ! ちょっと待ってください!」
後ろから響く、悲鳴のような瑤子の声を聞きながら。
連れて来られた場所に、瑤子は不満そうに顔を歪めていた。なんでこんなところに、とでも言いたげだが、場所が場所だけに表面上は大人しくしているようだ。
「何にする?」
天井まで届く大きな窓から明るい光が注ぐホテルのロビーラウンジ。緑豊かな中庭に面した特等席に座ると、メニューブックを開き尋ねた。白いクロスのかけられた四人掛けのテーブルに、普通なら向かい合って座るところだが、「話しづらいだろ?」と無理矢理隣に座らせた。それも気に入らないようだ。
「アイスコーヒーで構いません」
いまだにニコリともせず瑤子は答える。
パタンと音を立てメニューブックを閉じると、控えていたウェイターにアイスコーヒーを二つオーダーする。別に何か飲みたかったわけじゃない。正直なんでもよかった。
「じゃ、遠慮なく話していいぞ?」
「言われなくてもそうします」
瑤子は息を吐き出すとビジネスバッグからタブレットを取り出した。
「十月ですが、一件大きな撮影の依頼が入っています。予定は組めると思うのですが、どうされますか?」
真面目な顔で俺を見る瑤子に、溜め息を返す。もちろんこれは挑発だ。とは言え、本気で怒らせない程度の。
「受けるには条件がある」
「条……件?」
瑤子は訝しむようにこちらを見る。その表情の邪魔をしている眼鏡を俺は手を伸ばし取り去る。よくよく見ると度なんて入っていない、ただの飾り……いや、盾代わりだった。
その盾が無くなると、最低限のメイクだとは思えない整った顔が不快感を露わにしているのがよく見えた。俺はその邪魔なものをテーブルに置くと続けた。
「俺のマネージャー」
その一言だけ言うと、瑤子は「ああ」と何か思い出したような表情に変わる。
「今、社内で何人か候補を考えています。社長にはこれから上げますが」
やっぱりこいつは、俺のことを何もわかっていないらしい。まあ、わかるほど深く付き合ってもいないが。
「違うだろ?」
口角を上げニヤリと笑うと俺は瑤子に顔を寄せる。
「お前がやれ。じゃなきゃ今後仕事は受けねぇ」
その意味を瞬時に理解できなかったらしい。瑤子はしばらくの間、ポカンと俺の顔を眺めていた。
「………は、い? ちょっ、と待って? なんで私⁈」
ようやくらしくなると噛みつくように声を荒げた。
「俺はお前がいいんだけど? って言うより、お前しか考えられねぇ」
俺は込み上げる笑いを抑えることができず、口の端から息を漏らした。
ニューヨークから送った荷物が届き、その荷解きに明け暮れ、うんざりしながら迎えた木曜日。まず向かったのは淳一の事務所だった。もちろん、あいつを拾うために。
「お疲れ様です」
事務所の前に路上駐車しその脇で待っていると、瑤子は時間通りに現れた。
暑苦しそうな黒のパンツスーツに身を包み、長い髪は飾り気なく一つに束ねられ、横に流した長めの前髪はシンプルなヘアピンで止められていた。そして端麗な顔にはそれを覆うような可愛げのない黒縁眼鏡。最初と何ら変わらないその姿に、思わず顔を顰めてしまう。
いや、わかっていたはずだ。瑤子が変わるはずもないことなど。
「じゃ、車乗って」
素っ気なく言うと、瑤子も同じように素っ気なく「失礼します」と返し後部座席のドアに手をかけた。俺はそれにいっそう顔を顰めた。
「はっ? なんで後ろ?」
「何かいけませんでしたか?」
平然と言う瑤子を見て溜め息を吐く。
「勝手にしろ」
それだけ言い放つと運転席に向かう。瑤子はそのまま後部座席に乗り込んでいた。
「すみません。話しかけてもよろしいですか?」
走り出してしばらくすると、後ろから仕事モードの瑤子に話しかけられる。さっきまでルームミラーにはでかいビジネスバッグからタブレットを取り出しそれを真剣に眺める姿が映っていた。その顔が上がっても少しの笑みさえ浮かべていない。
「あ? なんだ?」
「スケジュールの確認と調整をしたいのですが」
真面目腐った顔で言われてハンドルを握ったまま顔を顰める。なんでこんなにもイラついてしまうか自分でもよくわからない。ただ一つ言えることは、全てをなかったことにされているのが癪に障るってことだ。あれだけ変わらないことを望んでいたのに。
「そんなに離れてちゃ、まともに話しもできないんだけど?」
「そんなことはないと思いますが?」
明らかに不愉快そうな声が返り、こちらも同じく不愉快になる。そして、この澄ました仮面を剥ぎ取ってやりたくなった。
「時間は余裕あるよな。現場はこっから遠くない。ってことで寄り道な」
今日の現場は嫌と言うほど昔から知っている場所だ。近くにある建物を思い浮かべると、頭の中ですぐさま目的地を切り替えた。
「なっ! ちょっと待ってください!」
後ろから響く、悲鳴のような瑤子の声を聞きながら。
連れて来られた場所に、瑤子は不満そうに顔を歪めていた。なんでこんなところに、とでも言いたげだが、場所が場所だけに表面上は大人しくしているようだ。
「何にする?」
天井まで届く大きな窓から明るい光が注ぐホテルのロビーラウンジ。緑豊かな中庭に面した特等席に座ると、メニューブックを開き尋ねた。白いクロスのかけられた四人掛けのテーブルに、普通なら向かい合って座るところだが、「話しづらいだろ?」と無理矢理隣に座らせた。それも気に入らないようだ。
「アイスコーヒーで構いません」
いまだにニコリともせず瑤子は答える。
パタンと音を立てメニューブックを閉じると、控えていたウェイターにアイスコーヒーを二つオーダーする。別に何か飲みたかったわけじゃない。正直なんでもよかった。
「じゃ、遠慮なく話していいぞ?」
「言われなくてもそうします」
瑤子は息を吐き出すとビジネスバッグからタブレットを取り出した。
「十月ですが、一件大きな撮影の依頼が入っています。予定は組めると思うのですが、どうされますか?」
真面目な顔で俺を見る瑤子に、溜め息を返す。もちろんこれは挑発だ。とは言え、本気で怒らせない程度の。
「受けるには条件がある」
「条……件?」
瑤子は訝しむようにこちらを見る。その表情の邪魔をしている眼鏡を俺は手を伸ばし取り去る。よくよく見ると度なんて入っていない、ただの飾り……いや、盾代わりだった。
その盾が無くなると、最低限のメイクだとは思えない整った顔が不快感を露わにしているのがよく見えた。俺はその邪魔なものをテーブルに置くと続けた。
「俺のマネージャー」
その一言だけ言うと、瑤子は「ああ」と何か思い出したような表情に変わる。
「今、社内で何人か候補を考えています。社長にはこれから上げますが」
やっぱりこいつは、俺のことを何もわかっていないらしい。まあ、わかるほど深く付き合ってもいないが。
「違うだろ?」
口角を上げニヤリと笑うと俺は瑤子に顔を寄せる。
「お前がやれ。じゃなきゃ今後仕事は受けねぇ」
その意味を瞬時に理解できなかったらしい。瑤子はしばらくの間、ポカンと俺の顔を眺めていた。
「………は、い? ちょっ、と待って? なんで私⁈」
ようやくらしくなると噛みつくように声を荒げた。
「俺はお前がいいんだけど? って言うより、お前しか考えられねぇ」
俺は込み上げる笑いを抑えることができず、口の端から息を漏らした。
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