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「あ~! ほんと。信じられない」

 走る車の助手席で、瑤子はいまだにブツクサ文句を言っている。
 それもそのはず。俺は何かと理由をつけては瑤子を引き留め、家に帰さないまま日曜日の夕方になっていた。
 やりかけていたメールの確認に始まり、まだ買い足りないものがあるから付き合えだの、一人飯は味気ないから付き合えだの。昨日も結局家に引き摺り込み抱き潰した。我ながら幼稚な作戦で笑える。

「ご飯食べたら絶対帰るから。あんまり家から離れた場所に行かないでよ?」

 特に目的地もなく、とりあえず品川方面に向かっていたが、隣からそんな声が聞こえた。

「お前の家、どこだよ?」
「……海のほう」
「なんだよ。大雑把だな」
「貴方に家を教える義理はないでしょ」

 俺に抱かれているときとは正反対の素っ気ない態度で瑤子はそっぽを向く。

「とりあえず最寄り駅くらい教えろよ。どこに向かうか決められねぇだろ」

 渋々、といった感じで瑤子は駅名を口にする。頭の中に地図を思い浮かべ、とりあえず目的地を決めた。

「そういや、明日から仕事だっけ?」
「そうよ。だから今日は家でゆっくりしてたかったのに」
「してただろ。俺の家で。昼まで寝てたし」

 前を向いたままわざとらしく笑うと勢いよく瑤子はこちらに向いた。

「それは貴方が‼︎ ……ってもういいわよ。これでしばらく顔を見なくて済むと思ったら清々するわ!」

 そう言うと瑤子はまたソッポを向いた。それに合わせて背中まで届く黒く艶やかな髪が揺れるのが目の端に映った。昨日俺が洗ってやった上に乾かした髪。そんなことを楽しいと思う自分がいたことが信じがたい。

「残念ながらそう言うわけにもいかねぇけど」
「どう言う……意味?」

 訝しげに瑤子はまたこちらを向く。

「急遽決まった仕事がある。まだ伝えてなかったがな」
「いつの間に……。ちょっと待って。メモするから」

 瑤子はバッグからスマートフォンを取り出すとロックを解除している。

「次の木曜。モデルの選定とカメラテスト。時間は15時。場所は詳しく覚えてねぇ。それに同行してくれ」
「私が?」
「他に誰がいるんだよ。まだマネージャー決まってねぇし、お前しかいないだろ」

 さも当然のように言い放つと、瑤子は画面に視線を落としたまま渋るように「でも……」と答える。

「断るに断れねぇ相手だから仕方なく受けたが、それなりに大きな案件だ。俺一人で対応しきれねぇ。頼まれてくれねぇか?」

 ちょうど赤になった信号で停まると、俺は瑤子の顔を覗き込んだ。

 結局、瑤子は渋々といった面持ちで俺の提案を了承した。と言っても、仕事を全面に押し出せば、十中八九断らないだろうと踏んでいたが。

 それにしても、そんなに仕事が大事か? と不可解に思う。責任感からだというにはまだ何か足りない。そう、依存という言葉がしっくりくる。本人にその自覚があるのかはわからない。また淳一に探りを入れるか、と信号待ちで停まっている間、その顔をチラ見して思った。

 海に近いホテルのレストランで食事したあと、瑤子を家まで送る。どうしても自宅を知られたくないらしい。「すぐ近くだから」と指定されたコンビニの駐車場の隅に車を滑り込ませた。

「じゃあ……私はこれで。その……色々とありがとう」

 殊勝な感じで瑤子は言う。礼を言われるようなことは何もしていない。寧ろ引っ張り回したのは俺のほうなのに。
 今まで自分が相手をした女に何をしようが礼の一つも言われた記憶はない。むしろしてもらって当たり前。そんなプライドの高い女ばかりだった。
 そんな女たちと対照的な瑤子を見ていると、思わず笑みが溢れた。

「ほんと、変な女」

 シートベルトを外し降りる準備をする瑤子を眺め小さく口にする。ちゃんと瑤子の耳にも届いていたようで、背を向けていたのに、思い切り振り返った。

「変で結構よ! そう思うならもうちょっかい掛けてこないでくれる?」

 眉を吊り上げ瑤子は声を荒げる。とは言っても、心の底から怒っているわけではなさそうだ。まるで揶揄われた小学生のようで、つい笑い声を漏らしてしまう。

「そういうところが面白いって言ってんの」
「えっ? 何?」

 瑤子はドアに体を寄せていたが、その腕を引きこちらに引き寄せた。

「悪いな。しばらくはいいストレス解消できそうだしな。やめられねぇかも」

 ギリギリまで顔を近づけ耳元でわざと囁く。それに合わせるように瑤子は身動ぎしている。

「そっ、んな方法でストレス解消しないでくれる? 私のストレスが溜まる一方じゃない!」

 今、どんな顔をしているのかは見えないが想像はつく。俺はそのまま耳に唇を添わすと息を吐き出すように小さく声を発した。

「じゃあまた、俺で思う存分ストレス解消すればいいだろ?」

 掴んだままの腕がワナワナと震えているのがわかる。そしてそれは、腹を立てているからではないことも。俺の耳には小さく甘い吐息が漏れる音が、確かに届いていた。

「そのときが楽しみだ」

 フッと笑うと、とどめを刺すように俺はもう一度囁いていた。
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