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六章 紡がれる糸(side大智)

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「お帰り、早かったね」

 ソファに座る美礼は、すでに羊のようなモコモコとしたルームウェアに着替えていた。その前にあるマグカップからはほんのりとコーヒーの香りが漂っていた。

「大智もコーヒーいる? うちに通う妊婦さんが美味しいデカフェ教えてくれて、今日買ってきたんだ。着替えるでしょ? 淹れとく」

 美礼は立ち上がるとそう言いながらキッチンへ向かう。

「ああ、ありがとう」

 相談と聞いていたから、何かトラブルでもあったのだろうかと構えていたが、特に普段と変わりない。とりあえず心配事ではなさそうで、安堵しながら着替えに行った。
 またリビングに戻ると、美礼はソファに戻っていて、その前のテーブルにはもう一つマグカップが置いてあった。

「ありがとう。いただくよ」

 美礼の隣に座りカップを持つ。美礼がわざわざ用意してくれた、自分専用のものだ。
 美礼は隣でカップを持ったまま、テレビを眺めている。いつもはドラマが多いが、今日はニュース番組らしい。しばらく見ていると、最近放送されたという、事務所の入るビルを経営する会社の特集だと気づいた。自分は特に興味はないが、美礼は録画していたらしい。画面は、見覚えのある場所から、ない場所に切り替わっていた。
 
『瀬奈先生!』

 空耳なのかと思った。小さな子どもの声は、テレビの中ではっきりそう言った。吸い寄せられるようにその画面を見ると、そこに映っていたのは、紛れもなく――。

「………由依」

 画面の向こうで、子どもたちに絵本を読み聞かせしている彼女の名前を呼んでいた。

 画面の中で、彼女は明るく絵本を読んで聞かせていた。保育士という仕事を誇りに思っているだろう彼女の、想像した通りの姿。優しいその声色に、子どもたちは目を輝かせていた。

「ねぇ、大智。彼女が……同じビル内で働いてたって知ってた?」

 全く知らなかった。会いたいと願った彼女が、すぐそばにいたことを。
 画面を見つめたまま小さく首を振る。美礼は自分の横顔を見つめ「そう」と呟いた。

「もし……これを、放送されてすぐ見てたら、彼女に会いに行った?」

 知っている人としか言っていないが、美礼は気づいているのだろう。自分の中で、彼女がただの知り合いだけではないことを。

「そう……だな……。きっと…
…」

 会いに行ったと思う。何度すれ違っても、それでも会いたいと足掻いたはずだ。

(あの加害者の気持ちが、今ならわかるな)

 自虐的に口元を緩める。
 自分に付き纏うあの人に、付き纏っていた加害者。その理由を若木先生から聞いていた。

『ある日突然、理由もなく別れを告げられて、そっから音信不通。そりゃ、理由の一つも聞きたくなるよな。それで待ち伏せしてたんだと』

 理由を聞きたい。ただそれだけだ。もし、もう彼女の心の中に別の誰かがいるのなら、この燻り続けた気持ちを消すことができる。例え凍えることになったとしても。

「あのね、大智。ここからは私のおせっかい。迷惑かも知れないけど……」

 美礼はそう前置きをすると、ゆっくりこちらに顔を向ける。そして、自分を真っ直ぐに見つめ言った。

「明後日の土曜、彼女を家に呼んだから。会ってくれない?」
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