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五章 巡る運命の輪
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戸惑いながら、正直にビル内のカフェテリアで耳にした話を彼女に聞かせる。
その間にティーカップが運ばれてきて、紅茶のいい香りが漂っていた。
「事務所内でも噂されてるんだ。確かに、私が婚約者ってことになってるけど……」
一人納得したように言ってから、彼女はカップを持ち上げ口に運ぶ。それをじっと見守った。
「詳しくは話せないんだけど、事情があって。婚約者がいるってことにしたかっただけなの。本当は婚約者どころか、付き合ってもないし。それに私たち、結婚できないくらいには近い親戚なの」
「親……戚……」
遠回しな言い方を不思議に思うが、それでも親戚の言葉に、あからさまにホッとしてしまったのだろう。彼女は向かいで「安心した?」と笑みを浮かべた。
「先週、あのあと大智の様子があまりにもおかしいから尋ねたの。そしたら逆に、彼女と知り合いだったのかって聞かれて」
安心したのも束の間、ドキリと心臓が跳ねる。何も言えずにいると、彼女は続けた。
「仕事でちょっとねって、それだけ。嘘じゃないしね。大智からは詳しくは何も。知っている人だったとだけ」
じゃあ、なぜ? と疑問に思う。ちょっとした知り合いに偶然会ったからと言って、わざわざ会いにくるだろうかと。
自分がミルクティーを一口飲み、カップを置いたところを見計らって彼女は口火を切った。
「瀬奈さん。見当違いだったらごめんね」
彼女は明るく、何でもないことのようにそう前置きしたあと続けた。
「灯希君は……大智の子?」
「………え?」
鎌をかけられているのだろうか。そう思わざるを得ない。いくら自分がシングルマザーだからと言って、ただの知り合いだと言う相手の子だと思うのは納得がいかない。それに彼女は灯希を知っている。あんなにも似ていないのに、どうしてそう思ったのだろうと疑問が湧いた。
「どうして……そう、思われたんですか……?」
すでにこの狼狽えた様子が答えなのかも知れないが、優しい笑みを浮かべたまま彼女は答えた。
「遺伝って、不思議よねぇ……」
唐突にそういうと、自分のバッグから何か取り出す。それをテーブルに置くと、スッと差し出した。
古びた一枚の写真。そこには小さな女の子と男の子が写っていた。
「これは、大智が1歳と少しくらいかな。実家から借りてきたの。あ、ちなみにもう一人は私ね」
それを見て、思わず「あ……」と小さく声を漏らす。そんな自分に彼女は話しかけ始めた。
「今の姿しか知らなかったら、きっと同じ人には見えないよね。大智、小学校に上がるくらいまで結構茶髪だったの。年とともに黒になったんだけど」
写真に写る彼は、まさに灯希と同じ髪色をしていた。呆然とそれを見ている自分に、彼女はまた続けた。
「たぶん……父方の遺伝かな? 大智のお父さんも同じだったみたい。叔父さんは黒にならずに焦茶になったみたいだけど」
灯希と同じくらいの彼を見て、不思議な気分になる。そして思わず、小さく声を漏らしていた。
「そっか……。ちゃんと、似てたんだ……」
顔を上げると彼女は微笑んでいた。
「二人の間に何があったかは知らない。でも大智のこと、嫌いになったわけじゃないって、思ってもいいかな?」
諭すような優しい口調。そんな彼女に小さく頷いてから、そのまま視線を落とした。
「でも……。私は嫌われていると思います。大智さんに嘘の連絡先を教えました。何かあったら連絡してって言われてたのに、それすらしませんでした。だから……私を見て顔を背けたんだと思います」
彼女を見ることができず俯いたまま膝に乗せた両手を握る。しばらくすると、彼女から呆れたような溜め息が聞こえた。
「もう……。何でそんなことしたのかしら?」
(彼女にも……嫌われてしまった……)
自分の罪の大きさに泣きそうになる。それだけ酷いことをしたのだと。
「大智ったら! いくらあの場で感情を出せないにしても、あとであんなに落ち込むくらいなら、そんなことしなきゃいいのに」
その台詞は、明らかに彼に向けられている。そして、彼女が呆れた相手も彼のようだ。
顔を上げて彼女を見ると、困ったような笑みを浮かべていた。
「大智に関わることだし、私からは話せないんだけど……。少しばかり問題が発生してて。でもね、大智は瀬奈さんのこと、絶対嫌ってなんかないの。それだけは信じて」
真っ直ぐに自分を見て、彼女はきっぱりと言い切る。
胸の奥に、ふつふつと何かが湧き出してくる。それはずっと、蓋をし続けた感情。願ってはいけないと自分に言い聞かせてきた言葉。
そしてそれは、彼女の口から発せられた。
「瀬奈さん。大智に……会ってあげてくれない?」
(どうしたらいいんだろう……)
いつもより少し遅めに帰った家には誰もいなかった。灯希と二人で仏壇の前に座り手を合わせたあと、ぼんやりと考えた。
すぐに"会います"とは言えなかった。まだ戸惑いはあったから。彼女もそれはわかってくれていた。そしてこう言ったのだ。
『私も、大智が何をどう思っているかはわからないんだけど、お互い蟠りみたいなものはあると思うんだ。せめてそれを打ち明けたらどうかな? そのあとで灯希君のことを話すかどうか決めていいと思うよ』
話せばきっと、彼は父としての責任を果たそうとするだろう。灯希にしても、戸籍の父親欄が空白よりも、名前があったほうがいいに決まっている。
けれどそれが、彼を縛ってしまうのではないかと怖くなった。
(それでも……。会って、ちゃんと話しをしないと……)
部屋にある絵本を引っ張り出し、めくって遊んでいる灯希を見ながら決心する。その絵本に描かれた、ヤギのように強くならなくては、そう思いながら。
スマホを取り出すと、メッセージアプリの"大迫美礼"の名前を選択する。帰り際にお互い連絡先を交換し合ったのだ。気持ちが固まったら連絡してと言われて。
深呼吸してからそこにメッセージを打ち始める。それを送信し終えると立ち上がった。
「さ、灯希。ご飯にしようか」
灯希はご飯に反応したか顔を上げ、「まんま!」と言うと満面の笑みを見せた。
その間にティーカップが運ばれてきて、紅茶のいい香りが漂っていた。
「事務所内でも噂されてるんだ。確かに、私が婚約者ってことになってるけど……」
一人納得したように言ってから、彼女はカップを持ち上げ口に運ぶ。それをじっと見守った。
「詳しくは話せないんだけど、事情があって。婚約者がいるってことにしたかっただけなの。本当は婚約者どころか、付き合ってもないし。それに私たち、結婚できないくらいには近い親戚なの」
「親……戚……」
遠回しな言い方を不思議に思うが、それでも親戚の言葉に、あからさまにホッとしてしまったのだろう。彼女は向かいで「安心した?」と笑みを浮かべた。
「先週、あのあと大智の様子があまりにもおかしいから尋ねたの。そしたら逆に、彼女と知り合いだったのかって聞かれて」
安心したのも束の間、ドキリと心臓が跳ねる。何も言えずにいると、彼女は続けた。
「仕事でちょっとねって、それだけ。嘘じゃないしね。大智からは詳しくは何も。知っている人だったとだけ」
じゃあ、なぜ? と疑問に思う。ちょっとした知り合いに偶然会ったからと言って、わざわざ会いにくるだろうかと。
自分がミルクティーを一口飲み、カップを置いたところを見計らって彼女は口火を切った。
「瀬奈さん。見当違いだったらごめんね」
彼女は明るく、何でもないことのようにそう前置きしたあと続けた。
「灯希君は……大智の子?」
「………え?」
鎌をかけられているのだろうか。そう思わざるを得ない。いくら自分がシングルマザーだからと言って、ただの知り合いだと言う相手の子だと思うのは納得がいかない。それに彼女は灯希を知っている。あんなにも似ていないのに、どうしてそう思ったのだろうと疑問が湧いた。
「どうして……そう、思われたんですか……?」
すでにこの狼狽えた様子が答えなのかも知れないが、優しい笑みを浮かべたまま彼女は答えた。
「遺伝って、不思議よねぇ……」
唐突にそういうと、自分のバッグから何か取り出す。それをテーブルに置くと、スッと差し出した。
古びた一枚の写真。そこには小さな女の子と男の子が写っていた。
「これは、大智が1歳と少しくらいかな。実家から借りてきたの。あ、ちなみにもう一人は私ね」
それを見て、思わず「あ……」と小さく声を漏らす。そんな自分に彼女は話しかけ始めた。
「今の姿しか知らなかったら、きっと同じ人には見えないよね。大智、小学校に上がるくらいまで結構茶髪だったの。年とともに黒になったんだけど」
写真に写る彼は、まさに灯希と同じ髪色をしていた。呆然とそれを見ている自分に、彼女はまた続けた。
「たぶん……父方の遺伝かな? 大智のお父さんも同じだったみたい。叔父さんは黒にならずに焦茶になったみたいだけど」
灯希と同じくらいの彼を見て、不思議な気分になる。そして思わず、小さく声を漏らしていた。
「そっか……。ちゃんと、似てたんだ……」
顔を上げると彼女は微笑んでいた。
「二人の間に何があったかは知らない。でも大智のこと、嫌いになったわけじゃないって、思ってもいいかな?」
諭すような優しい口調。そんな彼女に小さく頷いてから、そのまま視線を落とした。
「でも……。私は嫌われていると思います。大智さんに嘘の連絡先を教えました。何かあったら連絡してって言われてたのに、それすらしませんでした。だから……私を見て顔を背けたんだと思います」
彼女を見ることができず俯いたまま膝に乗せた両手を握る。しばらくすると、彼女から呆れたような溜め息が聞こえた。
「もう……。何でそんなことしたのかしら?」
(彼女にも……嫌われてしまった……)
自分の罪の大きさに泣きそうになる。それだけ酷いことをしたのだと。
「大智ったら! いくらあの場で感情を出せないにしても、あとであんなに落ち込むくらいなら、そんなことしなきゃいいのに」
その台詞は、明らかに彼に向けられている。そして、彼女が呆れた相手も彼のようだ。
顔を上げて彼女を見ると、困ったような笑みを浮かべていた。
「大智に関わることだし、私からは話せないんだけど……。少しばかり問題が発生してて。でもね、大智は瀬奈さんのこと、絶対嫌ってなんかないの。それだけは信じて」
真っ直ぐに自分を見て、彼女はきっぱりと言い切る。
胸の奥に、ふつふつと何かが湧き出してくる。それはずっと、蓋をし続けた感情。願ってはいけないと自分に言い聞かせてきた言葉。
そしてそれは、彼女の口から発せられた。
「瀬奈さん。大智に……会ってあげてくれない?」
(どうしたらいいんだろう……)
いつもより少し遅めに帰った家には誰もいなかった。灯希と二人で仏壇の前に座り手を合わせたあと、ぼんやりと考えた。
すぐに"会います"とは言えなかった。まだ戸惑いはあったから。彼女もそれはわかってくれていた。そしてこう言ったのだ。
『私も、大智が何をどう思っているかはわからないんだけど、お互い蟠りみたいなものはあると思うんだ。せめてそれを打ち明けたらどうかな? そのあとで灯希君のことを話すかどうか決めていいと思うよ』
話せばきっと、彼は父としての責任を果たそうとするだろう。灯希にしても、戸籍の父親欄が空白よりも、名前があったほうがいいに決まっている。
けれどそれが、彼を縛ってしまうのではないかと怖くなった。
(それでも……。会って、ちゃんと話しをしないと……)
部屋にある絵本を引っ張り出し、めくって遊んでいる灯希を見ながら決心する。その絵本に描かれた、ヤギのように強くならなくては、そう思いながら。
スマホを取り出すと、メッセージアプリの"大迫美礼"の名前を選択する。帰り際にお互い連絡先を交換し合ったのだ。気持ちが固まったら連絡してと言われて。
深呼吸してからそこにメッセージを打ち始める。それを送信し終えると立ち上がった。
「さ、灯希。ご飯にしようか」
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