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四章 運命の一夜 (side大智)
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「……帰りました」
由依と別れそのまま真っ直ぐ家に帰った。出迎えたのは、申しわけなさそうな表情の叔母だった。
「お帰りなさい、大智さん。ごめんなさい……。お義母さまを止められなくて……」
「いえ。こちらこそ伝言、すみませんでした。由紀子さん」
「お義母さまは客間でそのままお待ちです」
「ありがとうございます」
叔母とは年齢が二十も離れていない。叔母さんと呼ぶのも気が引け、ずっと名前で呼んでいた。けれどそれに、祖母は顔を顰めていた。叔母には普段、必要以上に話しかけないようにしていた。自分に執着する祖母は、嫉妬めいた態度を叔母にとるからだ。
素っ気ない会話を交わしたあと客間に向かう。扉のノブを掴むと息を整えた。車を運転しているうちに冷静になったものの、それでも怒りは消えていない。
「ただいま……帰りました」
部屋に入ると祖母は一人だった。お気に入りのアンティークのティーカップを持ったまま、祖母は顔を上げ眉を顰めた。
「もうお客様はお帰りになりました。都内にある大学病院教授のお嬢さんでね、貴方にどうかと思っていたんだけど……。貴方に会えなかったのを残念がっていましたよ。お詫びとして、貴方からお食事にでもお誘いなさい」
祖母は厳しい口調で、立ったままの自分に向かって言う。それは自分にとって意に沿わない命令でしかなかった。
「……必要ありません。僕は会うつもりはありませんので」
冷たく言い放つと、祖母は手に持つソーサーにカップを置く。そして歳を重ねてもなお、美しく整った顔を不愉快そうに歪めた。
「自分が何を言っているのか、わかっているのかしら? 貴方の行動一つで母親が露頭に迷うことになるのよ?」
こうやって脅せば、自分が屈するのだと確信しているのだろう。けれど、もうたくさんだ。
ここに帰るまでに思案を巡らせた。峰永会の寄付が無くなった場合に、母の事業をどう継続させるか。
(道はあるはずだ。だからもう……)
ギュッと拳を握ると、祖母に向かって切り出した。
「僕はこの家を出て行きます。もういいでしょう。縁を切るならどうぞご勝手になさってください」
もう自由に、何の柵もない一人の人間になりたい。そして願わくは、由依とこれからの人生を共にしたい。
真っ直ぐに祖母に顔を向けると、祖母はワナワナと唇を震わせていた。
「なっ……何を言っているの……?」
持ったままのティーカップは、その震えに合わせてカチャカチャと音を響かせていた。
「どうして……どうして……。貴方まで……」
青ざめた顔でやおら立ち上がると、ソーサーの上からカップが滑り落ち、テーブルにぶつかると派手な音を立てた。
体を曲げ忌々しそうに自分に顔だけ向けた祖母の手から、今度はソーサーが離れ、また粉々に砕けた。
「許さ、ない……。また……私を……」
般若の面が張り付いたようだった。祖母は顔を歪ませ、そして苦しそうに胸を押さえると、呻き声を上げた。
「咲子さん……?」
あきらかに様子がおかしい。駆け寄ると、蹲るその顔は蒼白だった。何か言いたげに声を発しているが、不明瞭な呪文のように聞こえた。
「咲子さん‼︎」
体を支え、ティーカップの破片に当たらないよう椅子に座らせる。祖母は胸を押さえたまま、荒い息を繰り返していた。
すぐに叔母を呼び、救急車の手配をする。到着した救急隊員に、「峰永会に受け入れ要請をして欲しい」と伝えると、すぐに受け入れ許可が降りた。
「由紀子さんは救急車に同乗してください。僕は車で追いかけます」
そう告げて自分の車に向かう。救急車はすぐに走り出し、そのあとを追うように自分も続いた。
峰永会の病院に着き、休日診療の入り口に向かうと、もう祖母は建物の中に運び込まれていた。
「由紀子さん! 咲子さんの様子は?」
救急受け入れの待合のソファに座る叔母に呼びかけると、血の気の引いた白い顔で見上げた。
「悌志さんが今、診察してます。お義母さまは前々から、心臓があまり良くなくて……。こんなことになるなんて……」
震える声で叔母が言う言葉を呆然と聞く。心臓が悪いなんて全く知らなかった。誰もそんなことを自分に教えてくれなかった。わざわざ伝える必要はないと、思われていたのだろうかと愕然とした。
処置室の扉が開くと出てきたのは叔父だった。
「今から緊急手術になりそうだ。難しいものではないから安心してくれ」
「……良かった……」
ホッとしたように呟いたのは叔母だ。決して良好とは思えない関係なのに、それでも祖母のことを案じている叔母はできた人だと思う。
自分は果たしてどうなんだろうか。
複雑な心境のまま、また処置室に戻る叔父の背中を見送った。
「私は入院の準備をしに帰ります。大智さんはどうしますか?」
叔母に声をかけられ、ようやく我に返った。自分が送ればいい話だが、思いの外手が震えていることに気づく。とても運転できそうになかった。
「僕は……。このまま残ります」
そう小さく発した声も震えていた。
由依と別れそのまま真っ直ぐ家に帰った。出迎えたのは、申しわけなさそうな表情の叔母だった。
「お帰りなさい、大智さん。ごめんなさい……。お義母さまを止められなくて……」
「いえ。こちらこそ伝言、すみませんでした。由紀子さん」
「お義母さまは客間でそのままお待ちです」
「ありがとうございます」
叔母とは年齢が二十も離れていない。叔母さんと呼ぶのも気が引け、ずっと名前で呼んでいた。けれどそれに、祖母は顔を顰めていた。叔母には普段、必要以上に話しかけないようにしていた。自分に執着する祖母は、嫉妬めいた態度を叔母にとるからだ。
素っ気ない会話を交わしたあと客間に向かう。扉のノブを掴むと息を整えた。車を運転しているうちに冷静になったものの、それでも怒りは消えていない。
「ただいま……帰りました」
部屋に入ると祖母は一人だった。お気に入りのアンティークのティーカップを持ったまま、祖母は顔を上げ眉を顰めた。
「もうお客様はお帰りになりました。都内にある大学病院教授のお嬢さんでね、貴方にどうかと思っていたんだけど……。貴方に会えなかったのを残念がっていましたよ。お詫びとして、貴方からお食事にでもお誘いなさい」
祖母は厳しい口調で、立ったままの自分に向かって言う。それは自分にとって意に沿わない命令でしかなかった。
「……必要ありません。僕は会うつもりはありませんので」
冷たく言い放つと、祖母は手に持つソーサーにカップを置く。そして歳を重ねてもなお、美しく整った顔を不愉快そうに歪めた。
「自分が何を言っているのか、わかっているのかしら? 貴方の行動一つで母親が露頭に迷うことになるのよ?」
こうやって脅せば、自分が屈するのだと確信しているのだろう。けれど、もうたくさんだ。
ここに帰るまでに思案を巡らせた。峰永会の寄付が無くなった場合に、母の事業をどう継続させるか。
(道はあるはずだ。だからもう……)
ギュッと拳を握ると、祖母に向かって切り出した。
「僕はこの家を出て行きます。もういいでしょう。縁を切るならどうぞご勝手になさってください」
もう自由に、何の柵もない一人の人間になりたい。そして願わくは、由依とこれからの人生を共にしたい。
真っ直ぐに祖母に顔を向けると、祖母はワナワナと唇を震わせていた。
「なっ……何を言っているの……?」
持ったままのティーカップは、その震えに合わせてカチャカチャと音を響かせていた。
「どうして……どうして……。貴方まで……」
青ざめた顔でやおら立ち上がると、ソーサーの上からカップが滑り落ち、テーブルにぶつかると派手な音を立てた。
体を曲げ忌々しそうに自分に顔だけ向けた祖母の手から、今度はソーサーが離れ、また粉々に砕けた。
「許さ、ない……。また……私を……」
般若の面が張り付いたようだった。祖母は顔を歪ませ、そして苦しそうに胸を押さえると、呻き声を上げた。
「咲子さん……?」
あきらかに様子がおかしい。駆け寄ると、蹲るその顔は蒼白だった。何か言いたげに声を発しているが、不明瞭な呪文のように聞こえた。
「咲子さん‼︎」
体を支え、ティーカップの破片に当たらないよう椅子に座らせる。祖母は胸を押さえたまま、荒い息を繰り返していた。
すぐに叔母を呼び、救急車の手配をする。到着した救急隊員に、「峰永会に受け入れ要請をして欲しい」と伝えると、すぐに受け入れ許可が降りた。
「由紀子さんは救急車に同乗してください。僕は車で追いかけます」
そう告げて自分の車に向かう。救急車はすぐに走り出し、そのあとを追うように自分も続いた。
峰永会の病院に着き、休日診療の入り口に向かうと、もう祖母は建物の中に運び込まれていた。
「由紀子さん! 咲子さんの様子は?」
救急受け入れの待合のソファに座る叔母に呼びかけると、血の気の引いた白い顔で見上げた。
「悌志さんが今、診察してます。お義母さまは前々から、心臓があまり良くなくて……。こんなことになるなんて……」
震える声で叔母が言う言葉を呆然と聞く。心臓が悪いなんて全く知らなかった。誰もそんなことを自分に教えてくれなかった。わざわざ伝える必要はないと、思われていたのだろうかと愕然とした。
処置室の扉が開くと出てきたのは叔父だった。
「今から緊急手術になりそうだ。難しいものではないから安心してくれ」
「……良かった……」
ホッとしたように呟いたのは叔母だ。決して良好とは思えない関係なのに、それでも祖母のことを案じている叔母はできた人だと思う。
自分は果たしてどうなんだろうか。
複雑な心境のまま、また処置室に戻る叔父の背中を見送った。
「私は入院の準備をしに帰ります。大智さんはどうしますか?」
叔母に声をかけられ、ようやく我に返った。自分が送ればいい話だが、思いの外手が震えていることに気づく。とても運転できそうになかった。
「僕は……。このまま残ります」
そう小さく発した声も震えていた。
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