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三章 絡まり始めた糸
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「……瀬奈さん。瀬奈由依さん」
場違いじゃないかと居心地の悪い待合室で名前を呼ばれ、「はい」と立ち上がるとそそくさと看護師の元へ向かう。
誰も自分の事情など知らないけれど、なんとなく居た堪れない気持ちで座っていた。周りは幸せそうなオーラを醸し出す女性や、付き添いだろう夫の姿があった。そんな中にいると、自分はとても如何わしい人間に思えた。
「――では器具を入れますから、力を抜いてください」
カーテン越しに、穏やかな口調の男性医師の声が聞こえた。
ネットの口コミで探した、近所の病院で良さそうなところを選んだ。男性医師と聞いて躊躇ったが、"とても優しいおじいちゃん先生"といくつも書き込みがあり、ここに決めたのだった。
それにしても、こんな格好で力なんて抜けない、と思ってしまう。
ただでさえ下着を履いていない状態なのに、乗せられた台でこんなあられもない格好になるなんて。世の中母親はこれに堪えていたのかと改めて尊敬してしまう。
自分の中に無機質な器具が差し込まれ思わず顔を顰める。同時に見えやすい高さにあるモニターに映像が映った。
「モニターを見てくださいね」
そう言われ、由依は目を凝らして見た。モノクロの画面の意味は全くわからない。それを補足するように医師は喋り出した。
「この丸いものが袋、胎嚢だね。ここ、チカチカしているでしょう?」
モニター上で矢印がその場所をぐるぐると回っている。その囲まれた部分には確かに何かが点滅していた。
「は……い……」
「これが心臓ね。元気に動いているよ」
改めてじっと、その点滅を食い入るように見る。
自分の中に宿った命が、鼓動を刻んでいる。そう思うだけで涙が滲んできた。
両親が亡くなったとき、神様なんていないと思った。けれど今は、神様はなんて皮肉なことをするんだろうと思う。たった一夜で願いを叶えてくれるなんて。
超音波検査が終わり、診察室に戻ると先に医師が座っていた。柔和な笑みを浮かべた医師は、由依に紙を差し出した。
「これがエコーの写真。予定日は五月の終わり頃だね。次は母子手帳をもらって二週間後に来てください」
受け取った紙にはさっき見たモニターの画面と同じものが印刷されていた。
(これが……私の子……)
実感などまだ湧くはずもない。けれど確かにここにいるのだ。
嬉しさと後ろめたさが混ざり合った複雑な気持ちで、由依は自分のお腹に手を当てた。
病院を出ると、その足で区役所に向かい母子手帳をもらってから帰宅した。ワンルームの見慣れた部屋に入った途端に気が抜け、そのままベッドに倒れ込むように転がった。
これからどうしよう……と不安に苛まれる。お金の心配がなければ大丈夫だなんて軽く考えていた。自分の願いなんて叶うわけがないと、心のどこかで思っていたのだろう。いざこの状況に置かれたとき、心配事が次々と浮かんでいた。
(周りにはいつ話そう?)
今はまだ風邪らしき症状で誤魔化せているが、これから先、悪阻が悪化するかも知れない。そうなると周りに迷惑をかけることになってしまう。早く伝えたほうがいいと思うが、受け入れてもらえるか不安になってくる。
園長はあと数年で定年退職という、物静かな優しい人だ。ただその性格は、理事長の理不尽な言動にノーと言えず、保育士の中にはそれに良い感情を抱いていないものがいるのは確かだ。
(とにかく、園長に話しておかないと……)
そんなことを考えながらウトウトしていた由依は、そのまま重くなった瞼を閉じていた。
妊娠がわかった日から二日後の土曜日。出勤していた園長にタイミングを見計らい話をした。
妊娠したこと、そしてその相手とは事情があり結婚する予定はないことを。その上でもう少し周りには黙っていて欲しいと頼んだ。園長はさすがに驚いていたが、それでも笑顔で祝福してくれた。
「いずれにせよ、新しい命が誕生するのはおめでたいことよ。わかったわ。周りにはまだ公表しないけど、理事長の耳には入れておくわね。短時間勤務ができるなら、そうしたほうがいいでしょうし」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
一つ不安が解消され気分が軽くなる。そのおかげか、悪阻は少し楽になった気がした。元々吐くまではいかないが、匂いに敏感になっていて時々ウッとなってしまう。できるだけその様子が人目につかないように過ごすのは至難の業だったが。
園長に話をした翌週末。明日は勤務の入っていない土曜という日のことだった。
子どもたちを寝かしつけ、他の先生たちと給食を取ろうと用意をしていると、園長が部屋にやってきた。
「瀬奈先生、ちょっといい?」
小声で呼ばれて園長の元へ向かう。
「今理事長が来ていて。応接室でお待ちだから行ってきてくれる?」
理事長と二人きりなんて初めてだ。就職する前の面接ですら園長一人だった。
由依は緊張で早くなる鼓動を抑えながら応接室へ向かった。
場違いじゃないかと居心地の悪い待合室で名前を呼ばれ、「はい」と立ち上がるとそそくさと看護師の元へ向かう。
誰も自分の事情など知らないけれど、なんとなく居た堪れない気持ちで座っていた。周りは幸せそうなオーラを醸し出す女性や、付き添いだろう夫の姿があった。そんな中にいると、自分はとても如何わしい人間に思えた。
「――では器具を入れますから、力を抜いてください」
カーテン越しに、穏やかな口調の男性医師の声が聞こえた。
ネットの口コミで探した、近所の病院で良さそうなところを選んだ。男性医師と聞いて躊躇ったが、"とても優しいおじいちゃん先生"といくつも書き込みがあり、ここに決めたのだった。
それにしても、こんな格好で力なんて抜けない、と思ってしまう。
ただでさえ下着を履いていない状態なのに、乗せられた台でこんなあられもない格好になるなんて。世の中母親はこれに堪えていたのかと改めて尊敬してしまう。
自分の中に無機質な器具が差し込まれ思わず顔を顰める。同時に見えやすい高さにあるモニターに映像が映った。
「モニターを見てくださいね」
そう言われ、由依は目を凝らして見た。モノクロの画面の意味は全くわからない。それを補足するように医師は喋り出した。
「この丸いものが袋、胎嚢だね。ここ、チカチカしているでしょう?」
モニター上で矢印がその場所をぐるぐると回っている。その囲まれた部分には確かに何かが点滅していた。
「は……い……」
「これが心臓ね。元気に動いているよ」
改めてじっと、その点滅を食い入るように見る。
自分の中に宿った命が、鼓動を刻んでいる。そう思うだけで涙が滲んできた。
両親が亡くなったとき、神様なんていないと思った。けれど今は、神様はなんて皮肉なことをするんだろうと思う。たった一夜で願いを叶えてくれるなんて。
超音波検査が終わり、診察室に戻ると先に医師が座っていた。柔和な笑みを浮かべた医師は、由依に紙を差し出した。
「これがエコーの写真。予定日は五月の終わり頃だね。次は母子手帳をもらって二週間後に来てください」
受け取った紙にはさっき見たモニターの画面と同じものが印刷されていた。
(これが……私の子……)
実感などまだ湧くはずもない。けれど確かにここにいるのだ。
嬉しさと後ろめたさが混ざり合った複雑な気持ちで、由依は自分のお腹に手を当てた。
病院を出ると、その足で区役所に向かい母子手帳をもらってから帰宅した。ワンルームの見慣れた部屋に入った途端に気が抜け、そのままベッドに倒れ込むように転がった。
これからどうしよう……と不安に苛まれる。お金の心配がなければ大丈夫だなんて軽く考えていた。自分の願いなんて叶うわけがないと、心のどこかで思っていたのだろう。いざこの状況に置かれたとき、心配事が次々と浮かんでいた。
(周りにはいつ話そう?)
今はまだ風邪らしき症状で誤魔化せているが、これから先、悪阻が悪化するかも知れない。そうなると周りに迷惑をかけることになってしまう。早く伝えたほうがいいと思うが、受け入れてもらえるか不安になってくる。
園長はあと数年で定年退職という、物静かな優しい人だ。ただその性格は、理事長の理不尽な言動にノーと言えず、保育士の中にはそれに良い感情を抱いていないものがいるのは確かだ。
(とにかく、園長に話しておかないと……)
そんなことを考えながらウトウトしていた由依は、そのまま重くなった瞼を閉じていた。
妊娠がわかった日から二日後の土曜日。出勤していた園長にタイミングを見計らい話をした。
妊娠したこと、そしてその相手とは事情があり結婚する予定はないことを。その上でもう少し周りには黙っていて欲しいと頼んだ。園長はさすがに驚いていたが、それでも笑顔で祝福してくれた。
「いずれにせよ、新しい命が誕生するのはおめでたいことよ。わかったわ。周りにはまだ公表しないけど、理事長の耳には入れておくわね。短時間勤務ができるなら、そうしたほうがいいでしょうし」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
一つ不安が解消され気分が軽くなる。そのおかげか、悪阻は少し楽になった気がした。元々吐くまではいかないが、匂いに敏感になっていて時々ウッとなってしまう。できるだけその様子が人目につかないように過ごすのは至難の業だったが。
園長に話をした翌週末。明日は勤務の入っていない土曜という日のことだった。
子どもたちを寝かしつけ、他の先生たちと給食を取ろうと用意をしていると、園長が部屋にやってきた。
「瀬奈先生、ちょっといい?」
小声で呼ばれて園長の元へ向かう。
「今理事長が来ていて。応接室でお待ちだから行ってきてくれる?」
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