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一章 一夜の幕開け
8.
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地面がアスファルトでないぶん、さっきより幾分か火照りも治った気がする。けれどすぐに酔いが覚めるわけもなく、まだフワフワした感覚でぼんやりと正面の植え込みを眺めていた。
(久しぶりに……酔っちゃったな……)
お酒が嫌いなわけではないが、普段はそう飲むほうではない。樹と飲むと途中で必ず止められるし、他の友人はお酒はあまり……という人間ばかりだ。自分で酔っていると自覚するほど飲んだのは短大生のとき以来かも知れない。
「お待たせ」
考えごとをしていると、いつのまにか大智が戻っていた。我に返り顔を上げると、ペットボトルの水を差し出された。
「とりあえず、これ飲んで?」
「……すみません、いただきます」
由依がそれを受け取ると、「隣に座ってもいい?」と大智は尋ねた。
「あっ、すみません。座ってください」
由依は少し横にずれる。大智はベンチの背もたれに自分のバッグを立てかけたままそこに腰掛けた。それから、もう一つ持っていた同じボトルのフタを開けると、そのまま口に運んだ。それを見届けてから由依も同じように続く。喉を通る冷たい水が、熱を纏った体に心地よく染み渡った。
口を離すと、一つ息を吐く。それから大智に向いた。
「すみません、ご迷惑をおかけして。お水代、お支払いします」
由依はボトルを置き、財布を出そうとバッグに手をかける。
「迷惑だなんて思ってないし、お水代も気にしないで」
「でも……」
自分といなければもっと早く駅に着いただろうに、歩くスピードも遅いうえに寄り道までさせてしまっている。それがなんとも言えず心苦しい。なのに大智はそれを気にする様子もなく、当たり前のことをしたと言わんばかりに平然としている。
由依が思い悩んでいると、先に大智が切り出した。
「じゃあ……。代わりに瀬奈さんの話を聞かせてくれないかな? そうだな。仕事のこととか」
「仕事……ですか?」
「そう。どんなことをしてるのか、全く知らない世界だし興味あるな」
大智は由依の顔を覗き込むと、柔和な笑顔を見せていた。
保育士という職業は、イメージが先行していて、なかなか本当のところを知る人は少ないと感じる。自身や身近に保育園に通う子がいたり、保育士がいたりするなら話は別だが、そうでなければ、楽で簡単な仕事だと思われている節がある。
実際由依も、保育士ではない友人から『毎日子どもと遊んで楽しそうだね』と言われたことがある。それは違うと言い返せればよかったが、『結構体力いるんだよ』と当たり障りのないことしか言えず、自分に対して悔しい思いをしたこともあった。
興味があると言ったが、大智はきっと社交辞令で尋ねたのではないと思う。知りたいと、ちゃんと思ってくれている。そう感じて、由依は面白くはないだろう保育士の日常を話し出した。
「――こんな感じで毎日過ぎていってて……。気力も体力もいる仕事だなって、日々感じてます。もちろんやりがいはあるし、子どもたちの笑顔には癒されているんですけど」
由依はポツポツと時間をかけて話をした。それを大智は、静かに、真剣に聞いていた。
「そう……。頑張ってるんだね」
由依は柔らかな声色に誘われるようにそちらに向く。パチリと目が合うと、大智は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
「頑張ってる……んですかね。けれど時々、寂しくなることがあります」
話しているうちに思い出した。誰にも言えない心に秘めている願いが、ゆっくりと浮上してくるような、そんな感覚。
「寂しいって……?」
どうしてそんな言葉が出るのだろう? そんな疑問を浮かべて大智は尋ねた。
「子どもたちが園にいるとき、頼るのはもちろん保育士しかいなくて。先生、先生って来てくれるんですけど……。やっぱり家族には勝てませんよね。お迎えが来て帰るときには本当に嬉しそうで……。いいなって、思ってしまいます」
由依が答えたあとも、大智はまだ腑に落ちないといった表情を浮かべていた。それを見ながら由依は呼吸を整えると、続きを話し出した。
「私、家族がいないんです。両親は私の短大の卒業式の日、事故で亡くなってしまって……」
(久しぶりに……酔っちゃったな……)
お酒が嫌いなわけではないが、普段はそう飲むほうではない。樹と飲むと途中で必ず止められるし、他の友人はお酒はあまり……という人間ばかりだ。自分で酔っていると自覚するほど飲んだのは短大生のとき以来かも知れない。
「お待たせ」
考えごとをしていると、いつのまにか大智が戻っていた。我に返り顔を上げると、ペットボトルの水を差し出された。
「とりあえず、これ飲んで?」
「……すみません、いただきます」
由依がそれを受け取ると、「隣に座ってもいい?」と大智は尋ねた。
「あっ、すみません。座ってください」
由依は少し横にずれる。大智はベンチの背もたれに自分のバッグを立てかけたままそこに腰掛けた。それから、もう一つ持っていた同じボトルのフタを開けると、そのまま口に運んだ。それを見届けてから由依も同じように続く。喉を通る冷たい水が、熱を纏った体に心地よく染み渡った。
口を離すと、一つ息を吐く。それから大智に向いた。
「すみません、ご迷惑をおかけして。お水代、お支払いします」
由依はボトルを置き、財布を出そうとバッグに手をかける。
「迷惑だなんて思ってないし、お水代も気にしないで」
「でも……」
自分といなければもっと早く駅に着いただろうに、歩くスピードも遅いうえに寄り道までさせてしまっている。それがなんとも言えず心苦しい。なのに大智はそれを気にする様子もなく、当たり前のことをしたと言わんばかりに平然としている。
由依が思い悩んでいると、先に大智が切り出した。
「じゃあ……。代わりに瀬奈さんの話を聞かせてくれないかな? そうだな。仕事のこととか」
「仕事……ですか?」
「そう。どんなことをしてるのか、全く知らない世界だし興味あるな」
大智は由依の顔を覗き込むと、柔和な笑顔を見せていた。
保育士という職業は、イメージが先行していて、なかなか本当のところを知る人は少ないと感じる。自身や身近に保育園に通う子がいたり、保育士がいたりするなら話は別だが、そうでなければ、楽で簡単な仕事だと思われている節がある。
実際由依も、保育士ではない友人から『毎日子どもと遊んで楽しそうだね』と言われたことがある。それは違うと言い返せればよかったが、『結構体力いるんだよ』と当たり障りのないことしか言えず、自分に対して悔しい思いをしたこともあった。
興味があると言ったが、大智はきっと社交辞令で尋ねたのではないと思う。知りたいと、ちゃんと思ってくれている。そう感じて、由依は面白くはないだろう保育士の日常を話し出した。
「――こんな感じで毎日過ぎていってて……。気力も体力もいる仕事だなって、日々感じてます。もちろんやりがいはあるし、子どもたちの笑顔には癒されているんですけど」
由依はポツポツと時間をかけて話をした。それを大智は、静かに、真剣に聞いていた。
「そう……。頑張ってるんだね」
由依は柔らかな声色に誘われるようにそちらに向く。パチリと目が合うと、大智は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
「頑張ってる……んですかね。けれど時々、寂しくなることがあります」
話しているうちに思い出した。誰にも言えない心に秘めている願いが、ゆっくりと浮上してくるような、そんな感覚。
「寂しいって……?」
どうしてそんな言葉が出るのだろう? そんな疑問を浮かべて大智は尋ねた。
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由依が答えたあとも、大智はまだ腑に落ちないといった表情を浮かべていた。それを見ながら由依は呼吸を整えると、続きを話し出した。
「私、家族がいないんです。両親は私の短大の卒業式の日、事故で亡くなってしまって……」
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