一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと

玖羽 望月

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一章 一夜の幕開け

6.

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「母が本好きな人だったからかな。絵本もそれなりに読んでる。そうだな……。僕のお気に入りは、三びきのやぎのがらがらどん、だな」

 由依はもちろんその絵本を知っている。意外なような、そうでないような気持ちで頷いていたが、他の三人はキョトンとした表情を浮かべていた。

「初めて聞いた。どんな話?」

 残り少なくなったビールを口に運びながら佐倉が尋ねる。大智は表情を緩めると由依に顔を向けた。

「瀬奈さんは知ってる?」
「……はい。勤務先の園にも置いてます」
「じゃあどんな話か、教えてやってくれない? 僕もきっとうろ覚えだ」

 見目良い顔で微笑む大智に頰を熱くさせながら、由依は首を縦に振る。
 それから由依は、興味津々で自分を見る皆の視線に気恥ずかしさを覚えながら、絵本の内容を思い出して話し出した。

「――というわけで、大きなやぎはトロルをやっつけ、無事に三匹は山でお腹いっぱい草を食べた……。そんな話しです」

 由依が簡単に絵本のあらすじを話し終えると、誰からともなく「へぇ。そんな絵本あるんだ」と声がした。

「大智って、子どもの頃から勧善懲悪、みたいな話が好きだったってこと?」

 少なくなってきた料理をつまみながら、納得した様子で中村が口にする。
 確かに内容で言えば、橋の下に住むトロルという悪い鬼を退治する話しだ。園にいる、特に戦いごっこが好きな子は、大きなやぎが格好いい、とこの絵本を好む傾向にある気がした。けれど大智は、そうではないような感じを受けた。

「どうかな。どちらかと言えば、やぎの勇気に感銘を受けていたのかも知れない。無意識に、自分もこんな風に強くなりたいと思っていたのかもね」

 視線をテーブルに落とし、ビールを時々口にしながら大智は言う。その顔はどこか、寂しそうにも哀しそうにも見えた。

「……そっか。大丈夫、大智は充分強くなったって」

 佐倉はその理由を知っているのだろう。そして他の二人も。うんうん、と頷く顔は佐倉を肯定しているように見えた。

 そのあとは絵本の話から別の話に移り変わり、それからそれぞれ思いついた話題を酒の肴に残りの時間を楽しんだ。
 
「うわ~。やば、外はまだまだ暑いなぁ!」

 宴会はお開きとなり、店の外にガヤガヤと出ると、真っ先に与田が声を上げた。
 数時間前に太陽は沈んでいるが、まだ九月の初めの強い日差しに焼かれたアスファルトはそう簡単には冷めていない。立ち上る熱気が、さっきまで程よく冷やされた体を包み込んでいた。
 繁華街のこの場所の近くにある駅は二ヶ所。左手に行けばすぐ私鉄、右手には少し離れてJRがある。由依は自然と右側に寄ると立ち止まる。与田はおそらく私鉄に向かうのだろう。そちらに足を向けていた。

「だな。もう汗吹き出しそう」

 笑いながら中村も与田に近寄っている。そして由依の前を歩いていた佐倉が振り返ると尋ねた。

「瀬奈さんは駅どっち?」
「私はJRです。皆さんはあちらですか?」

 それとなく先に見えている私鉄の駅に視線を送ると佐倉は頷いた。

「そう。じゃあ……残念だけどここでお別れだね」

 改めて言われるとなんだか寂しくなる。見ず知らずの人だったのに、こんなに話しが弾んだのは久しぶりだ。

「本当にありがとうございました。今日は楽しく過ごすことができました」

 由依は心の底からそう思っていた。素直に感謝の気持ちを述べると、皆が笑顔を浮かべた。その顔を見て温かい気持ちになりながら由依も笑顔を向ける。

「では私はここで」

 連絡先は誰とも交換していない。聞かれることもなかったし、聞くこともなかった。お互い邪な気持ちがないとわかっていたからこそ、こうして楽しめたのかも知れない。もし連絡先を尋ねられる場面があったら、こんな心地よい別れはなかっただろう。

 由依が一人その場をあとにしようとしたときだった。

「あっ、待って、瀬奈さん。僕もそっちなんだ。送って行くよ」

 佐倉の横にいた大智はそう言うと由依を引き留めた。
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